第六十三話 千年待ったアイリス
第六十三話 千年待ったアイリス
《レゾナンス》の最古設計領域に残されていた言葉。
――アイリスを、今度こそ世界へ帰す。
それが何を意味するのか分からないまま、レインたちは暗闇のさらに奥へ進んだ。境界外生命情報が無数の光となって漂う空間には距離という概念さえ正常に存在していないらしく、数歩進んだだけなのにノエルの姿が急に遠ざかったり、逆に遥か先にあった光が目の前へ現れたりする。
ノアが何度か進行方向を修正しようとしたが、途中で諦めた。
「地形として考えるな。ここでは距離ではなく、情報同士の関係で位置が決まっているらしい」
「つまり?」
「アイリスを探そうと考えながら進め」
「急に雑になったな」
「正確に説明しても理解しないだろう」
否定できなかった。
レインはアイリスという名前だけを意識し、《世界接続》を広げるのではなく、先ほど検出したRainとの関連情報を辿ることにした。
すると。
暗闇の中に一本の道が現れた。
その先に。
一人の少女がいた。
年齢は十七、八歳ほどだろうか。長い淡い金髪を背中まで伸ばし、見たことのない形の白い服を着ている。眠っているように目を閉じ、その身体は半透明で、足元から無数の細い光が境界外生命情報へ繋がっていた。
【保存個体――アイリス】
【種族情報――破損】
【存在状態――境界外保存】
【保存期間――測定不能】
【Rain関連度――99.8%】
そして。
カインが近づいた瞬間。
表示が変わった。
【二核照合――開始】
【捕食核系統――一致】
レインがカインを見る。
カインも表示を見つめていた。
「……僕と同じ?」
その声に反応したのか。
少女の瞼が動いた。
ゆっくりと目が開く。
青い瞳だった。
少女は最初にレインを見た。
長い間。
何も言わずに。
ただレインの顔を見つめ続ける。
やがて。
小さく首を横に振った。
『違う』
その一言を、レインは以前にも聞いていた。
終焉回廊へ入った時。
――お前は、俺じゃない。
今度は拒絶するような響きではなかった。
むしろ。
寂しそうだった。
『あなたじゃない』
「誰を待ってた?」
少女は答えなかった。
代わりに。
カインを見る。
その瞬間。
表情が変わった。
『……Rain?』
カインが困ったようにレインを見る。
「僕?」
レインにも分からない。
少女はカインへ近づこうとしたが、身体を繋いでいる光が強く輝き、それ以上動くことができなかった。
『違う。あなたも違う』
「俺たちは今のRainだ」
レインが答えた。
「俺がレイン・アーク。こっちはカイン。元々は一人だったけど、今は二人で生きてる」
アイリスは二人を交互に見る。
『二人……』
「そう」
『戻らないの?』
カインが答えた。
「戻らないよ」
長い沈黙の後。
アイリスは。
ほんの少し笑った。
『よかった』
◇◇◇
アイリスの記録を読み取るには、レインとカインが同時に接続する必要があった。
二人が彼女の前へ座り、《相互支援》を維持した状態で《世界接続》と《境界干渉》を重ねると、それまで破損していた情報が少しずつ復元されていく。
【記録復元率――17%】
【31%】
【46%】
そして。
一つの古い映像が開いた。
そこには。
二人の少年少女がいた。
一人は、レインの知らない黒髪の少年。
もう一人は。
目の前にいるアイリスだった。
ただし。
二人の頭上には。
同じ情報が表示されている。
【Rain】
【受容核】
【Rain】
【捕食核】
カインが息を呑んだ。
「やっぱり……」
アイリスも。
かつてはRainだった。
正確には。
Rainを構成する二つの核のうち。
片方だった。
映像の中で黒髪の少年が少女へ尋ねる。
『ずっとRainって呼ばれるの、嫌じゃない?』
少女は少し考える。
『二人ともRainだと、どっちを呼んでるか分からない』
『じゃあ名前を決めよう』
『名前?』
『俺はRainでいい。お前は自分で決めろ』
少女は困った顔で考え。
近くに咲いていた青い花を見る。
『アイリス』
『それがいいのか?』
『うん』
少女が笑う。
『今日から私はアイリス』
記録が一度途切れた。
カインは何も言わなかった。
自分が名前を選んだ時とは状況が違う。
それでも。
Rainから分かれ。
自分自身の名前を持ち。
別の人間として生きることを選んだ存在。
それが千年以上前にもいた。
レインが尋ねる。
「そのRainは、どうなった?」
アイリスの笑みが消えた。
『死んだ』
短い答えだった。
『私たちの世界は壊れた。Rainは世界の情報を持って逃げようとした。でも、全部は持っていけなかった』
「それでアイリスは?」
『私は残った』
「どうして?」
アイリスは少しだけ考えた。
『Rainを逃がすため』
カインの表情が険しくなる。
『二人で境界を越えるには力が足りなかった。だから私が世界側に残って、Rainだけを外へ押し出した』
「それじゃ、さっき見た過去のRainと同じじゃないか」
レインは思わず言った。
二人で完成しても。
片方を失えば。
残ったRainは壊れる。
アイリスは頷いた。
『だから、Rainは戻ってきた』
「戻ってきた?」
『何度も』
レインは息を止める。
『身体が変わっても、記憶がなくなっても、Rainは何度もここへ来た。でも私を世界へ戻せなかった』
そこで。
遠く離れた《レゾナンス》が再び反応した。
【古代設計情報――照合】
【原初設計目的――確認】
アイリスが続ける。
『最初のRainが考えたの』
――世界の外へ落ちた存在を。
――もう一度、世界の中へ帰す方法。
『でも、そのRainには作れなかった。次のRainも無理だった。その次も』
レインはようやく理解した。
《レゾナンス》そのものが千年前に存在したわけではない。
設計思想だけが。
RainからRainへ。
世界を越え。
時代を越えて。
受け継がれてきた。
そして二百十四年前。
あの一腕のRainと最初の神造鍛冶師が。
ようやくそれを武器という形にした。
だから。
《レゾナンス》の最古設計領域には。
千年以上前の名前が残っている。
アイリス。
最初に。
世界へ帰したかった人。
◇◇◇
「じゃあ《レゾナンス》が完成すれば、アイリスも戻せる?」
レインが尋ねる。
アイリスは答えなかった。
代わりに。
ノアが解析結果を見る。
「理論上は可能性がある。ただし、問題がある」
【アイリス存在情報】
【現保存領域への定着率――99.9%】
【現世界への定着率――0%】
ノエルとは状態が違う。
ノエルは元々この世界の人間であり、存在を消された後に境界外へ保存された。
しかしアイリスは。
千年以上前に滅びた。
別の世界の人間だ。
現在の世界から見れば。
存在したことさえない。
「世界承認がない……」
レインが呟く。
ノエルにはレオンが保存していた世界記録があり、アルディス王国側にも僅かながら存在証明が残されている。
アイリスには。
それがない。
ところが。
アイリスは笑った。
『私はいいよ』
「よくないだろ」
『もう待たなくていいから』
「何言ってるんだよ」
『Rainが来たから』
アイリスは。
レインを見る。
そして。
カインを見る。
『ちゃんと二人で来た』
その言葉に。
カインが僅かに俯いた。
『ずっと心配だった。私が残ったから、Rainはまた一人になった。それから何度生まれても、ずっと一人で全部やろうとしてた』
三百十七年前のRain。
二百十四年前のRain。
百十七年前のRain。
そして。
現在のレイン。
これまで見てきた過去のRainたちは。
確かに。
ほとんどが一人だった。
『でも、今度は違う』
アイリスが笑う。
『二人いる』
レインは首を横に振った。
「二人だけじゃない」
アイリスが首を傾げる。
「俺たちには仲間がいる。ガルド、リリア、セラ、ミア、ノア、エマ、ルーク、アレン、ソラ、レイ。それにユウトもいる」
「最後についでみたいに言うな」
後ろからユウトの声が飛んだ。
レインは少し笑った。
「王様とか皇帝とか、勝手に巻き込まれた人も山ほどいる」
『そんなに?』
「多すぎて困ってる」
アイリスは。
しばらくレインを見ていた。
そして。
初めて。
声を出して笑った。
『そっか』
その瞬間。
《レゾナンス》が。
強く輝いた。
エマの声が響く。
『また完成率が上がる!』
【神造武具】
【原初目的情報――回収】
【完成率――57%→63%】
さらに。
【失われた設計情報――一部復元】
【最終機能名――開示】
レインたちは表示を見る。
【神造最終機能】
【《世界帰還》】
世界の外へ失われた存在を。
もう一度。
世界へ帰す力。
それこそが。
千年以上にわたってRainたちが完成させようとしてきた。
《レゾナンス》の本当の完成形だった。
だが。
次の瞬間。
アイリスの身体を繋いでいた光の一部が切れた。
「アイリス?」
少女の身体が僅かに薄くなる。
【警告】
【保存領域崩壊開始】
【原因――境界外生命情報搬出】
ノアの顔色が変わった。
「まずい。さっき《レゾナンス》へ送った情報は、この領域そのものを維持していた情報の一部だったらしい」
レインが振り返る。
ノエルの姿も。
僅かに揺れていた。
【消失個体保護領域――安定率低下】
【91%】
【89%】
【87%】
レインの表情から笑みが消えた。
境界外生命情報は手に入れた。
《レゾナンス》も完成へ近づいた。
だが。
その代わりに。
ノエルとアイリスを保存している場所そのものが。
崩れ始めている。
アイリスが静かに言った。
『Rain』
レインが彼女を見る。
『今度は、間違えないで』
目の前には。
二人の消えかけた存在。
ノエル。
そしてアイリス。
千年前のRainたちは。
どちらか一人を残し。
どちらか一人を救う選択を繰り返してきた。
レインは。
その二人を見つめた。
そして。
首を横に振った。
「選ばない」
ノアがレインを見る。
「レイン?」
「どっちかなんて選ばない」
カインが。
ゆっくり笑った。
「だと思った」
レインは《世界接続》を開く。
「二人とも連れて帰る」
今度のRainは。
一人ではなかった。
――第六十三話 了――




