第六十話 背中を預けるということ
第六十話 背中を預けるということ
二体の模倣体が同時に動き出した瞬間、レインは反射的に自分と同じ姿をした方へ意識を向けそうになったが、直前に表示された試験条件を思い出し、無理やり視線をカインの模倣体へ移した。
【自己の模倣体を攻撃してはならない】
【相手の模倣体のみ撃破可能】
つまり、レインが見るべき相手はカインの偽物であり、カインが倒すべき相手はレインの偽物である。
もっとも、レインには最初から攻撃能力が存在しないため、条件だけ見れば絶対にカインの模倣体を倒せないようにも思える。しかし、これはRainの二核が互いを支えられるかを確認する試験だ。単純な戦闘能力を競わせるために、わざわざこの条件を設定したとは考えにくかった。
「カイン、自分の方は見るな!」
「そっちこそ!」
二人は互いに背中を向けたまま走り出した。
レインの模倣体は後方へ下がると、すぐに《全域支援》を展開した。対象は自分自身だけだったが、その効果は本物のレインとほとんど変わらず、身体能力、反応速度、防御、魔力循環が一気に引き上げられていく。
「僕から見ると、君って相当面倒だね!」
「今さら気づいたのか!」
「攻撃できないくせに倒しにくい!」
一方、カインの模倣体はレインへ一直線に向かってきた。
こちらはもっと単純で、そして危険だった。
【境界干渉】
レインの足元から世界との接続が消える。
身体が一瞬だけ沈み込むような感覚に襲われたが、レインは即座に《世界接続》を自分へ使い、強制的に現実側へ存在を固定した。
攻撃はできない。
だが、守ることはできる。
もっと正確に言えば。
生き残るために支援することはできる。
「レイン、十五秒!」
ノアの声が飛んだ。
試験そのものへの介入はできないが、観察までは禁止されていない。
「何が十五秒?」
「カインの模倣体が境界干渉を最大出力で維持できる時間だ。その後、約三秒だけ出力が落ちる!」
レインは頷き、《才能共鳴》を発動した。
ただし、自分には使わない。
本物のカインへ繋ぐ。
「カイン、そっちの俺は任せた!」
「最初からそのつもり!」
カインがレインの模倣体へ突っ込んだ。
当然、簡単には近づけない。
模倣体は攻撃能力こそ持っていないものの、カインの速度、癖、境界干渉の発動タイミングまで完全に見抜き、最適な回避行動を取り続ける。
カインが右へ回れば、先に左へ抜ける。
境界を塞げば、直前に世界接続を切り替える。
「腹立つなあ!」
「俺に言うなよ!」
「君、いつもこんなに相手の動き見えてるの?」
「だいたい!」
「敵にしたくない!」
レインは返事をしながら、目の前のカインの模倣体から逃げ続けた。
しかし、防御だけでは試験は終わらない。
自分はカインの模倣体を倒さなければならない。
攻撃能力なしで。
その意味を考えながら敵の情報を読み続けていると、レインは一つの異常に気づいた。
【カイン模倣体】
【境界核――独立】
【存在維持――自己完結】
【外部支援――なし】
本物のカインとは違う。
本物には。
レインとの接続がある。
「そういうことか……」
ようやく分かった。
この試験は、自分の偽物を倒す試験ではない。
相手の偽物よりも。
本物の相手を強くする試験なのだ。
「カイン!」
「何!」
「お前、自分の偽物より強くなれ!」
「急に雑!」
「俺が支える!」
レインは《全域支援》の範囲を絞った。
帝国でも。
王国でも。
世界でもない。
ただ一人。
カインだけへ。
《才能共鳴》。
《成長共有》。
《後衛指揮》。
《世界接続》。
持っている支援能力を重ねていく。
カインの身体を強化するだけではない。境界へ触れる感覚、世界側へ戻るための位置情報、レイン自身が見ている敵の動きまで、可能な限り共有していった。
【受容核→捕食核】
【相互接続率――上昇】
【41%】
【53%】
【67%】
カインが笑った。
「これ、すごいね」
「何が?」
「君の見てるものが分かる」
レインにも同じ変化が起きていた。
カインが境界をどう感じているのか。
どこが現実で。
どこからが境界なのか。
これまで説明されても理解できなかった感覚が、ほんの少しだけ分かる。
二人の人格は混ざっていない。
記憶も別々。
それでも。
情報だけが行き来している。
「右!」
レインが叫ぶ。
カインは確認しない。
そのまま右へ踏み込んだ。
レインの模倣体は回避しようとしたが、その移動先にはすでに境界干渉が置かれていた。
模倣体の動きが止まる。
「捕まえた」
カインが触れた瞬間、レインの模倣体が光へ変わった。
【受容核模倣体――撃破】
残るのは。
カインの模倣体。
◇◇◇
「次、俺の番か」
レインが息を整える。
カインが振り返った。
「どうやって倒すの?」
「それを考えてる」
「攻撃できないよね?」
「知ってる」
カインの模倣体が再び境界へ潜った。
レインは逃げない。
《世界接続》を最大まで広げ、相手が現れる場所を読む。
右ではない。
後ろでもない。
足元。
「そこ!」
地面から模倣体が現れた瞬間、レインは攻撃する代わりに《世界接続》を相手へ重ねた。
【対象――カイン模倣体】
【支援対象条件――不成立】
当然だった。
模倣体には自発的な共闘意思がない。
しかし。
それでよかった。
レインが調べたかったのは、支援できるかではない。
世界との接続位置だった。
一瞬だけ表示された情報を、そのまま本物のカインへ送る。
「分かった!」
カインが境界へ手を伸ばした。
だが、レインの偽物を倒した直後の位置からでは届かない。
そこでレインは、自分自身へ《後衛指揮》を使った。
攻撃ではない。
相手を倒すためでもない。
カインが干渉できる位置まで、敵を誘導する。
一歩下がる。
模倣体が追う。
さらに二歩。
模倣体が境界へ潜る。
レインは横へ避ける。
模倣体が出現する。
その場所こそ。
カインが待っていた地点だった。
「今!」
カインの《境界干渉》が発動する。
模倣体の身体が完全に現実側へ固定された。
それでもまだ消えない。
レインは手を伸ばした。
殴らない。
武器も持たない。
ただ。
《世界接続》を使う。
今度は敵ではなく。
カインへ。
「任せた」
「うん」
カインが模倣体へ触れる。
「君は僕じゃない」
境界核が砕けた。
模倣体は静かに光となって消えた。
【捕食核模倣体――撃破】
【二核試験――終了】
【判定――成功】
レインとカインは、その場へ座り込んだ。
ユウトが近づいてくる。
「結局レイン、一回も攻撃しなかったな」
「できないからな」
「それで試験に勝つのだから、やはりお前は変だ」
「褒めてる?」
「半分くらい」
ノアは表示を確認していた。
そして、珍しく少しだけ笑った。
「見ろ」
二人の前に新しい情報が現れる。
【Rain二核状態――更新】
【受容核:レイン・アーク】
【捕食核:カイン】
【独立人格――成立】
【相互支援――成立】
【統合――不要】
最後の一行を。
レインとカインは長く見つめた。
観測者が求め続けているもの。
二人を一つへ戻し。
Rainを完成させること。
その前提そのものが。
世界記録によって否定された。
【Rain完成条件――更新】
【二核統合ではなく、二核共存】
カインが息を吐く。
「これで正式に、僕は君へ戻らなくていいってことかな」
レインは少し考えた。
「違うだろ」
「何が?」
「最初から戻る必要なんてなかったんだよ。今、それが分かっただけだ」
カインは一瞬だけ黙った。
それから。
いつものように笑った。
「そういうことにしとく」
その時。
大量の経験値が二人へ流れ込んだ。
魔物を倒した経験ではない。
Rainとしての構造そのものが成長したことによる特殊経験値だった。
【Rain――真Lv76→78】
【カイン――Lv24→27】
レインは表示を見て固まった。
「……あと二つ」
深層推奨Lv80まで。
残り二。
だが。
続いて現れた表示に、ノアの表情が変わった。
【二核試験成功により――深層前室開放】
【次層危険度――極高】
【推奨真Lv80】
【保存対象反応――増大】
【境界外生命情報――確認】
そして。
もう一つ。
【消失個体との照合開始】
レインの心臓が強く鳴った。
【照合対象】
【ノエル・アーク】
カインから笑みが消える。
王都にいるルークへ自動的に《世界接続》が開き、遠く離れているはずの弟の声が聞こえた。
『兄さん……』
「ルーク?」
『僕にも見えた』
声が震えている。
『ノエルの記録が反応してる』
レインは目の前に開いた深層への扉を見る。
その向こうから。
ごく僅かに。
誰かの声が聞こえた。
『……兄……ちゃん……』
レインは動けなかった。
カインも。
ルークも。
誰も、その声を聞き間違えなかった。
三人が。
ずっと探していた。
消された弟の声だった。
――第六十話 了――




