第五十八話 二人のRain
第五十八話 二人のRain
【深層保存対象――境界外生命情報】
その表示を見た瞬間、レインの頭に浮かんだのはノエルだった。消えてしまった弟を独立した存在として取り戻すためには、真Lv100以上の支援核、《レゾナンス》の完成、境界外生命情報、そして世界からの承認が必要になる。そのうち世界からの承認については、レオンが保管していたノエルの世界記録によって道筋が見え始めている。
つまり、終焉回廊の深層にあるものを手に入れることができれば、残る大きな条件はレイン自身の成長と《レゾナンス》の完成になる。
「行こう」
レインが階段へ向かおうとすると、ノアが服を掴んで止めた。
「表示を最後まで読め」
「読んだよ」
「読んでいない。《到達推奨真Lv80》と書いてある。お前は74だ」
「六くらいなら何とかならない?」
「その発想で何度死にかけた?」
レインは答えに詰まった。
さらに問題なのはレインだけではなく、カインはまだLv18、ユウトに至ってはLv8である。深層がレインを基準に難度を設定しているのであれば、このまま全員で進むのは危険だった。
「だったら80まで上げてから行けばいいんだろ」
「それが妥当だ。幸い、この迷宮ではLv50以降の経験値補正が一部解除されている。まずは現在開放されている階層で戦い、深層へ入れるだけの戦力を整える」
ノアの判断に反対する者はいなかった。
ユウトだけが小さく手を上げる。
「確認だが、私も戦うのか?」
「当たり前だろ」
「私は元魔王であって、現在は一般人のLv8だぞ」
カインが笑う。
「ちょうどいいじゃん。レベル上げようよ」
「Lv18に言われると腹が立つな」
「二倍以上あるからね」
「低レベル同士で争うなよ」
レインが呆れていると、ユウトとカインが同時にこちらを見た。
「74が偉そうに言うな」
妙なところだけ息が合っていた。
◇◇◇
終焉回廊の第十階層から先では、魔物の性質が明らかに変わった。
単純にレベルが高いだけではなく、世界への定着そのものが不完全な個体が多く、攻撃を受けた瞬間だけ身体の一部を境界側へ逃がすものや、逆に周囲の空間へ身体を広げて攻撃範囲を変えるものまでいる。通常の冒険者であれば対処方法を見つけるだけでも時間がかかる相手だったが、現在の一行にはカインがいた。
「左!」
レインが叫ぶより先に、カインが境界へ手を差し込む。
空間へ逃げようとしていた魔物の身体が強制的に現実側へ引き戻され、その瞬間を帝国兵の槍が貫いた。レインは《全域支援》で身体能力を底上げしながら、敵の弱点と次の行動を共有し、ノアは複数の生還経路を組み替え続ける。
攻撃能力を持たないレイン自身は、一度も敵へ武器を向けない。
それでも彼がいることで、戦いの難度そのものが下がっていく。
そして今回、最も大きく変わったのはユウトだった。
「右から来るぞ。三秒後に潜る!」
まだ敵が動く前にユウトが叫び、その直後、本当に魔物が床へ潜った。
レインが驚く。
「何で分かった?」
「魔王だった頃に似た奴を使ってた。境界魔物は種類が違っても、魔力循環に共通する癖がある」
現在のユウトに魔王としての力は残っていない。
しかし。
百年以上、魔王として戦ってきた経験までは消えていなかった。
「ユウト、前に出なくていい。敵の動きを読んで」
「指揮役か?」
「ノアが全体、ユウトが魔物担当」
ノアもすぐに受け入れた。
「悪くない。私には境界魔物の実戦経験が不足している」
ユウトは一瞬だけ驚いた顔をした後、楽しそうに笑った。
「元魔王にも仕事ができたな」
カインが振り返る。
「無職卒業?」
「まだ職業欄は無職だ!」
戦闘を重ねるごとに、一行の動きは目に見えて良くなっていった。
そして第十二階層の大型境界獣を倒したところで、最初の変化が起きた。
【カイン――Lv18→21】
「三つ上がった」
「早いな」
レインが羨ましそうに言うと、カインは得意げに笑った。
「若いからね」
「レベルに年齢関係ないだろ」
続いて表示が現れる。
【ユウト――Lv8→13】
「五つ!」
今度はユウトが喜んだ。
レインは自分の表示を見る。
【Rain――真Lv74】
変化なし。
「……俺だけ上がらない」
ノアが冷静に答える。
「必要経験値が違いすぎる」
分かってはいる。
だが納得はしづらかった。
◇◇◇
第十三階層へ入ったところで、再び迷宮の構造が変わった。
それまで岩と石で造られていた回廊が突然途切れ、その先に広がっていたのは巨大な草原だった。天井はなく、青い空まで存在している。
ただし太陽は二つあった。
「ここ、この世界じゃないな」
カインがすぐに気づく。
ノアも周囲を解析する。
「迷宮内部に別世界の情報を再現している可能性が高い」
レインが草へ触れると、視界に情報が現れた。
【保存世界情報――第六層】
【世界名――消失済】
【保存率――4.8%】
そこでレインは理解した。
終焉回廊は魔物を閉じ込める場所ではない。
消えた世界を保存している。
草。
空。
空気。
生物。
そして、その世界で生きていた者たちの情報まで。
かつてのRainが集めたものなのだ。
「世界継承機構……」
第57話で見た記録の言葉が蘇る。
Rainは死にかけた世界から情報を運び、次の世界へ残すための存在。
ならば、この迷宮そのものが。
その保管庫なのかもしれない。
草原を進んでいる途中、レインは遠くに人影を見つけた。
一人の少女だった。
十歳くらいに見える。
白い服を着て、草原の中に立っている。
「人?」
ユウトが警戒する。
レインが解析した。
【保存情報】
【生命活動――なし】
【記録再現体】
少女はこちらに気づくと笑った。
『Rain』
レインは足を止める。
少女は知らない言葉を話しているはずなのに、なぜか意味だけは理解できた。
『また来たんだね』
「俺を知ってる?」
少女は首を横に振った。
『あなたじゃないよ』
また。
同じ言葉だった。
『前のRain』
少女が草原の奥を指す。
そこに一人の男が立っていた。
先ほど記録映像で見た黒髪のRainだった。
ただし、こちらは映像ではなく、少女と同じ保存記録らしい。
古いRainは少女の前へしゃがみ込んでいる。
『ごめんな』
『どうして謝るの?』
『世界を全部は持っていけなかった』
少女は笑った。
『でも、お花は残ったよ』
古いRainは何も言えなかった。
少女が一輪の小さな花を差し出す。
『次の世界にも咲く?』
長い沈黙の後。
Rainは答えた。
『咲かせる』
記録がそこで途切れた。
レインは足元を見る。
同じ花が咲いていた。
この草原そのものは、もう存在しない。
少女も。
世界も。
とうの昔に消えている。
それでも。
花だけは残った。
レインはようやく《世界継承機構》という言葉の意味を少し理解した気がした。
世界を喰うためではない。
滅びる世界から。
何かを次へ残すための存在。
「でも……」
カインが隣に立った。
「何?」
「だったら、何で昔のRainは世界を喰ったんだ?」
その疑問には誰も答えられなかった。
本来は世界を救うための機構。
それなのに三百十七年前のRainは、この世界そのものを吸収しかけた。
どこかで。
機能が壊れている。
◇◇◇
草原の奥で待っていたのは、巨大な白い獣だった。
【世界記録守護獣】
【Lv78】
レインは表示を見て嫌な顔をする。
「ほぼ俺と同じじゃん」
「お前は攻撃できないけどな」
ユウトが余計なことを付け加えた。
「分かってるよ」
戦いは、それまでとは比較にならないほど長引いた。
守護獣は保存世界そのものと繋がっており、傷を負っても周囲の情報を取り込んで身体を修復する。しかしレインは戦いながら、敵の回復に一定の間隔があることに気づいた。
「十二秒ごとだ。回復直後だけ世界との接続が弱くなる!」
ノアが即座に戦術を変更し、ユウトが守護獣の動きを読み、カインが十二秒ごとに境界接続を切る。帝国兵がその瞬間だけ攻撃を集中させることで、少しずつ再生能力を削っていった。
そして最後の接続が切れた時。
守護獣は静かに倒れた。
【世界記録守護獣――試練終了】
討伐ではなかった。
守護獣の身体が光となり、草原へ戻っていく。
【Rain適合試験――合格】
【特殊経験値――取得】
レインの身体に、これまでとは比較にならない量の情報が流れ込んだ。
【真Lv74→76】
「二つ!」
思わず声が出た。
ノアが少し笑う。
「ようやくだな」
続いて。
【カイン――Lv21→24】
【ユウト――Lv13→17】
ユウトが拳を握る。
「あと少しで無職Lv20だ」
「何で無職を強調するんだよ」
その時。
草原の中央に新しい扉が現れた。
【深層入口まで――残り二階層】
【Rain真Lv――76】
【推奨――80】
そして。
別の表示。
【次層保存記録】
【記録対象――Rain】
【時代――照合不能】
【特記事項――二核分離済】
レインとカインが同時に表示を見る。
「二核分離……?」
父が二人を分けたのは。
現在だけではなかった。
かつてのRainにも。
レインとカインのように。
二人へ分かれた時代があった。
そして、その記録が。
次の階層に残っている。
――第五十八話 了――




