第五十七話 俺ではないRain
第五十七話 俺ではないRain
「お前は、俺じゃない」
終焉回廊の奥から響いてきた声は大きくなかった。それなのにレインの耳には妙にはっきりと届き、しかも初めて聞いたはずの声に、懐かしさにも似た感覚を覚えた。三百十七年前のRainの記録を見た時とも、二百十四年前のRainが《レゾナンス》を造った記憶に触れた時とも違い、もっと古く、自分自身の奥底に直接触れられているような不快な感覚だった。
カインも同じものを感じたらしく、いつもの軽い表情を消して暗い回廊の奥を見つめている。
「僕も知ってる気がする」
「お前も?」
「記憶じゃないよ。もっと下にあるものが反応してる感じかな。君と分かれる前からあったものだと思う」
それなら、七歳の時に父によって二人へ分離されるより遥か以前から存在していた情報ということになる。レインが《世界接続》で声の発生源を探ろうとすると、迷宮そのものが干渉を拒むように震えた。
【旧所有者権限――作動】
【現Rain――認証拒否】
【理由――個体情報不一致】
ユウトが表示を見て眉を寄せる。
「所有者がRainなのに、Rainが入れないってどういうことだ?」
「Rainが個人名じゃないってことだろうな」
ノアが周囲を警戒しながら答えた。
「今まで見てきた記録から考えても、Rainという存在は現在のレイン一人を指していない。三百十七年前の青年、二百十四年前の男、百十七年前の女、そして現在のレイン。それぞれ姿も人格も違うのに、世界記録ではすべてRainとして扱われている。この迷宮を所有していたRainと現在のレインは、同じ系統に属していても同一人物ではないということだ」
レインとしては納得したくない説明だったが、否定できる材料もなかった。
「とりあえず進もう。ここで考えてても答えは出ない」
終焉回廊の内部は、帝国から提供された地図と最初の数階層こそ一致していたものの、第五階層を越えたところから構造が変わり始めた。昨日まで存在していたはずの通路が消え、逆に帝国軍が一度も確認していない階段が現れている。
その理由は、レインが近づくとすぐに判明した。
【旧所有者反応により迷宮構造を変更】
【封鎖領域――一部開放】
「歓迎されてるのか、殺されようとしてるのか分からないな」
「両方じゃない?」
カインの答えを聞きながら階段を下りた直後、前方の空間が大きく歪んだ。
そこから現れた魔物を見て、ユウトが反射的に後ろへ下がる。
巨大な四足獣だった。全身が黒い甲殻に覆われ、頭部には目がなく、代わりに空間そのものを裂くような細長い口がある。
レインが解析する。
【境界獣グラウス】
【推定Lv――63】
【世界所属――不完全】
【物理耐性――82%】
【魔法耐性――71%】
「いきなり63?」
カインが嫌そうに言った。
「俺74だから大丈夫そうに見えるけど、攻撃できないからな」
「知ってるよ」
「私8なんだけど」
「ユウトは下がってろ」
「元魔王への扱いとは思えない!」
グラウスが飛びかかってきた瞬間、レインは攻撃するのではなくカインへ《才能共鳴》を集中させた。カイン自身のレベルは18に過ぎないため正面から戦えば勝負にならないが、彼が持つ《境界干渉》は、世界への所属が不完全な敵に対して通常とは比較にならない効果を発揮する。
「右前脚じゃない。本体と世界を繋いでる場所が首の下にある!」
「見えてる!」
カインがグラウスの攻撃を避けながら境界へ干渉すると、黒い甲殻の一部が一瞬だけ透明になった。
そこへ帝国から同行した二人の精鋭兵が攻撃を叩き込む。
一撃では倒れない。
それでもレインが攻撃位置、回避方向、魔力循環の乱れを次々と共有し、ノアが生還経路を修正していくことで、格上の境界獣を少しずつ追い詰めていった。
数分後、グラウスの巨体が床へ崩れ落ちる。
【境界獣グラウス――討伐】
【特殊成長領域補正――適用】
【Rain経験値取得】
レインは期待して表示を待った。
【真Lv74――維持】
「上がらないのかよ」
ノアが呆れたように見る。
「一匹倒しただけで74から75へ上がると思う方がおかしい」
「特殊成長領域って出たから期待するだろ」
「あと百匹くらいやれば?」
カインが笑う。
「お前も戦うんだからな」
「僕はレベル上がりやすいから歓迎だよ」
実際、カインにはかなりの経験値が入っていた。世界の通常上限より遥かに低いLv18であるため、同じ敵を倒しても成長効率がレインとはまったく違う。
その時、ユウトが倒れたグラウスの身体を調べながら声を上げた。
「レイン、これを見てくれ」
黒い甲殻の内側に、小さな刻印が残っている。
古代文字でも帝国文字でもない。
それなのに、レインには読めた。
――帰還個体、失敗。
「帰還個体?」
カインも読めたらしい。
さらにその下には、もっと小さな文字が刻まれていた。
――次のRainへ経験を残す。
レインとカインが同時に黙った。
この迷宮は、単なる高難度迷宮ではない。
Rainのために造られている。
◇◇◇
第九階層まで進んだところで、帝国軍の既存地図は完全に役に立たなくなった。
そこから先には魔物の姿がなく、代わりに巨大な石造りの扉が一つだけ存在していた。
扉の中央には手形がある。
レインが触れようとすると、カインが腕を掴んだ。
「待って」
「何?」
「僕も触る」
「何で?」
「さっき君だけ認証拒否されたでしょ。今のRainは僕と君に分かれてる可能性がある」
もっともだった。
二人は並んで扉へ手を置いた。
【Rain情報――照合】
【第一個体――不一致】
【第二個体――不一致】
【合算照合――開始】
しばらく沈黙が続く。
やがて。
【一致率――71%】
【限定権限――承認】
重い音とともに扉が開いた。
その向こうにあったのは、迷宮とは思えない小さな部屋だった。
家具も武器もない。
中央に一脚の椅子があり、その前に透明な結晶が浮かんでいる。
レインが近づくと、結晶から光が広がった。
そして、一人の男が現れた。
三十歳前後。
黒髪。
だが、現在のレインとは似ていない。
その男は椅子へ座り、ひどく疲れた顔でこちらを見ていた。
記録映像だ。
男が口を開く。
『ここまで来たということは、またRainが生まれたんだろう』
レインは息を止めた。
『俺が何代目なのかは分からない。もう数える意味もなくなった。ただ、次のお前が俺と同じ失敗をしないように、ここへ記録を残す』
映像の男は、自分の胸へ手を置いた。
『最初に知っておけ。Rainは人間の名前じゃない』
レインの表情が強張る。
『職業でも、種族でもない。俺たちは、死にかけた世界から情報を運ぶために作られた《世界継承機構》だ』
ノアが小さく息を呑んだ。
エリアスが立てていた仮説。
死にゆく世界の情報を吸収し、次の世界へ運ぶ存在。
それが、ほとんどそのまま語られている。
しかし映像は続いた。
『問題は、それを作った奴が誰なのか、俺にも分からないことだ。観測者じゃない。少なくとも、あいつはRainを作っていない』
レインとカインが同時に顔を上げた。
『観測者は俺たちを利用しようとしているだけだ。Rainが世界を吸収し、情報を保存し、新しい世界へ定着させる。その機能を奪えば、あいつ自身が世界を持てるからだ』
ここまではエリアスの推測と一致する。
だが。
次の言葉だけは違った。
『そして、もう一つ』
映像の男が正面を見る。
『Rainは、一人じゃ完成しない』
カインの表情が変わった。
『俺たちには必ず、二つの核がある。一つは世界を受け入れる核。もう一つは世界を喰う核。この二つが一つの身体に入ることで、世界の情報を取り込みながら自分を失わずにいられる』
レインは隣のカインを見る。
父が七歳のレインを分けた時。
支援し、他者へ寄り添う側がレインへ残り。
捕食し、境界へ干渉する側がカインとなった。
偶然ではなかった。
最初から。
Rainという存在そのものが。
二つの性質を持っていた。
映像の男が続ける。
『ただし、勘違いするな』
その声が強くなった。
『二つを一つに戻せば完成する、という意味じゃない』
カインが目を見開いた。
『俺はそれをやった』
映像の男は苦しそうに笑った。
『相方を喰って、一人になった。完全なRainになれば世界を救えると思った』
映像の背後に、崩壊する都市が映る。
空が裂け。
大地が消えていく。
『結果は逆だった』
男の声が震えた。
『一人になった瞬間、俺は自分を止めるものを失った』
レインは何も言えなかった。
『だから次のRainへ残す』
男が椅子から立ち上がる。
『二つで一つになるな』
そして。
『二人のまま、完成しろ』
記録が消えた。
部屋に沈黙が残る。
レインは隣を見る。
カインもこちらを見ていた。
「……聞いた?」
「ああ」
「僕を食べるの禁止ね」
「最初から食べる気ないよ」
「一応確認」
ユウトが後ろから呟く。
「つまり、お前たちを無理に融合させようとしている観測者は、完成方法そのものを間違えている可能性があるのか」
ノアは首を横に振った。
「違うかもしれない。観測者にとっては、失敗する方が都合がいい可能性もある」
レインが振り返る。
「どういうこと?」
「二人のRainを一つへ戻せば、世界を喰う制御不能なRainになる。それこそ観測者が欲しがっているものじゃないのか?」
誰も答えなかった。
その時。
部屋の奥に。
新しい階段が現れた。
【旧Rain記録――第一封印解除】
【深層領域――開放】
【次回記録条件】
【Rain二核――双方生存】
【到達推奨真Lv――80】
そして最後に。
もう一つ表示された。
【深層保存対象――検出】
【境界外生命情報――あり】
レインの目が変わった。
それは。
ノエルを取り戻すために必要なものだった。
終焉回廊のさらに深い場所に。
レインたちが探していた答えの一つが。
確かに存在していた。
――第五十七話 了――




