第五十六話 終焉回廊
第五十六話 終焉回廊
観測者の内部へ入るためには、レインの実レベルを最低でも100まで上げなければならない。エリアスからその条件を聞かされた一同は帝国皇宮の会議室へ移ったが、そこで最初に問題になったのは、残り二十六レベルをどうやって十四日以内に上げるかという、単純でありながら極めて厄介な問題だった。
「普通の魔物を倒して経験値を稼ぐ方法では間に合わない」
ノアは帝国側から提供された魔物分布図を見ながら、最初にその選択肢を切り捨てた。
「レインはすでにLv74で、しかもLv50を越えてから必要経験値が通常の五倍になっている。帝国軍の計算では、高位魔物が密集する地域で休まず戦い続けたとしても、十四日でLv100へ到達できる可能性は低い。それ以前に、お前自身に攻撃能力がない以上、仲間へ負担が集中する」
「俺だけ上げるために、みんなに魔物を何万匹も倒してもらうのは嫌だな」
「何万で済めばいいけどね」
カインの余計な一言に、レインはさらに嫌そうな顔をした。
レベル50という世界共通の上限を越えた時点で、通常の冒険者が使う成長方法はほとんど参考にならない。レイン自身が規格外であるため前例もなく、さらに現在は世界各地で境界門への対応が必要になっている。ガルドたちを長期間レベル上げだけに付き合わせる余裕などなかった。
その時、それまで黙って話を聞いていたヴァルディオスが、帝国北西部を指した。
「一か所だけ候補がある」
皇帝が指した場所には、山脈に囲まれた巨大な黒い領域が描かれていた。
「《終焉回廊》。帝国が確認している中では最高難度の迷宮で、十年前から攻略を続けているが、いまだ最深部へ到達した者はいない。通常の迷宮と違って内部の魔物が非常に高位であることに加え、倒した魔物が一定期間後に再構成されるため、帝国では攻略不能迷宮に指定している」
「いかにも入っちゃいけない名前だな」
レインが呟くと、ユウトも真顔で頷いた。
「終焉って付いている場所へ、自分から行きたくはないな」
「元魔王が何を怖がってるんだよ」
「元だ。今はLv8の無職だぞ。怖いに決まっている」
「そこを威張るな」
二人のやり取りを無視して、ヴァルディオスは説明を続けた。終焉回廊では高位魔物が大量に出現するものの、帝国が攻略を断念した最大の理由はそこではない。地下深くへ進むほど世界の法則そのものが不安定になり、通常なら存在できない魔物や物質が確認されるようになるため、最深部付近には境界外領域と接触している場所があると考えられているという。
それを聞いた瞬間、レインたちの表情が変わった。
「境界外の物質があるのか?」
「確認されている。持ち帰ることには成功していないがな」
ノアはすぐに意味を理解した。
「ノエルを復元するために必要な《境界外生命情報》を得られる可能性がある。さらに観測者へ入るための情報も見つかるかもしれないということか」
ヴァルディオスは頷いた。
単なるレベル上げのためだけなら危険すぎる。しかし、ノエル復元と観測者への侵入という二つの目的まで同時に進められるのであれば、危険を冒す価値は十分にある。
レインが迷宮の情報へ手を伸ばした、その時だった。
視界の端に、見覚えのない表示が浮かび上がった。
【特殊領域を検出】
【終焉回廊】
【世界記録との照合を開始】
続いて表示された文字を見て、レインの手が止まった。
【Rain存在記録――検出】
「……ちょっと待て」
全員がレインを見る。
「どうした?」
「この迷宮に、Rainの記録がある」
ヴァルディオスが眉を寄せた。
「お前が以前ここへ来たという意味か?」
「分からない。俺自身は来たことがない。でも、三百十七年前のRainみたいに、昔の俺……というか、昔のRainが来た可能性はある」
すぐに王都のルークへ《世界接続》を繋ぐと、しばらくして少年の声が返ってきた。
『兄さん、その迷宮の情報、もう少し見せて』
レインが終焉回廊の位置情報と世界記録を共有すると、ルークはしばらく黙り込んだ。失われた情報を読み取る《記録保持者》である彼には、レインには見えない古い記録まで見えているらしい。
『……ある』
「三百十七年前?」
『違う』
短い返事の後、さらに長い沈黙が続いた。
『もっと古い。すごく壊れてるから正確な年代は分からないけど、三百十七年前よりずっと前だと思う』
レインは思わず椅子へ座り直した。
これまで確認されていたRainの存在記録は、三百十七年前、二百十四年前、百十七年前、そして現在のレインへ繋がる約三十年前のものだった。さらにルークの能力によって、それ以前にも複数の世界を渡っていた可能性が示されているが、この世界で三百十七年前より古いRainの記録が具体的な場所と結びついて見つかったのは初めてだった。
「何をしてたか分かる?」
『まだ全部は読めない。でも、一つだけはっきり残ってる』
「何?」
ルークの声が少し低くなった。
『そこでRainが死んでる』
会議室から言葉が消えた。
ユウトが最初に口を開いた。
「それは本当に、この世界の記録なのか?」
『うん。終焉回廊の深いところにRainが入って、その後、存在記録が一度途切れてる。死んだっていう記録も残ってるけど、その先が壊れてて読めない』
「そのRainが、また別の時代に現れた?」
『多分。でも、まだ繋がらない』
レインは腕を組んだまま考え込んだ。
これまで「最初」と考えていた三百十七年前のRainですら、本当の最初ではなかった可能性が高い。もし終焉回廊にそれ以前の記録が残されているなら、Rainという存在がなぜ何度も世界へ現れるのか、その答えへ近づけるかもしれない。
「行くしかないな」
ノアは予想していたように頷いた。
「ただし、全員では行かない。世界各地の境界門は一時的に減っただけで、本格侵攻まで十四日という状況は変わっていない。王国と帝国の防衛戦力を迷宮攻略へ集中させるのは危険だ」
今回の攻略隊は、レイン、カイン、ノア、ユウトを中心に編成し、帝国側から迷宮に詳しい案内役を加えることになった。レイとソラは王都に残して観測者の動きを監視し、ガルド、リリア、エマも引き続きベルク方面を守る。特に《レゾナンス》を持つエマは本来なら同行させたいところだが、境界外領域へ到達するまでは遠隔支援で対応し、必要になった段階で合流方法を検討することになった。
「俺は?」
レオンが尋ねると、ノアは即答した。
「国へ帰れ」
「もう少し言い方があるだろう」
「国王が二日続けて国を空ける方が問題だ」
ヴァルディオスが珍しく同意した。
「その女の言う通りだ。国王は国へ戻れ」
レオンは不満そうだったが、反論できなかった。
◇◇◇
翌朝、帝国軍の転移施設を使い、攻略隊は終焉回廊の入口がある北西山岳地帯へ移動した。
巨大な岩山の裂け目に造られた迷宮入口は、冒険者が挑戦する一般的な迷宮とはまるで違い、その周囲には帝国軍の要塞が築かれていた。十年間にわたる攻略で死亡した兵士や冒険者は決して少なくなく、現在では許可なく立ち入ること自体が禁止されている。
入口へ近づいたレインは、空気の違いをすぐに感じた。
魔力が濃いのではない。
世界との繋がり方そのものがおかしい。
《世界接続》を使うと、普段なら無数に感じられる世界側の情報が、迷宮内部だけ途中で途切れている。
「ここ、本当にこの世界の中なのか?」
カインも同じものを感じたらしい。
「半分くらいはね。でも奥の方は、僕がいた場所に少し似てる」
「アビス?」
「そこまで深くはない。でも境界に近い」
ユウトが入口を見つめながら、珍しく冗談を言わなかった。
「嫌な感じがする。魔王だった頃、この場所を知っていた気がする」
「来たことある?」
「分からない。記憶じゃなくて、魔王として持っていた情報の残りみたいな感じだ」
それだけでも、入る理由は増えた。
レインが一歩、終焉回廊へ踏み込む。
その瞬間。
視界に表示が現れた。
【終焉回廊――入場確認】
【真Lv74】
【特殊成長領域――適用】
【Lv50以上経験値補正――一部解除】
「え?」
レインが足を止める。
ノアが表示を確認して目を見開いた。
「この迷宮の内部では、世界のレベル上限が正常に働いていないらしい。Lv50以降の経験値増加補正が弱くなっている」
カインが笑った。
「当たりじゃない?」
「こういう時の当たりって、大体あとで酷い目に遭うんだよ」
さらに表示が続く。
【深層到達時――世界外成長領域へ移行】
【推定到達可能Lv――100以上】
それだけなら、望んでいた条件が揃ったと言えた。
しかし最後に現れた文字を見て、レインの表情が消えた。
【旧所有者情報を検出】
【所有者――Rain】
【権限照合中】
【照合結果――不一致】
そして迷宮の奥から、聞いたことのない男の声が響いた。
「違う」
全員が武器を構える。
声は、さらに続いた。
「お前は、俺じゃない」
レインだけが動けなかった。
その声を。
なぜか。
知っている気がした。
――第五十六話 了――




