第五十話 アークという
第五十話 アークという名
老人が名乗った「アーク」という二文字を聞いた瞬間、レインの中で、これまで別々に存在していたいくつもの疑問が一斉に結びつき始めた。
父が自分に与えた姓。現在の名であるレイン・アーク。そして、三百十七年前にこの世界へ最初のRainが現れたという記録。さらに、この第三鉱山の最深部に残されていた、世界と境界を繋ぐ最古の傷。
目の前に立つ老人は、そのすべての始まりに自分が関わっていたのだと告げた。
老人の姿そのものに、特別な威圧感はない。長く伸びた白髪と深い皺、痩せた身体を包む白いローブ。外見だけなら、辺境の村に一人くらいはいそうな老魔術師にしか見えなかった。
だが、レインの解析は何度試しても正常に働かなかった。
【対象解析――失敗】
【世界記録照合――失敗】
【生命反応――存在】
【世界登録――なし】
最後の表示を見た瞬間、レインは眉をひそめた。
「世界登録がない……?」
カインが境界から分離した直後でさえ、不完全ながら世界側には存在記録が残っていた。レイも零号だった頃からこの世界に肉体を持ち、実験体として確実に記録されている。
だが、目の前の老人には、その最低限の登録すらない。
この世界に立っているのに、この世界の誰でもない。
その異常性は、下手な高レベル表示よりも不気味だった。
「お前、人間じゃないのか」
レインが問いかけると、老人――アークはわずかに口元を緩めた。
「人間だった、と答えるのが最も正確だろう」
その言葉に、ユウトの表情が硬くなる。
「だった?」
「君と同じだよ、結城悠斗」
今度はユウトが完全に顔色を変えた。
「……私の名前を知っているのか」
「当然だ。君をこちらへ運んだのも私なのだから」
その場の空気が一気に冷えた。
三百年以上前、交通事故で死亡した結城悠斗。その一年後、境界へ引き込まれたRain。そして、別世界へ落とされた二人。
一人は世界法則を喰らって適合する存在となり、一人は魔王へと変質した。
その出発点にいた人物が、今まさに目の前にいる。
レインは一歩前へ出た。
「さっき、お前は俺をこの世界へ呼んだと言ったな」
「ああ」
「ユウトも?」
「ああ」
「だったら、俺たちを地球からこの世界へ連れてきたのは、お前なのか」
アークは否定しなかった。
ユウトの拳がゆっくりと握られる。
「何のためだ」
アークはすぐには答えず、むしろ完全な人間へ戻ったユウトを興味深そうに観察していた。
「興味深い。魔王の情報がほぼ消えている。《レゾナンス》を使ったのか」
「質問に答えろ」
「やはり完成へ近づいているらしいな」
「ユウトが聞いてる」
レインが割って入ると、アークは視線をレインへ戻した。
「君は昔から、人の質問に割り込む癖がある」
「三百年前の俺に言え」
「最近、それ便利だね」
カインが横で笑ったが、レインは無視した。
アークはそんな二人をどこか懐かしそうに見た。その表情が、レインには妙に気に入らなかった。
まるで。
最初から最後まで、すべて知っている者の顔だった。
「答えは簡単だ」
ようやくアークが口を開く。
「世界を救うためだよ」
しばらく誰も反応しなかった。
最初に口を開いたのはカインだった。
「それ、一番信用できない答えだね」
「同感だ」
レインも即座に続ける。
アークは小さく苦笑した。
「随分と疑い深くなった」
「三百年以上、知らないところで好き勝手に利用されていたら普通そうなる」
「利用、か」
アークはその言葉を噛みしめるように繰り返した。
「なるほど。君にはそう見えているのか」
「少なくとも、零号を作った」
「レイだ」
後ろから、静かな声がした。
アークがそちらを見る。
レイが自分の足で一歩前へ出ていた。
つい先ほどまで魔王という世界機能に呑み込まれかけ、今も疲労が色濃く残っている。それでも、彼女はレインの背後に隠れなかった。
「私は、もう零号じゃない」
アークが僅かに目を細める。
「自分で名を選んだか」
「レインが候補を出した。でも、選んだのは私」
「そうか」
アークはそこで初めて、研究対象ではなく一人の個体を見るようにレイを見た。
レイは震える手を握りしめる。
「私を最初に作ったのは、あなた?」
「正確には、君の原型を作った」
「何のために」
「必要だったからだ」
その返答を聞いた瞬間、レイの表情が固まった。
必要だった。
その言葉は、命令と同じくらい彼女にとって嫌な言葉だった。
レインがすぐに割って入る。
「何に必要だった」
「境界適合個体だ」
アークは感情を交えず説明した。
「Rainをこの世界へ定着させるためには、境界由来の生命情報が、この世界でどこまで安定して存在できるのかを確認する必要があった。王国魔術院は、その研究を進めるには非常に都合がよかった」
ノアがすぐに理解する。
「つまり、零号から十二号までの個体は、すべてそのための実験?」
「そうだ」
「アレンも?」
「そう」
「ソラも?」
レインが続ける。
「当然だ」
「全員、道具だったってことか」
レインの声が低くなる。
「研究に必要な個体だった」
その言葉に、レイの肩が震えた。
カインが彼女の前へ半歩出る。
「それ以上、そういう言い方はしない方がいいよ」
「なぜだ」
カインは笑っていた。
だが目だけは全く笑っていない。
「今、かなり君を殴りたい」
レインが横から言う。
「お前、攻撃できるから少し羨ましい」
「二人とも今はやめろ」
ノアの冷静な声が飛んだ。
◇◇◇
レインは怒りに任せて動く代わりに、老人の言葉を一つずつ整理し始めた。
アークはRainを地球からこの世界へ呼び寄せた。
ユウトも同じように運んだ。
最初のRainは世界へ適合できず、世界法則そのものを捕食しながら暴走した。その後、Rainは百年前後の間隔で姿を変えながら何度も再出現している。
さらにアークは、境界適合個体として零号から十二号までを作らせた。
そして。
父は。
この研究を知っていた。
「父さんと、お前はどういう関係だった」
レインが尋ねると、アークの表情が初めてわずかに変化した。
「優秀な弟子だった」
「弟子?」
レインにとっては完全に予想外だった。
「ああ。私が王国魔術院へ潜り込んでいた頃、彼はまだ若い研究者だった。境界理論に関しては、歴代でも屈指の才能を持っていたよ」
父が独力で外部成長核へ辿り着き、カインを分離し、記憶改変まで行ったと思っていた。
だが違った。
その入口を教えた人物がいた。
「父さんは、お前がRainを探していたことを知ってた?」
「途中で気づいた」
「だから俺を隠した?」
「おそらく」
「おそらく?」
「彼は途中から、私へ研究成果を報告しなくなった」
アークは少しだけ笑った。
「私を裏切ったからだ」
その言葉を聞いて、レインは不思議なことに怒りではなく、わずかな安堵を覚えた。
父は。
最後には。
この男より。
自分を選んだ。
「何をしたんだ」
「君の出生だ」
アークは静かに続けた。
「本来、私は次のRainを人工的な肉体へ定着させる予定だった」
カインの表情が変わる。
「人工肉体?」
「ああ。零号たちの研究には、その意味もあった」
レイが自分の身体を見る。
「私たちは……Rainの身体になるために?」
「候補だ」
レインの声が一気に冷たくなる。
「ふざけるな」
「事実だ。正確には、Rainを受け入れるための肉体というより、境界生命情報を安定して固定できる器だ。その中で最も高い適合率を示した個体に、Rainを定着させる予定だった」
レイは境界適合率100%を越えた唯一の存在だった。
つまり。
本来なら彼女が。
次のRainの器になっていた可能性が高い。
「でも、俺は普通に生まれた」
レインが言う。
「そこが最大の誤算だった」
「父さんが何をした」
アークはしばらく黙った後、少しだけ感情を滲ませた。
「彼は、私が保管していた世界外成長核を盗んだ」
レインは動きを止める。
「そして、自分のまだ生まれていない子供へ移植した」
父の記憶と繋がった。
本来なら成長核を持たず、胎内で死ぬはずだった子供。
その子に、境界外の成長核を移植した。
それで。
レインは生まれた。
だが。
話の順序が。
微妙に違う。
「俺が死にかけていたから、父さんが成長核を入れたんじゃないのか」
「それも正しい」
「それも?」
「その胎児は、本来なら生存できなかった。しかし同時に――」
アークがレインを見つめる。
「Rainを自然な形で受け入れられる、最初の肉体だった」
レインの呼吸が止まった。
「父さんは、それを知った?」
「ああ」
「だから核を盗んだ?」
「そうだ。私の計画を壊して、Rainを器へ入れるのではなく、自分の息子として生ませた」
◇◇◇
しばらく、レインは何も言えなかった。
父は無茶をする。
何も言わず。
全部一人で決める。
最悪だと思うこともある。
だが。
そこまでして。
自分を「存在」や「器」ではなく、「息子」として生かした。
「彼は、Rainを世界機能として完成させるのではなく、人として育てれば結果が変わると考えた」
「変わった?」
レインが聞く。
アークはすぐには答えなかった。
「俺は、昔のRainと違う?」
「非常に」
それは意外な答えだった。
「どこが」
「過去のRainは、誰かを助けようとしても、最後には必ず一人で解決しようとした。自分が壊れれば済むなら、それで構わないと考えていた」
「それは聞いた」
「だが今の君は違う」
アークはレインではなく、その周囲を見た。
ノア。
カイン。
ユウト。
ルーク。
レイ。
さらに、離れていても《リベレーションⅡ》で繋がっている仲間たち。
「今の君は、自分の力を自分のためではなく、他人へ渡している」
「それが問題?」
「逆だ」
アークの目に、研究者としての興味が強く浮かぶ。
「それこそ、私が三百年以上かけても作れなかったRainの完成形かもしれない」
レインはその言葉に嫌なものを感じた。
「完成形って何だ」
ユウトが代わりに問いただす。
アークはゆっくりと答えた。
「Rainは、世界を渡るために作られた存在だ」
「誰に?」
「それは私にも分からない」
全員が止まった。
「お前が作ったんじゃないのか」
「違う」
アークは首を横に振る。
「私はRainを作ったのではない。見つけたんだ」
「どこで」
「地球だ」
◇◇◇
レイン、カイン、ユウトの三人が同時に表情を変えた。
アークが三百年以上前に地球へいた。
「お前も地球人だったのか」
「だった」
「日本人?」
「違う。私は別の国の人間だ」
「職業は」
「研究者」
「何の研究」
「物理学だ」
ユウトがそこで反応した。
「境界を、地球にいた頃から研究していた?」
「境界とは呼んでいなかった。私たちは《異世界間情報層》と呼んでいた」
レインは眉を寄せる。
「地球にいた時点で、異世界の存在を知ってた?」
「知っていたのではない。仮説として存在を疑っていた。私は、それを証明しようとしていた」
「それで何を見つけた」
アークは、真っ直ぐレインを見る。
「君だ」
「俺?」
「正確には、君の元個体だ。まだ地球で普通の人間として生活していた頃のRainだ」
ユウトがすぐに否定する。
「待て。Rainは私の友人だった。普通の大学生だぞ」
「そうだ。だからこそ興味深かった」
レインは嫌な予感を覚えた。
「何が」
「彼は、生まれつき境界と繋がっていた」
◇◇◇
元のRainは、地球で普通の日本人として生まれた。
自分が特別な存在だと知ることもなく、家族や友人と暮らし、学校へ行き、大学へ進んだ。
ただし。
ごく僅かに。
境界との接続反応があった。
本人も。
周囲も。
当然気づかない。
だが、地球側で異世界間情報層を研究していたアークの装置だけが、その異常を偶然検出した。
「それで俺を観察した?」
「観測した」
「同じだろ」
カインが即座に言う。
「最悪」
アークは無視して続けた。
「君の周囲では、現実の情報に微細な揺らぎが生じていた。本来なら起きる可能性が極めて低い出来事が、ほんの僅かだが発生しやすくなっていた」
ノアが眉を寄せる。
「確率偏向?」
「ああ」
レインは何となく嫌な予感がした。
カインがこちらを見る。
「悪運」
「……」
「君、本当に悪運だけは強かったんだね」
「嬉しくない」
これまで何度も言われてきた。
戦闘能力は低い。
攻撃は一切できない。
危険な状況には巻き込まれる。
なのに。
何故か。
最後の最後では。
生き残る。
「俺の悪運って、能力だったのか?」
「能力というより、境界接続による確率偏向と考えた方が近い。ただし元のRainは完全に無意識だった」
そこで。
ユウトが最も聞きたくない質問をした。
「交通事故は?」
レインの顔が強張る。
「私がRainを庇って死んだ事故だ。あれも確率偏向だった可能性があるのか」
アークは長く黙った。
「断定はできない」
「可能性は」
「ある」
レインの胸が重くなる。
ユウトが死んだ。
自分が生き残った。
もし。
それすら。
自分の力が無意識に作った結果だったなら。
「違う」
ユウトが言った。
レインは顔を上げる。
「まだ何も言ってない」
「顔に出てる」
カインも頷く。
「僕も分かる」
ユウトはレインを真っ直ぐ見た。
「あの日、私がお前を突き飛ばした。それは私が決めた。車が来たことも、お前がそこにいたことも、確率がどう動いたのかも知らない。でも、私がお前を助けると決めたことまで、お前の責任にするな」
「でも」
「全部自分の責任にするな」
その言葉に。
レインは黙った。
カインが小さく息を吐く。
「本当に昔から変わらないね」
「分かった」
ユウトが疑うように見る。
「本当に?」
「たぶん」
「そこを直せ」
◇◇◇
アークは、そのやり取りを静かに見ていた。
「やはり違う」
「何が」
「昔のRainなら、その場で全員を黙らせて、自分だけで結論を出していた」
レインは少し笑った。
「今は周りがうるさいから」
ノアがすぐに返す。
「それを仲間と言う」
「分かってる」
◇◇◇
話は再び三百十七年前へ戻った。
ユウトが交通事故で死亡した後、Rainの精神状態は大きく悪化した。それに呼応するように、元々微弱だった境界反応も強まっていった。
そして一年後。
雨の夜。
橋の上。
アークは地球側で、異世界間情報層を人工的に開く実験を行っていた。
「じゃあ、橋で俺に『生きたいか』って聞いた声」
レインが問う。
「あれはお前か?」
「違う」
アークは即答した。
「私は境界を開いただけだ」
その瞬間。
レインの背筋が冷たくなる。
「じゃあ、あれは誰だった」
アークは静かに答えた。
「観測者だ」
全員が沈黙した。
「奴は地球にもいた?」
「いた、という表現は正しくない。奴はどの世界にも属していない。境界そのものに存在する情報生命体。それが最も近いだろう」
ノアが呟く。
「世界外存在」
「そうだ。そして私が境界を開いた瞬間、奴はRainを見つけた」
「だから俺を世界渡航体にした?」
「違う」
アークは否定する。
「そこが、私にも長く分からなかったところだ。観測者はRainを作り変えたのではない」
レインが眉を寄せる。
「じゃあ何をした」
「目覚めさせた」
◇◇◇
その言葉は、これまでの前提をもう一度崩した。
元個体は人間。
それは間違いない。
しかし。
人間として生きていた時から。
Rainという構造が。
その内側に。
眠っていた。
「じゃあ俺は、最初から世界渡航体だったのか」
「少なくとも、その核となる何かは地球にいた頃から存在していた」
「それは人間なのか?」
「元個体は間違いなく人間だ。ただし、Rainという構造自体は人間より遥かに古い可能性がある」
その時。
ルークが突然、小さな声で言った。
「ある」
全員がそちらを見る。
「何が」
「Rainの記録」
ルークの目が、淡く光っている。
《記録保持者》。
世界記録の深部へ触れている。
「三百十七年前が最初じゃない」
アークの表情が初めて大きく変わった。
「何だと?」
「もっと前」
「この世界で?」
ルークは首を振る。
「違う世界」
レインが息を呑む。
「俺より前にRainがいた?」
「うん。たくさん」
「人間?」
「分からない」
ルークは苦しそうに額を押さえた。
「海みたいな世界。空しかない世界。星がたくさんある場所。全部違う。でも、Rainっていう何かが何度もいる」
アークが思わず一歩近づく。
「もっと見せろ」
レインがすぐに間へ入った。
「近づくな」
「その少年の記録は重要だ」
「命令するな」
今度はレイが言った。
アークはそこで止まった。
レインはルークへ向き直る。
「無理するな」
「大丈夫」
「本当に?」
「うん」
ルークはもう一度、深く世界記録へ潜る。
「Rainが……何か運んでる」
「何を」
「記憶」
「誰の」
ルークは目を閉じたまま答えた。
「世界の」
その言葉に。
アークが小さく呟く。
「そうか」
レインが振り返る。
「何が分かった」
「Rainは世界を渡る存在ではないのかもしれない」
アークの目に、強い興奮が浮かぶ。
「世界の情報を運ぶ存在だったのか」
ノアが即座に言う。
「種子庫みたいなものか」
「近い」
アークは頷いた。
「世界が滅びる時、その世界の情報や法則、生命の記録を保存し、次の世界へ運ぶ」
レインは、自分の能力表示を思い出した。
適合。
侵食。
再構築。
「じゃあ俺の侵食とか再構築って」
「本来は生きている世界を壊すためのものではない」
アークが答える。
「滅びた世界の情報を取り込み、次の世界で再構築するための機能だった可能性が高い」
それなら。
最初のRainがこの世界で暴走した理由も理解できる。
本来。
死んだ世界を喰らうはずの能力が。
生きている世界へ。
誤って使われた。
「だから失敗したら世界を壊す」
「そうだ」
「完成したら?」
アークは静かに答えた。
「世界を救う」
カインが目を細める。
「それなら観測者がRainを欲しがる理由も分かるね」
ノアも頷いた。
「世界を自由に作り替える機能を持つ存在」
ユウトが問う。
「観測者は、その力で何を作るつもりなんだ」
アークは迷わず答えた。
「自分の世界だ」
◇◇◇
観測者には世界がない。
どこにも属していない。
身体もない。
境界に漂う情報生命体。
ならば。
Rainを使って自分のための世界を構築し、そこへ自らを定着させる。
それが目的。
「だからお前は、Rainを先に完成させようとした?」
「そうだ。私はRainを完成させた上で、観測者を制御しようとした」
カインが呆れたように笑った。
「似た者同士だね」
「何が」
「観測者も君も、Rainを道具として使いたいだけ」
「世界を救うためだ」
レイが小さく言った。
「それ、命令する人はみんな言う」
アークは黙った。
レインは少し笑った。
「レイ、正解」
レイも、ほんの少しだけ嬉しそうに笑った。
◇◇◇
レインはもう一度、アークを見る。
「父さんは、お前と違った」
「そうだ」
「Rainを完成させるんじゃなく、普通の人間として育てようとした」
「そうだ」
「でも俺は結局、Lv74まで上がって、境界とも繋がってる。完全には普通じゃない」
「彼も途中で気づいた」
アークが言う。
「君を完全な普通の人間にすることは不可能だと」
レインはカインを見る。
「だから分けた?」
「そうだ。捕食、境界適合、無制限成長。危険な側面を切り離した」
「俺が」
カインが自分を指す。
「そうだ」
カインは肩をすくめる。
「でも僕、今は独立してる」
「それが最大の誤算だ」
「僕が独立すると何かまずい?」
「逆だ」
アークの目に研究者としての強い興味が戻る。
「非常に興味深い。Rainが二つの独立した生命として安定した前例はない」
レインが理解する。
「だから観測者が『戻せ』と言ってたのか」
「そうだ。完全なRainとして再統合できなくなる可能性がある」
カインは笑った。
「じゃあ僕が存在するだけで、あいつへの嫌がらせになる」
「良かったな」
レインも笑う。
「存在意義見つけたじゃん」
「君を超える方が先」
◇◇◇
その時。
第三鉱山全体が大きく揺れた。
戦闘ではない。
境界そのものが振動している。
レインの視界に新しい警告が現れる。
【世界境界安定率】
54%
↓
52%
↓
49%
「また落ちた」
レインの表情が変わる。
ノアもすぐに警戒した。
「原因は?」
アークが空間へ視線を向ける。
「観測者が予定を早めた」
「何で」
アークはカインとレイを見る。
「重要な駒を二つ失ったからだ」
レインが即座に睨む。
「駒って言うな」
「事実上そうだった」
「私は駒じゃない」
レイが静かに言う。
アークは少し黙った後。
「……そうだな」
意外にも素直に認めた。
「だからこそ、観測者は焦っている」
レインの視界に表示されていた魔王軍侵攻までの時間が変化する。
【第二次魔王軍侵攻】
開始まで30日。
↓
推定21日。
「九日も縮んだ」
ノアの顔色が変わる。
「まずいな」
ユウトも険しい顔をする。
「境界門が各地で一斉に開き始める」
「それだけではない」
アークが続ける。
「観測者はRainの直接回収を始める」
「どうやって」
「器を使う」
「誰」
アークの表情が僅かに曇る。
「君たちがすでに知っている者だ」
その瞬間。
《リベレーションⅡ》を通して、王都にいるアレンから強い反応が入った。
「レイン!」
直接声が聞こえたような感覚だった。
レインは即座に意識を接続する。
「アレン、どうした!」
「ソラを見つけました!」
「無事か?」
僅かな沈黙。
「違います」
「何が」
「ソラが……こちらを攻撃しています!」
背景から激しい爆発音。
セラの叫び。
ミアの声。
「アレンさん!」
そして。
接続が途切れた。
「アレン!」
反応は戻らない。
レインの表情が一変する。
「王都へ行く」
アークが静かに言う。
「一号か」
「ソラだ」
「一号の完成度は零号に次いで高かった」
レイが首を振る。
「ソラは私より境界適合率が低い」
「そうだ。だが一号には別の特性がある」
「何」
アークはレインを見る。
「他者の境界情報を取り込む能力だ」
カインの表情が変わる。
「Rainを取り込むため?」
アークが頷く。
「観測者は一号を、Rain回収用の器へ変えようとしている」
レインは即座に走り出した。
「王都へ行く!」
「待て!」
ノアが止める。
「レイはどうする!」
レインは振り返る。
レイは疲労している。
魔王機能を剥がされたばかり。
だが。
本人はすでに立っている。
「私も行く」
「危険だ」
「ソラは知ってる」
「だからって」
レイは真っ直ぐレインを見た。
「命令される怖さは分かる」
そして。
少しだけ声を震わせる。
「ソラを一人にしたくない」
レインは何も言えなくなった。
ノアが短く息を吐く。
「なら全員で王都へ移動する」
ユウトが地図を見る。
「普通に移動すれば半日はかかる」
カインが第三鉱山の奥を見る。
「境界を使えばいい」
全員の視線が集まった。
「できるのか」
「僕だけなら難しい。でもレイの境界適合率はまだ67%ある。それに、ここは最初の境界傷が残っている」
レインが解析する。
【第三鉱山→王都】
境界短距離転移。
現状成功率――41%。
「四十一か」
ユウトが顔をしかめる。
「低い」
「高い」
レインが言う。
「お前たちの感覚は壊れてる」
ノアはすでに考えていた。
「成功率を上げる。ルーク、過去の転移記録を探せるか」
「やってみる」
「カインは境界構造。レイは魔王だった時の門形成情報。ユウトは魔王時代の座標補正」
「私は?」
アークが聞く。
レインが睨む。
「お前も来るつもり?」
「一号の研究は私にも責任がある」
レイが冷たく言った。
「今さら」
アークはその言葉を受け止めた。
「そうだ。今さらだ。それでも行く」
レインは数秒考えた。
信用はできない。
だが。
必要ではある。
「勝手に来い。ただし仲間には入れない」
「構わない」
「監視する」
「好きにしろ」
カインが笑う。
「僕、ずっと見てるから」
「君は昔のRainより面倒だな」
「最高の褒め言葉だよ」
◇◇◇
境界転移の準備が始まった。
ルークが117年前のRainが第三鉱山と王都の間を移動した記録を掘り起こし、カインが境界構造を再現する。レイは魔王権限を使っていた時の門形成情報を思い出し、ユウトが魔王時代の知識で座標を補正する。
ノアが全体を統合し。
レインが全員を支援する。
成功率は。
41%。
55%。
68%。
79%。
そして。
【最終成功率――88%】
ユウトがようやく頷いた。
「それなら多少は安心できる」
「俺たち基準ならほぼ確定」
「だから、その基準が怖い」
境界門がゆっくりと開く。
その時。
アークがレインの横へ来た。
「一つ伝えておく」
「何」
「お前の父親は死んでいない」
レインの身体が止まった。
「……何?」
「正確には肉体は死んだ」
「じゃあ何が残ってる」
「生命情報だ」
「どこに」
アークは静かに答えた。
「観測者の内部だ」
レインは息を呑んだ。
父は肉体を失い、記憶体も消えた。
それで終わったと思っていた。
だが。
生命情報そのものは。
観測者の中。
「何でそんなことを」
「観測者を内部から止めるため。そして、次のRainがここまで辿り着く日を待つためだ」
境界門が揺れる。
ノアが叫ぶ。
「もう時間がない! 入れ!」
「話は終わってない!」
「王都で続けろ!」
アークに言われ、レインたちは次々と門へ飛び込む。
最後にレインが入ろうとした、その瞬間。
第三鉱山の最深部。
黒い文字が壁に浮かぶ。
【観測者覚醒率】
12%
↓
15%。
【内部抵抗――検出】
【識別――父】
レインはその文字を確かに見た。
そして。
境界門が閉じた。
◇◇◇
王都上空。
境界門が開く。
レインたちは一斉に放り出された。
「高い!」
ユウトの声が響く。
「十メートルくらい!」
「十分高い!」
レインたちは屋根の上へ着地する。
その瞬間。
王都がすでに戦場になりかけていることが分かった。
魔術院の方角から巨大な光柱が立ち上り、周囲の建物の窓が震えている。
その中心。
ソラが宙に浮いていた。
黒い鎖が全身へ巻きつき、片方の瞳は金色、もう片方は完全な黒へ染まっている。
その下。
アレンが倒れている。
セラが片膝をつき。
ミアが必死に治療していた。
「アレン!」
レインが走り出す。
その瞬間。
ソラが目を開く。
「Rain」
声が二重に重なっていた。
ソラの声。
そして。
観測者の声。
「回収を開始する」
ソラの背後で空間が大きく歪み、巨大な人型が形成され始める。
これまで声だけだった存在。
世界の外側にいた。
観測者。
初めて。
こちら側へ。
姿を作ろうとしている。
レインの視界へ警告が浮かぶ。
【未登録存在】
【境界外情報生命体】
【仮称――観測者】
【現実定着率――3%】
レインはその表示を見て。
笑った。
「やっと顔を出したな」
人型には顔がない。
それでも。
声が響く。
――Rain。
――帰還せよ。
レインは。
仲間を見る。
カイン。
レイ。
ユウト。
ルーク。
ノア。
アーク。
そして。
遠く離れていても。
繋がっている。
ガルド。
リリア。
エマ。
セラ。
ミア。
アレン。
一人ではない。
レインは迷わず答えた。
「断る」
観測者の動きが止まる。
「俺の帰る場所は、そっちじゃない」
その瞬間。
ソラの黒い瞳から。
涙が流れた。
「レイン……」
ほんの一瞬。
本人の声が戻る。
「助けて」
レインは即答した。
「ああ。今度も助ける」
そして。
真職業《後衛》が起動する。
全域支援。
最大出力。
仲間との接続が、一斉に強まっていく。
魔王軍の本格侵攻まで。
残り二十一日。
だが。
その前哨戦は。
すでに。
王都で始まっていた。




