第二十話 戻れという声
第二十話 戻れという声
「――レイン。」
暗闇の中から聞こえた声。
それは、これまでのような模倣ではなかった。
誰かの声を借りたものでもない。
低く。
静かで。
どこか人間離れしている。
それでも。
はっきりと意思を持った声だった。
◇◇◇
翌朝。
臨時拠点。
レインはほとんど眠れていなかった。
昨夜。
ステータス画面に直接表示された言葉。
【知りたければ】
【戻って来い】
何度思い返しても意味が分からない。
なぜ自分なのか。
なぜレベル上限がないことを知っているのか。
そして。
自分は一体何なのか。
考えれば考えるほど。
答えは遠ざかる。
「眠れなかった?」
リリアが声を掛けた。
「まあな。」
「顔に出てます。」
レインは苦笑した。
少し離れた場所では。
ガルドが盾を点検している。
セラは弓の弦を張り直し。
ミアは治癒師に魔力状態を確認してもらっていた。
普段なら。
その姿を見て安心する。
だが今日は。
胸の奥に重いものが残っている。
「レインさん。」
リリアが続けた。
「一人で戻るつもりじゃないですよね。」
レインの表情が止まる。
「どうしてそう思う?」
「そういう顔してるからです。」
「……。」
「全部、自分で確認しようとしてる。」
図星だった。
リリアは少し怒ったような顔になる。
「それ、駄目です。」
「危険なのは分かってる。」
「そうじゃありません。」
リリアは真っ直ぐレインを見る。
「私たちを信用してください。」
「……。」
「レインさんはいつも言うじゃないですか。」
「一人で勝てなくても、仲間がいれば勝てるって。」
「自分だけ例外なんですか?」
レインは何も言えない。
しばらくして。
小さく笑った。
「痛いところを突くな。」
「レインさんに教わりました。」
◇◇◇
午前。
緊急会議が再開された。
参加者は昨日と同じ。
だが空気はさらに重い。
王都へ伝令を送り。
封印区域周辺を立入禁止にすること。
増援を要請すること。
王国の古文書庫から追加資料を取り寄せること。
そこまではすぐ決まった。
問題は。
「誰かが内部へ戻る必要がある。」
レインの言葉だった。
グレイヴが険しい顔をする。
「昨日の今日でか。」
「今すぐ奥へ進むとは言っていません。」
「目的は入口周辺の再調査だけです。」
研究官が尋ねる。
「何を調べる?」
「封印の構造。」
「侵入可能範囲。」
「精神干渉の条件。」
「そして。」
少し間を置く。
「向こうが、俺にどう反応するのか。」
アレスが即座に否定した。
「駄目だ。」
レインを見る。
「最後の項目が一番危険だ。」
「分かってる。」
「分かってない。」
アレスの声が強くなる。
「向こうはお前を狙ってる。」
「わざわざ餌になりに行く必要はない。」
レインは黙る。
グレイヴも頷いた。
「同意見だ。」
「少なくとも王都から増援が来るまで待つべきだ。」
「どれくらい?」
「最短でも三日。」
「三日……。」
レインの視界に。
昨夜から残り続けている表示。
【外部アクセス率】
5.7%
昨日より上がっている。
何もしなくても。
向こうは少しずつ近付いている。
「三日は長い。」
「だからと言って――」
その時。
ミアが会議室に入ってきた。
「私も行きます。」
全員が振り向く。
レインが眉をひそめる。
「まだ休んでろ。」
「もう大丈夫です。」
「精神干渉を受けたばかりだ。」
「だからです。」
ミアはレインを見る。
「私は。」
「向こうに一度触れられています。」
「何か分かるかもしれない。」
レインは首を横に振った。
「危険すぎる。」
「レインさん。」
ミアが少し笑う。
「自分だけ危険なことしようとしてません?」
リリアも頷いた。
「さっき私も同じこと言いました。」
「……。」
ガルド。
セラ。
二人も会議室へ入ってくる。
「俺も行く。」
「私も。」
レインが呆れたように四人を見る。
「お前たち。」
ガルドが笑う。
「リーダーだけ危険な場所へ行かせるパーティーがあるか。」
セラも続ける。
「未来視が使えないとしても。」
「一人よりは四人いた方がいいです。」
「五人だ。」
ミアが訂正する。
少しの沈黙。
レインは。
最後に。
諦めたように息を吐いた。
「分かった。」
だが。
すぐに表情を変える。
「条件がある。」
四人が真剣になる。
「入口から百メートル以上入らない。」
「異常が起きたら即撤退。」
「声には反応しない。」
「単独行動禁止。」
「俺が戻れと言ったら絶対に戻る。」
ガルドが頷く。
「了解。」
「それと。」
レインはミアを見る。
「ミアは中央。」
「必ず俺かガルドの隣にいる。」
「はい。」
グレイヴが腕を組む。
「俺も同行する。」
「副隊長。」
「昨日、部下を失った。」
「同じ失敗はしない。」
アレスも言う。
「俺たちも。」
レインが首を横に振る。
「人数が多いほど危険だ。」
「でも――」
「入口調査だけなら。」
レインは地図を指す。
「《リベレーション》五人とグレイヴさん。」
「六人で十分です。」
アレスは納得していない。
だが。
しばらくして。
「分かった。」
「ただし。」
レインを見る。
「二時間で戻らなければ、俺たちが行く。」
「一時間半で戻る。」
レインが答えた。
◇◇◇
《封印迷宮アビス》。
昼。
昨日と同じ石門。
しかし。
明らかに違っていた。
亀裂が。
少し広がっている。
「昨日より……。」
セラが呟く。
「大きくなってます。」
レインも確認する。
【第一封印】
損傷率:22%
昨日は18%。
進行している。
【第二封印】
損傷率:3%
【第三封印】
正常
【封印対象覚醒率】
3%
「止まってない。」
レインが呟く。
グレイヴが尋ねる。
「何が?」
「封印の崩壊。」
「分かるのか?」
「少しだけ。」
全員が封印線の外で装備を確認する。
ガルド。
前。
レインとミア。
中央。
リリア、セラ。
後方。
グレイヴは最後尾。
「入るぞ。」
全員が頷く。
石門の亀裂。
一歩。
内部へ。
空気が変わる。
冷たい。
だが。
温度が低いわけではない。
身体の内側から冷えるような感覚。
「声は?」
レインが尋ねる。
「聞こえません。」
リリア。
「私も。」
セラ。
ミアは。
黙っている。
「ミア?」
「大丈夫です。」
だが。
顔色は悪い。
「何か感じる?」
「……少し。」
「何を?」
「呼ばれてる。」
レインの表情が変わる。
「声?」
「違います。」
ミアは胸を押さえる。
「こっちに来てって。」
「頭じゃなくて。」
「身体で分かる。」
「戻るか?」
「まだ大丈夫です。」
レインは少し迷った。
だが。
先へ進む。
十メートル。
二十メートル。
内部は。
不自然なほど整っていた。
石造りの通路。
壁。
床。
天井。
魔物の巣ではない。
人工物。
しかも。
「この文字……。」
リリアが壁を見る。
古代文字。
「読める?」
レインが尋ねる。
「少しだけ。」
リリアが指でなぞる。
「『門』。」
「それと。」
「『境界』。」
さらに進む。
別の壁。
「『こちら』。」
その反対側。
「『あちら』。」
レインの表情が変わる。
「門……。」
「境界……。」
「こちらとあちら。」
グレイヴが低く言う。
「まるで。」
「何かと何かを隔てているみたいだな。」
その瞬間。
レインの視界。
【解析可能範囲拡大】
文字が現れる。
【施設名称】
境界固定施設
【機能】
世界間接続遮断
レインが足を止めた。
「……世界間?」
「どうしました?」
リリアが尋ねる。
レインは表示を見つめる。
【世界間接続遮断】
【対象領域】
不明
【封印対象】
接続媒体
「接続媒体……。」
自分でも意味が分からない。
だが。
迷宮ではない。
牢獄とも少し違う。
何かを閉じ込めているのではなく。
「何かが通ってくるのを止めている……?」
その時。
セラが突然弓を構えた。
「来ます!」
「何が?」
「分からない!」
未来視。
完全ではない。
だが。
一瞬だけ見えたらしい。
「前!」
ガルドが盾を構える。
通路の奥。
暗闇。
足音。
一つ。
ゆっくり。
こちらへ近付く。
コツ。
コツ。
人間の足音。
「声に反応するな。」
レインが言う。
だが。
声はない。
やがて。
人影。
一人。
ボロボロの鎧。
王国騎士団。
グレイヴが息を呑む。
「……ハルト?」
昨日。
最初に引きずり込まれた騎士だった。
「反応するな!」
レインが叫ぶ。
だが。
グレイヴは動けない。
騎士ハルト。
歩いてくる。
傷だらけ。
だが。
生きているように見える。
「隊……長……。」
グレイヴの拳が震える。
「ハルト。」
レインが横を見る。
「グレイヴさん!」
「分かってる!」
グレイヴも叫ぶ。
剣を構える。
「そこで止まれ!」
ハルトが止まる。
三十メートル。
「名前を言え!」
「……ハルト。」
「家名は!」
「……。」
答えない。
グレイヴの顔が険しくなる。
「俺と初めて会った場所は!」
「……。」
「答えろ!」
しばらく。
沈黙。
そして。
ハルトが。
笑った。
口が。
人間ではあり得ないほど横へ裂ける。
「知らない。」
声が変わる。
「でも。」
別の声。
「今。」
「知った。」
グレイヴの顔が変わる。
レインが叫ぶ。
「下がれ!」
その瞬間。
ハルトの身体が崩れた。
皮膚。
鎧。
骨。
全部が。
黒い液体になる。
「ガルド!」
「おう!」
大盾。
黒い液体がぶつかる。
ドン!
「重っ……!」
液体なのに。
異常な重量。
ガルドが押される。
「リリア!」
「攻撃していいんですか!?」
レインの視界。
【対象解析】
不完全複製体
生命反応:なし
構成:
記憶情報
魔力
不明物質
【撃破可能】
「撃て!」
「《スター・フレア!》」
白銀の炎。
直撃。
黒い液体が燃える。
奇声。
複数の声が重なる。
「痛い。」
「助けて。」
「嫌だ。」
「お母さん。」
セラが歯を食いしばる。
「聞かない!」
未来を見る。
黒い液体が次に伸びる方向。
「右!」
ガルドが盾を傾ける。
液体が流れる。
「今!」
セラの矢。
リリアの魔法。
二つが重なる。
爆発。
黒い液体が霧散した。
静寂。
グレイヴが。
燃え残った騎士団章を拾う。
「……ハルト。」
本物だったのか。
偽物だったのか。
誰にも分からない。
レインの視界には。
【不完全複製体消滅】
それしか表示されない。
「戻る。」
レインが言った。
「もう十分だ。」
「まだ百メートルも進んでません。」
ミアが言う。
「ああ。」
「でも。」
レインは壁を見る。
世界間接続遮断。
境界固定施設。
不完全複製体。
今日だけで情報は多すぎる。
「これ以上は危険だ。」
「帰って整理する。」
全員が頷く。
その時。
ミアが。
突然。
奥を見る。
「……レインさん。」
「どうした?」
「呼んでる。」
「誰が?」
ミアが震える指で奥を指す。
「あなたを。」
同時に。
レインの視界。
【新規接続要求】
許可しますか?
YES
NO
「……。」
初めてだった。
向こうから。
選択を求められた。
レインは迷わず。
「NO。」
心の中で選ぶ。
【接続拒否】
【再試行】
YES
NO
「NO。」
【再試行】
YES
NO
「NO。」
何度でも。
同じ。
やがて。
表示が止まる。
【確認しました】
次の一文。
【現時点では】
レインの表情が変わる。
「現時点では……?」
そして。
最後。
【だが】
【いずれお前自身が】
【こちらを求める】
表示が消えた。
レインは奥の闇を見る。
「行くぞ。」
今度は。
誰も異論を唱えなかった。
◇◇◇
夕方。
全員が無事に臨時拠点へ戻った。
アレスが走ってくる。
「遅い!」
「一時間二十七分。」
レインが答える。
「約束は守った。」
アレスは何か言い返そうとして。
やめた。
「何が分かった?」
レインは。
今日見たものを。
一つずつ話した。
世界間接続遮断。
境界固定施設。
不完全複製体。
そして。
封印対象が。
「接続媒体」と表示されたこと。
研究官たちは。
完全に言葉を失った。
一人が呟く。
「もし。」
「その表示が正しいなら。」
「何です?」
「三百年前の人間たちは。」
震える声。
「怪物を封印したんじゃない。」
「この世界と。」
「別の何かを繋ぐ――。」
「扉そのものを。」
「封じたことになる。」
誰も話さない。
レインは。
自分の冒険者証を見る。
レベル30。
Dランク。
どこから見ても。
平凡な後衛。
だが。
その裏側。
【内部レベル】
35
【上限】
――――
そして。
新しい項目が。
増えていた。
【世界接続適性】
解析中
0.1%
レインの表情が固まる。
「……何だ、これ。」
その数字は。
ゆっくり。
しかし確実に。
0.2%。
0.3%。
上昇していた。




