第十八話 迷宮ではないもの
「――これは迷宮ではありません。」
レインの視界に浮かんだ赤い文字。
そして、その下。
【封印対象】
【覚醒率:1%】
意味は分からない。
だが、一つだけ確かなことがある。
ここに入ってはいけない。
少なくとも、何も考えずに進んではならない。
「全員、石門から三十歩下がれ!」
レインが叫んだ。
「何を言っている!」
グレイヴが振り返る。
「部下が中にいる!」
「もう一度言います。」
レインはグレイヴを真っ直ぐ見る。
「下がってください。」
「断る!」
グレイヴが剣を握った。
「部下を見捨てろというのか!」
「違う。」
レインの声は冷静だった。
「助けるために下がるんです。」
その瞬間。
暗闇から、また声が聞こえた。
「……隊長。」
先ほど引きずり込まれた騎士。
「助けてください……。」
グレイヴの身体が動く。
だが。
レインが腕を掴んだ。
「聞いてください。」
「何を!」
「名前を呼んでいない。」
グレイヴが止まる。
「……何?」
「あなたの部下なら、あなたの名前を知っているでしょう。」
「なのに、ずっと『隊長』としか呼ばない。」
アレスの表情も変わった。
「確かに……。」
レインは暗闇を見る。
「中にいる何かは。」
「言葉を理解しているんじゃない。」
「聞いた言葉を真似しているだけだ。」
静寂。
その直後。
暗闇から声。
「……隊長。」
「助けてください。」
まったく同じ。
声の震え方。
間。
抑揚。
すべて同じだった。
グレイヴの顔から血の気が引いた。
「全員下がれ!」
今度はグレイヴ自身が命令した。
一行が石門から離れる。
十歩。
二十歩。
三十歩。
その瞬間。
ズルッ。
暗闇から何かが出てきた。
細い。
黒い腕。
一本。
二本。
五本。
十本。
石門の外へ伸びてくる。
だが。
ある場所で止まった。
石門から、およそ二十歩。
それ以上。
伸びてこない。
「……なるほど。」
レインが呟く。
ガルドが尋ねる。
「何が分かった?」
「完全に封印が壊れたわけじゃない。」
レインは地面を見る。
古い文字。
苔と土に覆われている。
円形に。
石門を囲んでいる。
「ここだ。」
「この線より外へ出られない。」
アレスがしゃがむ。
「結界か。」
「たぶん。」
黒い腕が。
地面を掻く。
だが。
見えない壁に阻まれている。
やがて。
諦めたように闇へ戻った。
◇◇◇
一行は封印線からさらに離れた場所へ仮設拠点を作った。
騎士一名。
消息不明。
調査隊二十四名。
生死不明。
そして。
正体不明の封印対象。
グレイヴは拳を握ったまま座っていた。
「俺の判断ミスだ。」
誰も答えない。
「あいつを止められなかった。」
レインが言う。
「今、反省する必要はありません。」
グレイヴが顔を上げる。
「何?」
「反省は帰ってからできます。」
「今やることは、生きている人間を助ける方法を考えることです。」
ガルドが小さく笑った。
「レインらしい。」
グレイヴは何も言わなかった。
だが。
先ほどまでとは違う目でレインを見る。
「……何か分かったか。」
初めて。
命令ではなく。
意見を求めた。
レインは頷く。
「三つ。」
全員が集まる。
「一つ。」
「封印対象は外へ出られない。」
「少なくとも今は。」
地面に円を描く。
「二つ。」
「声を真似する。」
「目的は恐らく、こちらを内部へ誘い込むこと。」
「三つ。」
レインは少し間を置いた。
「中へ入った者を、すぐには殺していない可能性がある。」
「なぜ分かる?」
アレスが尋ねる。
「声です。」
「声?」
「最初から聞こえていた声の中に、子供の声があった。」
「今回の調査隊に子供はいない。」
シーナが気付く。
「昔の人間……?」
「可能性はある。」
レインは答える。
「三百年前に封印された時の人間。」
フェリアが青ざめる。
「三百年も生きているっていうの?」
「分からない。」
レインは即座に否定する。
「生きているとは限らない。」
「声だけを保存している可能性もある。」
「あるいは。」
「取り込んだ人間の記憶を使っている。」
空気が重くなる。
ミアが小さな声で尋ねる。
「それって……。」
「捕まった人の記憶を読めるってことですか?」
「可能性はある。」
レインは断定しなかった。
「だから。」
全員を見る。
「今後、石門の中から聞こえる声には絶対に反応しない。」
「知っている人間の声でも。」
「家族の声でも。」
「俺たち自身の声でも。」
セラの顔が強張る。
「私たちの声まで?」
「あれが一度聞いた声を再現できるなら。」
「もう俺たち全員の声を覚えている可能性がある。」
その瞬間。
遠くの石門から。
「セラ!」
声が聞こえた。
全員が凍りつく。
レインの声だった。
「セラ! 助けてくれ!」
セラの顔が真っ青になる。
本物のレインは。
目の前にいる。
石門から。
また。
「セラ!」
「こっちだ!」
完全に。
レインの声だった。
ガルドが立ち上がる。
「……気味が悪いな。」
「これで確認できた。」
レインは静かに答える。
「声は信用できない。」
◇◇◇
その夜。
誰も石門へ近付かなかった。
見張りは二人一組。
絶対に単独行動をしない。
レインが決めた。
深夜。
レインとアレスが見張りになった。
焚き火。
二人。
八年ぶりだった。
アレスが口を開く。
「変わったな。」
「そうか?」
「ああ。」
「昔のお前は。」
「何でも俺たちに合わせていた。」
レインは火を見る。
「そうだったな。」
「俺が行くと言えば来た。」
「戦うと言えば戦った。」
「無茶な依頼でも反対しなかった。」
「……。」
「今は違う。」
アレスは少し笑った。
「騎士団の副隊長相手でも普通に反対する。」
「死にたくないからな。」
「それだけか?」
レインは答えなかった。
アレスも、それ以上聞かなかった。
しばらく。
薪が燃える音だけ。
やがて。
アレスが言った。
「八年前のこと。」
レインの視線が少し動く。
「謝ろうと思ってた。」
「……。」
「お前を追放したこと。」
レインは火を見たまま答える。
「今さら謝らなくていい。」
アレスの表情が曇る。
「許さないってことか?」
「違う。」
レインは首を横に振る。
「あの時のお前たちは、間違った判断をしたとは思ってない。」
アレスが驚く。
「俺は戦えなかった。」
「レベルも30から上がらなかった。」
「攻撃能力もなかった。」
「上を目指すパーティーなら、俺を外す判断は理解できる。」
「でも――」
アレスが言う。
「実際には違った。」
「何が?」
「お前が抜けた後。」
アレスは焚き火を見る。
「俺たちは急に弱くなった。」
レインの表情が止まる。
「最初は理由が分からなかった。」
「剣が重い。」
「疲れる。」
「フェリアの魔力消費が増える。」
「シーナの回復も落ちる。」
「野営では眠れない。」
「装備は壊れる。」
「薬は足りなくなる。」
アレスは苦笑した。
「半年で三回、全滅しかけた。」
「……。」
「そこで初めて気付いた。」
「お前がやっていたことは。」
「雑用じゃなかった。」
レインは何も言わない。
「探したんだ。」
「お前を。」
「でも見つからなかった。」
「もう別のパーティーに入っていた。」
二つ目のパーティー。
《蒼銀の翼》。
「声を掛ける資格もないと思った。」
アレスは小さく息を吐いた。
「だから。」
「今日、お前がリーダーになっているのを見て。」
少し笑った。
「安心した。」
レインは初めてアレスを見る。
「安心?」
「ああ。」
「俺たちが捨てたものを。」
「誰かがちゃんと見つけてくれたんだと思った。」
レインは少し考える。
そして。
「違う。」
「何?」
「誰かに見つけてもらったんじゃない。」
レインは仲間たちが眠っている方を見る。
リリア。
ガルド。
セラ。
ミア。
「俺が見つけた。」
「……そうか。」
アレスは笑った。
「ああ。」
その時。
「レインさん。」
セラだった。
起きている。
「どうした?」
「眠れなくて……。」
セラは石門を見る。
「それに。」
「さっきから。」
「未来が少し見えるんです。」
レインが立ち上がる。
「何?」
「昼間は全然見えなかったんです。」
「でも今は。」
セラは目を閉じる。
「ほんの少しだけ。」
「何が見える?」
「……人。」
「何人?」
「一人。」
「誰?」
セラの顔が歪む。
「分かりません。」
「でも。」
「私たちの中の誰かが。」
「石門の中に入っています。」
アレスも立ち上がる。
「いつだ?」
「分かりません。」
セラは額を押さえる。
「未来がぐちゃぐちゃで……。」
その瞬間。
レインの視界にも。
文字が浮かんだ。
【未来干渉を検知】
【外部存在による予測改変】
「……外部存在?」
さらに。
【警告】
パーティーメンバー一名に精神干渉。
レインの顔色が変わる。
「全員起こせ!」
「何!?」
「今すぐ人数確認!」
アレスが走る。
「起きろ!」
全員が次々に起きる。
ガルド。
リリア。
セラ。
ミア。
グレイヴ。
騎士四人。
紅蓮の剣。
人数を数える。
一人。
二人。
三人。
――十四。
レインの表情が変わる。
騎士一名が既に連れ去られているため。
現在の人数は十四人。
合っている。
「全員いる。」
グレイヴが言う。
だが。
レインは首を横に振った。
「違う。」
「何が?」
「《リベレーション》だけ確認する。」
レイン。
リリア。
ガルド。
セラ。
「……。」
レインの目が止まった。
「ミア?」
返事がない。
「ミア!」
少し離れた場所。
ミアは立っていた。
背中を向けて。
石門の方向を見ている。
「ミア。」
反応しない。
ゆっくり。
一歩。
石門へ向かう。
「止めろ!」
ガルドが走る。
だが。
ミアが突然振り返った。
目が。
黒い。
「来ないで。」
声も。
ミアではない。
「ミア!」
ガルドが腕を掴む。
その瞬間。
ミアの口から。
別の声が出た。
老人。
「来るな。」
次に。
子供。
「怖いよ。」
女性。
「助けて。」
男。
「こっちへ来い。」
そして最後に。
レイン自身の声。
「――見つけた。」
レインの身体が凍る。
ミアの黒い瞳が。
真っ直ぐレインを見る。
「やっと。」
「見つけた。」
レインは動けない。
「何を……。」
ミアの口が。
不自然に笑った。
「上限のない者。」
全員が沈黙する。
レインの視界に。
赤い文字が爆発するように現れた。
【警告】
【警告】
【警告】
【内部レベル情報への外部アクセスを検知】
【表示偽装突破率:3%】
レインの顔から血の気が引く。
自分の本当のレベルを。
知っている。
この世界で。
誰も知らないはずの秘密。
ミアの口を使って。
地下の何かが囁く。
「お前は。」
「こちら側だ。」
次の瞬間。
ガルドがミアを抱き締める。
「戻ってこい!」
レインも我に返った。
「リリア!」
「はい!」
「攻撃魔法は禁止!」
「セラ、未来を見ろ!」
「やってます!」
「アレス!」
「何だ!」
「ミアの身体を拘束!」
「分かった!」
全員が動く。
だが。
ミアの身体から。
黒い霧が噴き出した。
「離れろ!」
爆発。
ガルドが吹き飛ばされる。
「ぐっ!」
黒い霧が。
石門へ伸びる。
その先。
地下。
そして。
レインの視界に。
新しい表示が現れた。
【封印対象覚醒率】
1%
↓
2%
「まずい……。」
たった一%。
だが。
地面が揺れ始める。
ゴゴゴゴゴ――。
山全体が。
鳴いているようだった。
そして。
石門に刻まれていた三百年前の文字が。
一つ。
また一つ。
消えていく。
グレイヴが叫ぶ。
「封印が!」
レインは理解した。
間違っていた。
自分たちは。
封印を調査しに来たのではない。
地下の何かは。
最初から。
自分たちを呼んでいた。
いや。
正確には――。
レインを呼んでいた。
「全員撤退!」
レインが叫ぶ。
「今すぐ山を下りる!」
グレイヴが驚く。
「調査隊は!?」
「今の俺たちでは助けられない!」
レインは迷わなかった。
「ここで全滅したら。」
「助けられる人間までいなくなる!」
その時。
ミアの身体が崩れ落ちた。
「ミア!」
レインが受け止める。
黒い霧は消えている。
瞳も元に戻っていた。
「……レイン……さん?」
「大丈夫か?」
「私……。」
「喋るな。」
ミアをガルドへ預ける。
「運べる?」
「任せろ。」
巨大な身体でミアを抱き上げる。
全員が撤退を始める。
石門から離れる。
百メートル。
二百メートル。
その時。
地下から。
巨大な音が響いた。
――ドクン。
全員が止まりかける。
「走れ!」
レインが叫ぶ。
――ドクン。
心臓。
まるで。
巨大な生物の心臓が。
地下深くで動き始めたような音。
そして。
誰にも聞こえない場所で。
何かが。
ゆっくりと。
目を開いた。
◇◇◇
【封印対象】
覚醒率:2%
【第一封印】
損傷率:18%
【第二封印】
正常
【第三封印】
正常
そして。
誰も見ることのできない場所に。
一つだけ。
文字が浮かんでいた。
【対象個体確認】
レイン・アーク
【適合率】
――99.8%
【回収処理】
開始。




