3話 フライ・アゲン
マザーパーチ号を離れて、どれくらい経ったのだろうか。
クルセイダのコクピットシートに背もたれたままぼんやりと過ごすうちに、いつの間にかモニター越しの空は白みはじめている。
もう間もなくもしない内に、暗い影に沈む水平線から眩しい光が洩れはじめ、一日の始まりを告げるだろう。
(……前は、好きな光景だったのにな)
偶然流れ着いたドールズを拾って、おやっさんと共に修理し、人類の天敵であるビーストとの戦いに身を投じる前。未だ故郷の街で暮らしていたあの頃は、手つかずの一日を迎える予感に胸が躍る感覚を味わえていたのに。
一年にも満たない時間ではあるが、自分自身が大きく変わってしまったことは、身に染みて理解している。
もうあの頃のように、素直な気持ちで世界を見て感じ取ることは、自分にはできないのかもしれない。
(なにを感傷的になってんだ。バカじゃないのか、俺は)
自分を嘲ってみたものの、ただ虚しさが響くだけだ。
(ロック兄さんにも、マラザ導師にも背中を押してもらったのに、俺は何をやってんだろう……)
クーナを護る為に戦いと言った背中を、やりたいようにやれと、押し出してくれたのに。そのクーナ本人に拒絶されて、こんなところを飛んでいる。
クーナの言動は、自分を慮ってくれたものであることくらい感じ取れている。昏睡状態のマラザ導師を戦闘に巻き込めないことも、『調和の器』などと呼ばれるクルセイダと自分の立ち位置も分かっている。
クーナが取った行動は、きっと正しいのだろう。だがそれでも。
(それでも俺は、クーナさんの為に戦いたかったんだ……)
——遥か前方の空に、機影が一つ見えた。自然と反応した身体がレーダー上の反応を確認する。どうやら高速艇らしい。識別は、共和国軍となっていた。
護衛機もつけずに何故こんなところを。そんな疑問が浮かぶと同時に、高速艇からの通信が届く。
「前方を飛行中のドールズ、聞こえますか? 私はキサラギ研所長、ミドリ・キサラギ。クルセイダのパイロット、応答を願います。私は貴方と話がしたいのです……」
◆ ◆ ◆
レーダー上で無人島のような小島を見つけるのに、さほど時間はかからなかった。
クルセイダもいわずもがな、輸送船も高速艇も垂直離着陸が可能だから、舗装もない荒れた地面でも着陸になんら問題はなかった。所長という肩書を持つ人物が艦の操縦術を会得していることに、驚きはあったが。
艦とクルセイダを近くにあった島に着陸させ、ミドリ所長と名乗った女性と顔を会わせる。これまで面識のなかったその顔は、声色に違わない、意志の強さを感じさせるものがあった。
「資料では拝見していたのですが、こうして直接会うと正直驚いてしまいますね。まさか、こんなに若い方だとは」
「……俺は十六です。レイルズ艦長は、このぐらいの年齢で軍属になる者だって、少なからずいると言っていました」
(それにロック兄さんだって、キサラギ研のパイロットはだいたいこの位の年齢が多いと言っていた。クーナさんだって、十五歳で初陣したって)
「私が言っているのは、そういうことではありません。『調和の器』に選ばれた人間が、まさかこんなにも普通の少年だとは思いもしなかった、ということです。
……いえ、あのグレッサ・イニゲスの息子なのですから、十分に因果めいているのでしょう。そう考えれば、なんら驚くこともないのでしたね」
俺は、あまりこの人のことが好きになれないかもしれない。
なんとなく、そんな予感めいたことが胸を過った。
そしてそれは、明らかな嫌悪となって姿を現すのだった。
「この場で『調和の器』たるクルセイダと、そのパイロットに巡り合えたこと。これこそ何か大きなうねりによって引き合わされたとしか思えません。
……クーナ・キサラギを止めてください。あの娘の命を、絶つのです。いいですか。これは、貴方にしかできないことなのです」
——いったいなにを言っているのだろう。
命を、絶つ?
それは、殺せということか? いったい、なぜ?
だっておかしいじゃないか。なんで、そんな……。
「クーナの変調については、レイルズ艦長から報告を受けておりました」
ミドリ所長は、俺の戸惑いなど関係ないとでも言いたげに、一人で話しはじめる。
「前所長でもあり夫でもあったマサヨシ・キサラギが、己の探求心と正しさを実証するために為に生み出した存在。それがクーナです。
集められた戦災孤児のなかから適性のあるものを選び、採集したビーストの細胞を移植した、いわばバケモノと人の混ざりもの。人の形をした、人ではない生物……。
マサヨシは、自分の手で創成譚を再現しようとしたのでしょう。そして、その為に圧倒的な攻撃性をもつ兵器が必要だった。
研究は成功した。他の孤児が記録上の病死で葬られるなか、肉体年齢的に幼かったこともあったのか、クーナにだけ細胞は癒着し、拒否反応も起こさずに済みました。そのせいもあって、他の研究に没頭していた私が事実を知った時には数年が経ち、クーナは五歳を迎えていました。
私は悍ましい過ちを犯したマサヨシを糾弾し、正気を失っていた彼をその場で撃ち殺しました。そうしてやることが、彼を救ってやる唯一の手段と思ったからです。
……クーナは、私の監視下に置きました。当然でしょう? 人ではない、ビーストの細胞を宿したバケモノ。あの子は危険な存在なのです。しかし、危惧していた人格の著しい狂暴化はいつになっても表れない。それどころか、大人しく、恭順な態度を示し続けていた。
そのうえで、気まぐれでやらせたドールズパイロットの適性テストでは、驚くほど優秀な能力を見せつけたのです。それからクーナはドールズパイロットとして、軍人として訓練を望むようになり、それに明け暮れる日々が続きました。優秀な、兵器として」
ミドリ所長の話を黙って聞いていても、頭のなかは混乱したままだった。
ビーストの細胞を移植したバケモノ? 兵器? 人じゃない?
許されない冗談だ。
ソング・バード隊の仲間たちと過ごしていたクーナさんは……。
俺が命を落としてしまうことがないように懸命に教えてくれたクーナさんは、あんなにも優しい顔をしていたのに。
そんな彼女を、人じゃないなんて……。
「……貴方の考えていることは、理解できます。ですが、これが事実であることは変えようもない。もしかしたら、ヌマタの愚行に私がもっと早く気がついていれば、あるいは防げたかもしれない。いえ、遅かれ早かれ、起き得た事象なのでしょう」
ヌマタというのは、古くからキサラギ研に勤める軍医であり、クーナの主治医を務めていた主治医であるという。
マサヨシの執念の一端を知った彼は密かに研究を引き継ぎ、クーナの相談者としての立場を利用しつつ、都合がいいように計画を進めていく。薬物によって少しずつ、クーナに眠るビースト細胞を呼び覚ましていった。
(クーナさんの自室にあった薬瓶……あれも、そうだったんだろうか)
ビーストの進化と激化する戦闘に焦るクーナによって、ヌマタの思惑は加速する。
より強力な薬剤をペン型の注射器で用意し、戦闘向けの精神安定剤としてクーナに手渡したのだった。これが変調の最後の一押しになってしまう。
「クーナのパイロットスーツに備えられたサイドパック。そこから見つかった注射器。ヌマタを問い詰めるには、それで十分でした。彼はもう少し見ていたかったと言い残し、自身の頭部を銃で撃ち抜いて自害してしまいましたが」
ミドリ所長は改めて言う。
「クーナを殺さなくてはいけない理由、お分かりいただけましたか?」
「……わかりません。全然」
震えてしまっている唇をしっかりと意識し、はっきりと言葉を紡ぐ。
「たしかにクーナさんの様子は変でした。マラザ導師も、そんなことを言って、心配してました。……みんな、心配してるんです。クーナさんの生い立ちがどうだって関係ない。俺にとって、クーナさんはクーナさんなんだ」
バケモノだろうがなんだろうが、俺が傷つけるわけがない。
ましてや命を奪うことなんて、絶対にない。
その決心を込めて、睨むようにしてミドリ所長を見る。
しかし彼女は真正面からその視線を受け止め、目を伏せて「そうですか」と呟いた。
「私の伝え方が悪かったようです。スレイさん、でしたね。貴方がクーナを慕っている気持ちはよく分かりました。
ですがだからこそ、貴方はクーナを止めなくてはなりません。これ以上、クーナが傷ついてしまう前に」
「……どういうことです?」
「マサヨシの手記には、ビーストの細胞は宿主に強力な破壊衝動を抱かせるとありました。やがて宿主は破壊衝動に支配され、苛烈な狂暴さに突き動かされるまま目に映るものすべてを破壊する怪物になってしまう」
ゆっくりと顔を上げ、ミドリ所長は静かに、けれど一言一言を力強く言葉を発する。
「あの子はもう手遅れになってしまった。せめて、敵味方見境なく襲うようになってしまう前に。そうならないよう解放してあげるのが、クーナに対する真心ではないですか? 争いを好まなかったあの子を楽にしてあげることが、救いになるとは思いませんか?」
——なにを、言ってるんだ。
よろける様にして後ろに一歩下がる。踏んだ小石が、じゃりと音を立てた。
「……争いが嫌い……? それを知っていて、それでも戦場に追いやったのはあなた達じゃないですかっ。それを今更、殺すことが救いみたいに言って!」
ミドリ所長は一瞬だけ目線を下げたが、すぐにまた鋭い視線を送ってくる。
「私は夫の過ちを償おうと、責任を取ろうとしましたが、罪が形を持ったようなあの子に堪えられず、突き放すような態度を取ってしまった。それが、あの子に歪んだ使命感を背負わせてしまったのです……。
それは、自覚しています。甘んじて受け入れるべき、私の咎です。でもだからこそ、あの子の暴走を黙ってみているわけにはいかない。私にその力があるのなら、そうしたい。けれど、私にそんな力はない。
……でも、貴方になら。厄災を鎮めたと創成譚に語られる『調和の器』であれば、それが出来る。貴方なら、クーナを救える」
眩暈がする。胸の鼓動が暴れまわって、息苦しい。
自分の浅く早い呼吸の音が、やけに大きく耳に響く。
クーナさんを救う。その気持ちは変わらない。その為に、俺は戦うと決めたんだ。
だけど、クーナさんを救うには、クーナさんの命を奪うしかない。
あの人を、俺が……。
そんなことできるわけがない。
けれどその一方で、もうそれしかないのかもしれないと、諦めてしまっている自分がいる。
クーナさんは、どうして俺をマザーパーチ号から降ろしたのか。
自分の末路を受け入れていたとでもいうのだろうか。
「スレイさん。貴方をここまで逃がしたのは、クーナなのでしょう?
機体を失うわけにはいかない。その考えもあったでしょうが、きっとそれは、変わっていく自分が貴方を傷つけたくないと、選択した結果なのではないでしょうか」
力が抜ける。立っていられずにそのまま膝が落ちた。
「どうか、あの子の想いを分かってくださるなら。あの子が、これ以上苦しむ前に……。お願いします」
視界がぼやける。
もうこれ以上は聞きたくなかったが、耳を塞ごうにも両腕を動かすことすらできない。
(もう、嫌だ——)
見たくもない結末が思い浮かんだ気がして、ぎゅっと瞼を閉じる。
「悩める若者を追い詰めるようにして決断を迫るとは。感心できぬ行いですな、ミドリ・キサラギ」
懐かしい声に、はっとして顔を上げる。
薄い赤茶色の衣をまとった僧侶。ヴァーン大導師の姿が目前にあった。
「マラザの気配を辿ってやってきてみれば。なんだお前。随分と酷い顔をしておるぞ。
いつぞやの頃よりもずっとな」
そう言って、大袈裟にため息を吐いて見せた。ミドリ所長は、突然の登場に驚いているらしく、その場で立ち尽くしている。
「お前さん、自分がどうやってここまでやってきたか、忘れちまったのか?
それとも、お前さんの決意なんぞこんな迷いで揺らぐほど、薄っぺらいものだったのか?」
腕組みをしていた右手を顔の前に下ろすと、曲げた中指を弾いて俺の額を打ち、にやりと笑った。
「馬鹿者め。やりたいようにやれば良かろうよ。器だとかどうとか、そんなもんは二の次だ。己自身の道すら迷う輩に、一体何ができるというものか」
「大導師……俺は」
「行ってこい。お前の心のうちは、最初から決まっておるのだろう。マラザのことは、儂に任せておけば良い」
良かろう? とヴァーンが振り返る先には、頭を下げるミドリ所長がいる。彼女はただ一言、お任せしますと言った。
口端を上げながら、ヴァーンは顎を上向きに振る。
(本当、この人は無茶苦茶だな)
一度だけ頭を下げた後、俺は片膝をつくクルセイダへと走り出していた。




