7話 パッシング・スカー
「クルセイダのガンカメラ映像の解析が終了した」
明るさを落とした白光灯が、マザーパーチ号の医務室に薄い影を落としている。
気怠い身体を寝台から上半身だけ起こし、まだぼうっとする頭でダリル隊長の言葉を遠くに聞いていた。
「話を続けるぞ、クーナ」という問いかけに、首肯で返す。
「スレイの証言通り、ルル・キサラギを撃墜したのは赤黒いアーキタイプだと確認が取れた。これで、帝国が仕組んだ罠でないことも一応の証明がされたということになる。本国の返答次第だが、艦長は作戦継続の可否について帝国と話し合いの場を持つお考えだ」
ダリル隊長は椅子に腰を降ろして背を丸め、肘を膝につけたまま軽く組んだ手で口元を隠している。こちらの反応がないことなど気にしないまま、言葉を継ぐ。
「おそらく、作戦は継続になる。超大型種の出現と、帝国の反乱分子……便宜上そう呼ぶが、やつらの乱入によって作戦中断から既に十四時間が経過したが、北上した超大型種によってテレイア連邦の首都は壊滅。
事実上、テレイア連邦は崩壊した。
怪物の次の行く先はどこか。西に行って帝国か、南に下って共和国か……。どっちが先でも、我々は今、これまで類のない明確な危機に直面しているというわけだ」
隊長は息を小さく漏らすようにして笑う。
「政治家連中はきっと、蜂の巣をつついたような大騒ぎだろうよ。軍司令部だって、そう変わらんだろう。
だが、ここであんな怪物を野放しにしておくことはできん。……艦長の読みでは、共和国と帝国による大規模な攻撃が画策されるだろうとのことだ。
俺たちは、その準備が整うまでの遅滞戦闘……足止めを任されるだろう。なんせ、一番近くに展開している部隊は、俺たちくらいのもんだからな」
「……スレイ、はどう、なりましたか?」
乾ききった喉から、掠れた声が漏れた。隊長は眉を上げると、ベッド脇の卓に置かれていた飲料水の入ったパウチを手渡す。
まずは飲めと目顔で促され、キャップを捻じって開けて一口吸う。いつもであれば嬉しいはずの潤いが、ひどく苦いものに感じられた。
「覚えていないのも、まぁ、無理はないな」
隊長は、そこで少し考えるように顎を手でさすったが、すぐに逸らした視線を戻した。
「まずは、お前の話をしよう。マザーパーチ号に収容された時、お前はコクピットで半狂乱になっていた。泣いて身体をさすってばかりいるお前には、誰の言葉も聞こえていないようだった……」
語られる内容に、まったく覚えがない。
曳航して収容したファルコンⅡのコクピットを外部から開き、話ができる状態にない私を引きずり出そうにも、激しく抵抗されてうまくいかない。
そこに現れたのは、マラザ導師だった。
いつものように突然現れた彼女は、私の前で膝を折ると、右手の小さい人差し指で何度か空を切り、ぶつぶつと何事かを呟いたという。
すると光を放つ粒子のようなものが導師の身体からわっと舞い上がり、私を包んだ。その僅か数拍の合間の出来事で、私は眠りに落ち、医務室へと運ばれたのだった。
マラザ導師はその後、ふらふらとした足取りで医務室に辿り着くと、「少し休むから」と言ってベッドに横になり、今もまだ、薄く黄色い布が張られた衝立の向こう側で、身体を休めている。
「……謝らなくちゃ、いけません。随分と、無理をさせてしまいました……」
できる範囲で身体を向けて、ゆっくりと頭を下げる。ありがとう。ごめんなさいと、心のなかで呟いてから頭を上げた。
「それで、スレイは……? スレイは、無事なのですよね?」
「ああ、安心しろ。機体は損傷しているが、本人に目立った外傷はない。どさくさに紛れてそのままマザーパーチ号に収容している」
ほっと、胸を撫でおろす。だが続く言葉に、胸に冷たいものが走った。
「今は懲罰房だがな。まったく、運のいいヤツだ。分厚い装甲のおかげもあるが、咄嗟にコクピットを腕部で遮ったことも、無傷で済んだ要因だろうな。まさか錯乱して攻撃してきた連邦軍機を庇い、射撃寸前の射線に躍り出てくるとは……。スレイも、冷静な判断力を失くしてたんだろう」
「え……いや、あの」
概ねその通りにも聞こえるが、私と隊長の間では、事実の捉え方が異なっているように思えた。
確かにスレイは連邦軍機を庇った。私が、撃ってしまったこともまた事実。だけど、彼は突然射線に飛び込んできたのではない。私には、引き金を止める猶予もあったはずなのに、それをしなかったのだ。
銃口を向けられても、それでもスレイが退かなかったのは、ひとえに私に連邦軍機を撃たせまいとしたからなのだろう。スレイの行動は、冷静ではなかったかもしれないが、決して錯乱などしていなかった。
(むしろ、どうかしているのは、私のほうだったのに……)
「エフツーのガンカメラ映像も解析している。連邦軍機に対する君の行動は、隊の保全を図るうえで正当な行為だった。まぁ、スレイも反省しているようだし、あんなに荒れた戦場で、まともな精神状態でいれるはずもない。艦長も、形式的なものだと」
「隊長っ! あの、私は」
懲罰を受けるべきは私だ。スレイは、私を庇っているのだと、伝えたかった。
そうして身を乗り出して言葉を遮った私に、隊長は両手を肩に置く。
「言わなくていい。わかってる。言っただろう? スレイの証言通りだった、と。何があったか、全部聞いてる。そのうえで、正当な判断だったと言ってるんだ。それに……ロックロックのことも、残念だった」
ぐっ、と肩を押す手に力が入った。眉をしかめたまま目を閉じ、ひとつ息を吐いたあとに、隊長はゆっくりと瞼を開けた。
「……いいヤツだった」
スレイの言っていた、ロックロックが死んだという言葉が、初めて胸に落ちてきた。無理にでも場を盛り上げようとする軽口も、妙に耳に残っていたギターの音も。
——初めて助けてくれた時のあの声も、もう聞くことはできない。
共に戦った仲間を失う経験は、なにも初めてではない。これまでにも、それなりに多くの隊員を見送ってきた。
それでも、この痛みに慣れることなんかありはしない。どんな軍人だって、痛みを感じないなんてことはないはずだし、そういうものだと思いたかった。
「レドナは、知っているのですか?」
「黙っておくわけには、いかないだろう。今はそっとしておいてやろう」
肩から手をどかして、浮かした腰を椅子に戻す。
「別れを偲ぶ時間があって良い。そう遠からず、俺たちはまた出撃しなけりゃならなくなるのだからな。しかも、今度こそ生きて帰れるかわからん作戦だ。軍人として、共和国の礎になる覚悟をしなけりゃならん」
主戦力が到着するまでの足止め。圧倒的なまでの敵勢力に対する遅滞戦闘となれば、損耗率は自ずと高まる。
レイルズ艦長であれば全滅を避け、限界点を見極めて撤退指示を出されることもあるだろうし、帝国との共同戦線ともなれば心強さも感じるが、生きて帰って来られる可能性は、やはり限りなく低い。
そう考えた時、ある考えが頭に浮かんだ。
そしてそれこそ、私たちが果たさなくてはならない責任にさえ思えた。本来なら、私たちが彼を護らなくてはいけないのだ。
「……隊長、ご相談があるのですが」
隊長は少しだけ口元を緩ませ、わずかに頷いてみせた。
◆ ◆ ◆
懲罰房といっても、固い寝台に背を痛めることはなかった。
一通りの報告を終えると、艦長は「ご苦労だった」と一言だけ告げた。そして「大変な戦いの後だから心苦しくはあるが」と、規則に則った懲罰房行きを命じたのである。
理由は明白だったし、異論を唱えようとは始めから思ってない。
拒むつもりもなかったが、手錠などの拘束の類は一切されなかった。
こんなものか、と不思議に思いながらも、ダリル隊長自らの案内に従って艦内を歩いていくと、彼はぽつりと呟いた。
「拍子抜けでもしているかもしれないが」
顔を前に向けたまま、言葉を続ける。
「艦長も私も、なにも本気で罰を与えようなど考えちゃいない。とはいえ、規則ってもんを個人的な判断で反故にしては、部下たちに示しがつかんのでな」
そうして連れられた懲罰房は、古めかしい、鉄檻のおりた収容部屋で、左右と奥にみえる無機質な壁には、簡易的な寝台とトイレが置かれているだけだった。
促されて鉄檻をくぐると、きっちりと畳まれた毛布に、片手で持てるくらいの布袋を手渡される。
「狭いが、まずはゆっくり休んでくれ」
去っていくダリル隊長を見送って、布地が厚く柔らかな手触りの毛布を寝台に敷く。そこに腰を降ろしてから、袋を開いて中をのぞいた。
中身は、クッキバーなどの食料や菓子、パウチに入った飲料水だった。底の方に半分に折られた紙があって、摘まみあげて開いてみると、懐かしい文字が目に入ってきた。
——よく帰ってきた。またお前と会えて、嬉しく思う。
おやっさんからの、たった一文だけの手紙。それだけで、じんわりと身体が温まり、冷たくなった手足の先まで血が通った気がした。
滲む目を手の甲でこすり、飲料水のキャップを開けて口をつける。勢いがつきすぎて咽たが、それが余計に「生きて戻った」という実感を与えてくれていた。
途端に重い気怠さが身体にのしかかってきて、寝台に横になる。
……少し眠ろう。そう思っても、しんとした静寂のなか、閉じた瞼の裏に様々思いが浮かんでは消えていく。もぞもぞと何度か寝返りを打っても、胸の靄は晴れない。
(……人間って、あんな呆気なく死んでしまうんだ)
死別をはじめて経験したわけではない。
これまでだって、ビーストとの戦いのなかで命を散らしていった人たちを多く見てきた。ただ、彼らと違って、姉やロックロック、ルルの存在が自分にとって特別だったから、これほどぽっかりと胸に穴が開いた気がしているのだろう。
そう自覚すると、途端に自分が薄情な人間になったように思えてしまい、言い表しようのない、嫌な気持ちになった。
(……なんで、エレオラさんは皇帝陛下を裏切ったんだろう。そんなことしたって、なんにも得なんかしないじゃないか。ただただ世の中が、悪い方向に傾いていくだけだ)
こんこんと水が湧き出るように様々な思いが浮かんでは消えていき、その度にごちゃごちゃとした感情が胸を過っていく。そうして、最後にはコクピットのなかで膝を抱えて泣いているクーナを思い浮かべるのだった。
(クーナさん……)
——微かな物音にはっとして目を覚ます。薄く漂う暗闇を眺めるうちに、いつの間にか眠っていたらしい。
どれくらい時間が経ったかは分からなかったが、身体にのしかかっていた気怠さはまだ残っている。寝台から降り、ぐしゃぐしゃと乱暴に顔をこすった。
「……目が覚めた?」
まともな明かりもない、鉄檻の向こう側から聞こえた小さな声。それはクーナのものだった。
「クーナさん……?」
まだぼやている視界のなか、クーナが鉄檻に近づく。かちゃりと冷たい金属音がして、擦れるような音を立てて外側に格子の扉が開いた。
「さぁ、私に付いてきて」
◆ ◆ ◆
つい先ほどの戦闘が夢だったかのように、艦内は静まり返っていた。
それもそのはずで、窓から見える雲海の上には、星々が白く瞬いている。かなり夜も深い時間帯なのだろう。船員たちは寝静まっているらしい。
コツコツと小さく靴音を立てて先を歩くクーナの、小さな背中を見守る。
小さく縮んで見えるその姿に、何か声をかけなくちゃいけないと思いながらも、なんて言えばいいのか分からず、結局黙って付いて歩くしかなかった。
両側下部の最低限の照明だけが灯る廊下を行く。向かう先は、艦の後部にある格納庫らしい。
やはり人気のない格納庫内の一角、奥のハッチ際には輸送船が置かれていた。ドールズ一機くらいなら搭載可能な荷台部分には、クルセイダが膝立ちの姿勢で載せられている。
「クルセイダに乗って。さ、早く」
「……いったい、どういうことなんです。説明してくださいよ、クーナさん」
振り返ったクーナの表情は歪んでいたように見えたが、それは見間違いかと思うほど一瞬で消え去り、きゅっと唇を結んだまっすぐな視線がこちらを見つめる。その小さな口が、ゆっくりと動かされる。
「スレイ。よく聞いて。これから貴方には、マザーパーチ号を降りてもらう。クルセイダを、技研まで運んでいってほしいの」
「艦を降りる? なんでですか。あのバカでかいビーストだって、まだどうにもできちゃいないんでしょ? 合同作戦だって、まだ継続してるんじゃないんですか」
あの超大型種ビーストが健在であること、現状では手の出しようがないことは、艦長や隊長の話で聞いていたし、眠っている間に事態が進展しているとは思えなかった。
三か国の関係がどうなったか知らないが、艦長とレンファであれば、共同作戦は継続するだろう。
「そうね。事態は悪化しているわ。超大型種によって連邦は事実上崩壊。次は共和国か帝国か、他の国かもしれない……。本国は、帝国との共同作戦の継続と、超大型種の討伐を決定したわ。その為には戦力を整える時間が、それ相応に必要になる。私たちはそれまでの足止めをすることになった」
「……そんな。それじゃ、俺も残ります。俺だって、ソング・バード隊の一員です。自分だけ逃げるような真似は、できませんよ」
「勿論、スレイはこの隊の一員。それに間違いはない。だけど、これは逃げるわけではないの。貴方だって、クルセイダが共和国にとってどういう存在か、聞いているでしょ?」
「『調和の器』ですよね。だけど、そんな訳の分からないものより、俺は護りたいものがあるんですよ!」
クーナは、少しだけ笑う。口元は緩んでいるが、どこか寂しそうで、悲しげな色が透けて見えた。
「それだけではないわ。一緒に、マラザ導師も連れて行ってほしいの。私なんかの為に、無理をなさって……まだ目を覚まさない。このまま作戦にお連れすることは、できないわ」
「……でも」
「チャンスは、帝国軍と合流する前の今しかない。こういう時くらい、素直に言うことをきいて」
理解はできても、納得ができずに首を振る。
一歩踏み出すと、クーナは一歩下がった。俯き加減に向けられる青い瞳は、鋭い光を宿している。
「……貴方が戦う理由なんかない。そう言っているのが分からないの?」
冷たい刃が胸に突きつけられるような感覚に息が詰まった。
何か反論しなくてと思っても、喉が腫れてしまったかのように、か細い息が漏れるだけだった。
「俺が……親父の息子だから、ですか」
「そう。私にとって恩人の、グレッサ大尉の息子さん。私には、それだけでいいのよ」
◆ ◆ ◆
マザーパーチ号のハッチが開いていく。逆巻くように風が入り込み、少し離れている私の髪を靡かせた。気を抜いて吹き飛ばされないよう、足に力を込める。
「輸送船は技研に向かうよう設定しているし、発艦後しばらくはこちらでリモート操縦するよう設定しているけど、その後のコントロールはクルセイダでも行えるよう調整してもらったわ。空域離脱後の有事には、それで対応して」
装着したインカムに向かって話すと、クルセイダのコクピットに収まったスレイが、小さく返事を返してきた。
「でも、マラザ導師が乗っていることを忘れちゃ駄目よ。時々、ご様子も見てあげてね。戦闘軌道なんて、もっての他なんですから」
「ええ……わかってます」
「では、射出までのカウント開始」
コンソール操作の為に視線を落とす。モニター端に表示されている数字が、刻々と短くなっていく。
修繕が間に合わず損傷がところどころ残るクルセイダに、引き攣った表情のまま握った拳から力が抜ける、スレイの姿が重なった。
(私の言葉がまた、スレイを傷つけた。私は、なんて酷い人間だろう。……いや、人間じゃなかったか)
だからこそ、伝えなくてはいけない言葉がある。
「——スレイ、ありがとう。貴方の気持ち、嬉しかった」
ガコン、と輸送船を固定していたロックが外れる。
「でも私は、バケモノだから。スレイの気持ちには応えられない。一緒には、いられない」
クルセイダの双眸が、こちらの視線を捉えたような気がした。
「ありがとう。さよなら」
弾けるような音がして、輸送船が視界から消えた。




