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インフルエンザが流行中だそうで、皆様もお気をつけください。
調理場でお客さんが食べ終わって下げられた食器やカトラリーを洗いながら隣で同じ様に洗い物に精を出すユーリをアンリはチラリと見下ろした。
射干玉色の艶やかな髪を頭の上で一つに纏め、ユーリが動く度にサラサラと靡く。洗い物に集中している同じく黒い瞳に少しでも良いから同じ様に熱心に自分を見て欲しいという欲求を覚えるアンリ。
当初、アンリから触れる事にかなり抵抗された。そんなに嫌なんだろうかと多少傷付いたが、それが恥ずかしいという感情からの抵抗だと直ぐにわかった。触れると直ぐに真っ赤になり、慌てるユーリの表情がとても可愛く、コロコロと変わる表情に胸が痛い程に高鳴った。
彼方の世界で辛い目にあった彼女が自分の容姿に自信が無い事も直ぐにわかった。町に一歩でも出るとユーリの容姿、肢体に釘付けになる異性などごまんといる。
それなのに家族からの刷り込みにより、周りの視線を彼女は歪んだ形で受け取る。他にユーリの意識が逸れる事がないので安堵する。そして、歪んだ家族関係によってユーリは“甘える”、“頼る”という行為を知らない。
今もガンツ達に頼まれて洗い物をしているが、隣に立つアンリに任せるという事はしない。自分が頼まれたのだから責任持って最後まで果たすのだという感情で行動している。この行動に責任感が強いのだろうと思うが、そのまま頼まれたからには最後までという考えでは、直ぐに潰れてしまう。
洗い物を終えて、居住スペースへと移動すると今度は掃除を始めたユーリ。それをアンリが手伝うと一通りの掃除が終わったので、今度は洗濯をするべくタオルや服などを集め始める。ユーリは二人の部屋へと入り、着ていた服、ベッドのシーツなどを集め始めた。
「ユーリ」
「何?」
アンリが自分を呼ぶ声に剥がしていたベッドシーツを持ったまま手を休めて、ユーリは背の高くなったアンリを見上げた。そこには少し憂いたような表情のアンリがいた。そんな表情も無駄に色っぽいことに本人は気付いているだろうか、と考えたがユーリは言葉をそのまま飲み込んだ。
「ユーリはもっと私に甘えてください」
「そう?今だって手伝ってもらってるし、これって甘えじゃないの?」
「これは私がしたいからしているだけです。ユーリから手伝って欲しいと言われたわけじゃありません」
何処か拗ねたように唇を尖らせたアンリが少し子供っぽくて可愛く見えた。普段は落ち着いた雰囲気と言動のアンリだが、事ユーリの事となると感情的になり、ユーリから送られる言葉に一喜一憂する。今も頼って欲しいのに頼ってくれないユーリに不貞腐れている。
「もう、ガンツもナンシーも私も家族ですよ」
家族。ユーリの中でも“家族”は冷たく不干渉な人との繋がり。ただ血が繋がっているだけの他人。暗く静かな家に帰り、食事を作り、洗濯し、お風呂の準備をして血の繋がった他人を迎える。帰宅しても“ただいま”の言葉もなく、何かしても“ありがとう”も無い。その事に徐々に心が冷めていくのを感じた。
ユーリが小学校の頃、家族行事があった。同級生の両親が参加をしているのをぼんやりと見ていたユーリ。忙しい両親が時間を作ってくれて参加してくれたことに嬉しそうに満面の笑顔の同級生。それに答えるように優しく笑う同級生の両親。ユーリはそれを羨ましそうに眺めているだけ、両親は参加してくれなかった。
父親は会社の仕事が忙しいと言い、母親は幼い妹を芸能人にしようと色んなオーディションを受けさせる為、不在。
『もしかしたら』という淡い期待は脆く崩れ、一人寂しくその日を過ごした。
そんな事が続けば、期待するだけ傷付くし、落胆する。それならば、最初から望まない方が良いと自分の中で結論した。それからは一切、行事事などは両親に伝えなかった。
だが、この異世界ティエラに来てからガンツとナンシーに出会い、暖かく迎え入れてくれて、ベンやヴィオレットと出会った。彼等からも良くしてもらい日々を過ごしているうちにアンリに出会った。毎日賑やかで暖かく楽しい雰囲気にユーリの中で少しづつ家族とはもしかして、こんななのだろうかという思いが芽生えた。
「ユーリ、私達は貴女の家族になれませんか?」
「っ!」
寂しそうに笑うアンリ。羨ましくて、欲しくて欲しくて手を伸ばしても手が届かなかった存在が優しく笑い、腕を広げて迎えてくれる。飛び込んでいく勇気など無いが、アンリの柔らかい笑顔に縋っても良いのだと甘えても良いのだと雄弁に語っている。
だが、足を踏み出せないユーリにアンリがゆっくりと歩み寄り、優しく抱き締めた。
「ユーリ、ユーリは此処で幸せになって良いんです」
一瞬固くなったユーリの身体を無理には拘束せず、いつでも抜け出せるように緩く囲う。
「ふっ…」
優しくユーリを抱くアンリの腕の心地好さにゆっくりと凝り固まった思いが溶けていく。解れていく思いと身体を促すようにポンポンと優しく背中を叩いてくれるアンリ。アンリの服にしがみつき、溢れる感情と涙を抑える事なく声も無く泣く。凝り固まって淀んだ感情が溶けきって現れたのは『愛して欲しい』というユーリの切なる願いだった。
――家族に愛して欲しい
――友人に愛して欲しい
――愛する人に愛して欲しい
泣き続けるユーリの細い身体をアンリは今度こそ強く抱き締めた。それに言い知れぬ安堵感を覚え、アンリの体温と花の匂いを感じながら不覚にも眠りへと落ちていった。
◇◇◇◇◇
自分の腕の中で安心して眠るユーリに嬉しさ半分、脱力感半分の表情でアンリが笑う。
中途半端になっていたベッドシーツの交換をしようとユーリをベッドへと下ろそうとして服をしっかりと掴まれている事に驚き、そして嬉しくなった。
『頼ってくれている』と感じたアンリが陶然と微笑む。腹の底から溢れる歓喜の感情に今すぐにでもユーリを自分のものにしたいと強く思った。だが、ユーリは健やかに眠っている。そんなやっと自分に素直に頼ってくれている存在に感情優先で独占すると後で不和が生じてもおかしくないと考え、高ぶった感情を圧し殺した。
「我が君、ニヨニヨと笑うのは止めた方が良いッス」
「婦女子の寝顔を見ながらそんな表情をして…普通だったら不審がられますぞ」
いつの間にか部屋の前に呆れた顔でベルンとミカが立っていた。
「少し静かにしろ。ユーリが起きるだろう」
泣いた目元がほんのりと赤くなり、長い睫毛が湿っている。夢を見ているのか目蓋がピクピク動いている。それをアンリは愛しそうに眺め、頬にかかった一房の髪を払う。
「願わくば、泡沫の夢でも楽しいものであれ」
優しく囁くとユーリの目蓋に唇を一つ落とし、静かにユーリが目覚めるのを待った。
読んでいただきありがとうございます。
家族に恵まれなかったユーリをアンリはどうにかして甘やかしたい。




