閑話 出会い
ガンツとナンシーがユーリに出会ったのは草原の真ん中だった。
その日、ガンツとナンシーは久々に経営している白鹿亭を休みにして遠出していた。
のんびりとガンツとナンシーが王都から程近い平原でピクニックがてら散歩をしていると精霊が目の前を横切って行った。二人は驚いて互いの顔を見合わせた。
普通、精霊は人が暮らすのとは違う次元にいる。そんな彼等が姿を現すのは余程の事か気紛れと相場が決まっている。
今回は前者である『余程の事』の方だったようだ。
浮遊している精霊を目で追っていくと多くの精霊がある一点に集まっているのを見つけた。
二人は訝しみながらも精霊が集まる場所へと近付いてみると、少女が倒れていた。
その少女はこの世界でも珍しい黒髪だった。長く黒い睫毛の奥の瞳の色までは分からないが、もし、黒目であれば、きっと彼女は違う世界から来た少女なのだろうとガンツは考えた。
ガンツの生家は伯爵家だった。伯爵家で最初に教えられるのは武功をたてて陛下から『異界からの訪問者』を賜ったという由緒ある家柄であるという事だった。
教えられた当時のガンツはまだ幼く素直にその話に瞳を輝かせて感動していた。
ある日、誰も知らなかった秘密の部屋の隠し扉を発見して、その部屋で日記を読むまではガンツは無邪気だった。
埃を被った古い日記には、当時の異界からの訪問者の心情が綴られていた。
異界からの訪問者の少女は突然異界に飛ばされて混乱し、困惑し不安であったが、丁度騎士が通り掛かった事で王宮に保護された。保護されたは良いが、最初は黒髪黒目で気味悪がられて王宮内でも無いものとして扱われた。
ある日、精霊に好かれる体質だというのがわかると掌を返したように優遇してくる貴族達に嫌悪感を持った事。保護した国に所有権があると言われ、武功をたてた貴族に嫁に行くようにと下賜されるのを強要された事。
嫁いでからも色々な所から好奇の目に晒されていた事などが書かれていた。
彼女の人生は波瀾に満ちて、日記からは伯爵家での生活は幸せではなかったようだ。
親族らから語られる話はあくまでも伯爵家側での一方的なものだとこの時のガンツは気付いた。真実は彼女の日記に綴られた事の方が正しいのだろう。
それからのガンツは親族達の話を鵜呑みにしなくなり、猜疑心は育っていった。
ガンツが青年になる頃には社交から遠ざかり、騎士団に身を置くようになっていた。
社交界から遠ざかったのは、異界からの訪問者の話を聞きたがったり、伯爵家の跡目を継ぐガンツに取り入ろうとする人々に嫌気が差した為だった。
騎士団に所属したのは、家から離れ、一人でやっていきたかったからだった。
騎士団に入って、ガンツが騎士団団長まで上り詰めた頃、いつもは行かない平民街の一角を巡回している時に男達に絡まれている女性を助けた。
その女性がこれから一生を共に過ごすナンシーとの出会いであった。
ガンツは男達から助けたナンシーと一瞬で恋に落ちた。二人とも一目惚れだったとお互いがその後話している。
二人は付き合うようになったが、いつも何処か遠慮したようなナンシーに奥ゆかしいのだろうと思っていた。長い交際期間を共に過ごし、ガンツが結婚を申し込んだが、断られた。理由を尋ねると貴族と平民では身分差があるので無理だと言われ、ガンツは頭を殴られたような衝撃を受けた。
意を決して、両親に結婚したい相手がいるのだと伝えると大変喜ばれた。相手が平民だと伝えると一気に両親は激昂し、反対された。反対されると分かっていても伝えたかった。世間では身分差がある結婚は認められないので、せめて両親には祝福して欲しいと願いながら。
落胆し、越えられない壁に初めて、ガンツは自分の肩書きである次期伯爵と騎士団団長が煩わしくなった。
両親に内緒で色々な手続きをし、弟を説得して次期伯爵という肩書きを譲り、ガンツは家を出奔するように出ていった。
ガンツはナンシーと暮らし始めた。肩書きがなくなり、ガンツも平民になると一気に肩が軽くなり、色々な物が眩しく見えた。
今まで灰色だった世界がナンシーに出会い、枷が取り払われて自由になった自分の世界は何処までも広く、色鮮やかだった。
そんな毎日が嬉しくて、楽しくて仕方なかった。
ガンツは職を騎士団団長から冒険者に変えて日々を過ごした。元々騎士団で働いていたガンツは強く、直ぐに冒険者の上位に食い込むようになった。
色々なパーティーから誘われたが、ナンシーと共に生活するだけのお金を稼げれば良かったのでのんびりと依頼をこなした。
そんなある日、ナンシーが宿屋をやりたいのだと言った。ガンツはナンシーが望むならと高額の依頼を鬼のようにこなしていき、宿屋を開くだけの資金を直ぐに稼いだ。
二人で一緒に何処に建てて、どんな間取りにしようかと話し合い、決めて業者に依頼した。宿屋を建設中にガンツは依頼をこなして、何かの為のお金を稼ぎ、ナンシーは宿屋で提供する料理を研究した。
晴れて宿屋の主人になることができた二人は宿屋の名前を『白鹿亭』と名付けた。
白鹿は精霊獣と呼ばれ、精霊に次ぐ高位の存在。そんな彼等は滅多に人前には現れず、姿を見たらご利益があるのだと言い伝えられている有難い存在だった。そんな有難い存在の名にあやかってつけさせてもらった。
若かった二人が皺を刻む頃になると子供ができなかった二人の体力は限界にきていた。
子供がいれば、経営を手伝ってもらったり、宿屋を譲って引退をする事もできたが、二人には子供ができなかった。
子供は授かり物だと思っている二人。縁が無かったのだと諦めた。
長年、休む事無く働いていた二人は久々にデートをしようという話になり、宿屋を休みにして、ピクニックに出掛けた。
そんな二人の前にユーリが現れたのだった。
ガンツが倒れている少女を抱き起こし、呼吸を確認すると眠っているだけだとわかり、二人がほっと溜め息をついた。
少女が目覚めるのを待ちながら、持ってきていたバスケットの中からサンドイッチを取り出して食べ始めた。その間も精霊達は少女の周りを心配そうに飛んでいる。
ガンツとナンシーはその光景に頬を緩めて見守った。
穏やかに風が吹き、緑の海がサワサワと波打ち、少女の頬を撫でていく。天上からは暖かな太陽の光が降り注ぎ、長閑な空気が辺りに漂う。
バスケットの中のサンドイッチが半分に減る頃に少女は目を覚ました。
長い睫毛が震え、奥の真っ黒な瞳を日の目に晒すと思われた瞬間に精霊達は空間に溶けるようにいなくなった。
目を幾度も瞬き、暫くぼんやりとした表情からゆっくりと目の焦点があっていく。
夢の世界から現実へと戻ってきた少女は、その大きな真っ黒の瞳を膝枕をしているナンシーに向け、ガンツへと視線を移動させる。
少女の表情からは徐々に警戒心を持ち始めたのが分かった。少女はナンシーの膝から勢いよく起き上がり、後退った。
ガンツとナンシーはちょっと困った顔をして、どう現状を説明したものかとお互いを見合う。
口を開いたのは、結局ナンシーだった。
「こんにちは。貴女は今まで倒れていたのよ?大丈夫かしら?」
おっとりしたナンシーは、相手に不快な思いをさせる事無く、信頼してもらえるという特技がある。今回はそれが功を奏したようだった。
「……そうなんですか。すみません。ありがとうございます」
途端に少女は警戒心を引っ込めて、二人を訝しんだ事を申し訳なさそうに謝った。
「いいえ、いきなり知らない人がいたら、そんな反応もするわよ。私はナンシーで隣の素敵な男性が私の旦那様のガンツよ。貴女は?」
おっとり微笑んでガンツを誉めるナンシー。誉められたガンツが少しばかり頬を赤く染める。
「私は…………ユーリ…です」
何かを飲み込むように答えるユーリ。しかし、ユーリの名前を聞いたガンツが不思議そうに首を傾げる。
「ユーリは異界から来たんだろう?それなら名前がこっちと違うはずだが?」
「異界?異世界って事ですか?」
「そうだ」
ガンツの言葉でユーリの顔色がどんどんと青くなっていく。それを二人は心配そうに見ている。
「そんな…」
整理のできない現状にユーリの感情は彼女の中で荒れ狂い、混乱と困惑、悲嘆などがユーリの表情に表層化していく。
堪え切れない感情にユーリは遂に頭を抱え、踞ってしまった。
心配したナンシーが駆け寄り、ユーリの震える小さな体を抱き締めた。
「不安よね。私では貴女がどうして此処に来たのかは、分からないけれど私達がいるわ」
優しくユーリの頭を撫でながら声をかけ続けるナンシー。ガンツもゆっくりと近付き、拒絶されるかもしれないと思いながらもユーリとナンシーを無言で抱き締めた。
ユーリからはくぐもった嗚咽が聞こえてきても二人はユーリを抱き締めるのを止めなかった。
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