第二話 冷酷公爵様はなぜか私にだけ甘い
第二話 冷酷公爵様はなぜか私にだけ甘い
「結婚を前提にお付き合いしていただきたい」
谷底に静寂が満ちる。
レティシアは目をぱちぱちと瞬かせた。
一回。
二回。
三回。
どう考えても聞き間違いではない。
「申し訳ありません」
「何だろうか」
「頭を打たれました?」
アレクシスは生まれて初めて呆然とした。
王国最強と呼ばれる男である。
戦場では数万の敵軍を退けた。
冷酷公爵と恐れられている。
そんな彼が、初対面の令嬢から真顔で頭の怪我を心配されていた。
「打っていない」
「そうですか」
「残念そうだな」
「少しだけ」
正直な感想だった。
なぜ突然求婚されたのか全く理解できない。
「理由を聞いても?」
レティシアが尋ねる。
アレクシスは少し考えてから答えた。
「君だからだ」
「説明になっていません」
「そうだな」
本人にも珍しいことだった。
合理的な男である。
感情で動くことは滅多にない。
だが先ほど。
魔物達に囲まれた彼を見て、無謀にも助けようと飛び出してきた少女を見た瞬間。
心を奪われた。
ただそれだけだった。
「君は命懸けで私を助けようとした」
「目の前で人が死にそうだったので」
「普通は逃げる」
「それもそうですね」
レティシアはあっさり頷いた。
だが後悔はしていないらしい。
その姿にアレクシスはさらに好感を抱いた。
◇
二人は谷底から脱出することになった。
幸い魔物達は落下の衝撃で気絶していた。
「こちらだ」
アレクシスが先導する。
険しい崖を難なく登っていく。
さすが王国最強クラスの騎士である。
だが途中で振り返ると。
レティシアは花を摘んでいた。
「何をしている」
「綺麗だったので」
「今か?」
「今です」
迷いがない。
アレクシスは頭を抱えたくなった。
今まで出会った女性達は皆、公爵である彼に媚びる者ばかりだった。
だがレティシアは違う。
自分に興味がない。
花には興味がある。
その温度差が凄かった。
◇
夕方。
北方大公家の領館。
突如現れたレティシアに使用人達は騒然となった。
さらに。
「公爵様が女性を連れて帰ってきた!?」
「しかも侯爵令嬢です!」
「世界が終わるのでは?」
そんな噂まで流れ始める。
アレクシスが女性を伴って帰宅するなど前代未聞だった。
執事も驚きを隠せない。
「お客様のお部屋をご用意しました」
「ありがとうございます」
レティシアが微笑む。
その笑顔に使用人達が息を呑んだ。
可愛い。
非常に可愛い。
しかも噂と違い性格も穏やかで上品だった。
「悪役令嬢とは……?」
「情報が違うのでは?」
屋敷内の評価が急上昇する。
◇
その夜。
豪華な夕食が用意された。
長いテーブル。
高級料理。
貴族らしい食事だ。
しかしレティシアは少しだけ寂しそうだった。
「どうかしたか」
アレクシスが尋ねる。
「畑が気になります」
「畑?」
「追放されてから育て始めた野菜がありまして」
アレクシスは沈黙した。
普通の令嬢なら宝石やドレスの話をする。
この令嬢は大根の心配をしている。
新鮮だった。
「明日見に行こう」
「本当ですか?」
初めて。
レティシアが分かりやすく喜んだ。
瞳が輝いている。
アレクシスは少し笑った。
その瞬間。
食堂中の使用人達が固まった。
公爵が笑った。
数年ぶりの出来事だった。
◇
一方その頃。
王都では異変が起こり始めていた。
王太子エドワードは苛立っていた。
最近。
聖女ミレーユについて奇妙な報告が増えていたからだ。
「またか」
机の上には報告書が積まれている。
寄付金の使い込み。
護衛との癒着。
虚偽発言。
どれも以前なら信じなかった。
しかし。
最近になって証人が次々現れ始めた。
「そんなはずはない」
エドワードは否定する。
ミレーユは優しい。
純粋だ。
そう信じていた。
だが。
報告書の山は積み上がる一方だった。
そしてふと。
彼の脳裏にレティシアの姿が浮かぶ。
いつも自分を支えてくれた婚約者。
どんな失敗をしても助けてくれた女性。
そういえば。
彼女に関する悪評は全てミレーユ経由だった。
自分は一度でも確かめただろうか。
胸に妙な不安が広がる。
◇
翌朝。
レティシアは辺境の自宅へ戻っていた。
アレクシスが護衛としてついて来ている。
公爵本人が。
「本当に来るんですか?」
「問題あるか?」
「ありませんけど」
公爵は当然のように畑作業を見学し始めた。
レティシアは黙々と土を耕す。
アレクシスはその姿を眺める。
穏やかな時間だった。
すると突然。
騎士が馬を飛ばしてやって来た。
「大公閣下!」
「何だ」
「王都より緊急報告です!」
騎士の表情は険しい。
相当な問題らしい。
「聖女ミレーユの不正が発覚しました!」
レティシアとアレクシスが顔を見合わせる。
「さらに王太子殿下がレティシア様との面会を希望されています!」
レティシアは嫌そうな顔をした。
アレクシスはさらに嫌そうな顔をした。
どうやら。
王都の騒動はまだ始まったばかりらしい。
そしてエドワードはようやく、自分が取り返しのつかない過ちを犯した可能性に気付き始めていた。




