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第7話:越境するゲリラ通貨、あるいはエリートの経済封鎖

王宮地下の重苦しい空気の中に、リーゼロッテの冷酷な宣告が残響となって響いていた。

魔導スクリーンが砂嵐と共に暗転し、国家破産デフォルトの秒読みこそストップしたものの、彼らに残された新たな課題は、先ほどまでの通貨攻撃よりも遥かに巨大で、途方もないものだった。


三十日以内に、独自のゲリラ貨幣である『精霊手形』の流通総額を、同盟全域の市場の一割にまで拡大させること。

それは言葉で言うほど生易しいものではない。大陸中央商工魔導同盟が支配する経済圏の総市場規模は、軽く数百兆ゴールドに達する。その一割ということは、わずか一ヶ月の間に、数十兆ゴールド相当の取引をこの辺境の紙切れで埋め尽くさねばならないという意味だった。


「同盟全域の一割だなんて、冗談じゃねえぞ……!」

トマスが信じられないものを見る目で、レオンの顔を覗き込んだ。

「おいレオン、あの大神童(ロリ総裁)は何を考えてるんだ? いくら俺の『ワンクリック・ギルド』の転送陣をフル稼働させたって、このルード王国の物産だけでそんな巨額の市場シェアを奪い取れるわけがないだろ! 物理的な生産量が圧倒的に足りねえ!」


「そうよ!」

クロエもまた、自身の特産品の限界を理解しているがゆえに、焦燥の声を上げた。

「うちの小麦やハチミツをどれだけ総動員したって、同盟全域の何億人っていう胃袋を満たすほどの量なんて作れるわけないじゃない。戦う前に、物理的なキャパシティ(生産限界)で破綻するわ!」


二人の指摘は、経済学の常識に照らし合わせれば一〇〇%正しかった。

小さな辺境の一国家が、大陸全土を覆う巨大な経済怪物のシェアを一割も奪うなど、どれだけ品質が良くても不可能だ。ミュリンもまた、不安そうにレオンの草臥れた外套の袖を握りしめていた。


しかし、レオンは焼き上がったばかりのタルトの高貴な香りを胸いっぱいに吸い込み、ふっと不敵な笑みをこぼした。


「いいや、可能さ。二人とも、リーゼロッテの言葉を額面通りに受け取りすぎている。あの女は、俺たちに『ルード王国の物産だけで一割のシェアを取れ』とは一言も言っていない。あの女が求めているのは、この『精霊手形』というシステム(通貨)が、同盟の市場で一割流通することだ。つまり、裏付けとなる『実物資産』は、ルード王国のものだけでなくてもいいのさ」


「……どういう意味だ?」

トマスが算盤を握る手を止め、レオンの言葉の裏を探るように目を細めた。


レオンは近くの壁に背をもたれかけさせ、流れるように説明を始めた。

現在の同盟全域は、中央の主導する『効率化』と『標準化』によって一見豊かになっているが、その急進的なグローバリズムの陰では深刻な歪みが蓄積している。安価な量産品が中央から津波のように押し寄せた結果、同盟領内の多くの地方都市で、かつて栄えていた伝統的な鍛冶師、農家、織物職人といった地場産業が次々と倒産し、失業者が溢れかえっているのだ。彼らは同盟の共通通貨『ゴールド』の恩恵を受けられず、中央の特権階級による搾取システムに強い不満を抱いている。


「同盟の内部にも、このルード王国と同じように『グローバリズムの敗者』になった連中が数千万人はいる。俺たちの発行する『精霊手形』は、単なるルード王国の物産引換券じゃない。同盟の量産品に反旗を翻す、すべての『ローカル職人たちの互助ネットワーク』の共通紙幣にしてしまうのさ」


「ローカル職人の、共通紙幣……!」

ミュリンがハッと息を呑んだ。


「その通りだ」レオンは頷く。

「トマス、お前の持つ魔導転送陣のネットワークを使い、同盟全域の『没落しかけている地方都市の職人ギルド』へ秘密裏にアクセスする。彼らの優れた手作り製品や伝統農産物を、この『精霊手形』の価値の裏付け(担保)として追加で組み込むんだ。例えば、同盟の南部で死に体になっている伝統織物の工房があれば、その織物を精霊手形で買い取り、手形の信用担保とする。これにより、精霊手形は一地方の通貨から、同盟全域の敗者たちを結ぶ『国際決済通貨』へと脱皮する」


レオンの脳内の青写真が言葉となって開示されていく。

中央のゴールド経済圏からはじき出された地方の職人たちにとって、独自の確固たる価値を持ち、精霊の力で偽造不可能な『精霊手形』は、中央の支配から脱する唯一の救いの蜘蛛の糸になる。彼らはこぞってゴールドを捨てて手形を使い、独自の経済圏の中で活発に取引を始めるだろう。市場規模一割の達成など、彼らの潜在的な経済力を結集すれば、三十日もあれば容易に突破できる数字だった。


「なるほど……! 越境EC(魔導ネットワーク取引)による、ゲリラ通貨の国際化か!」

トマスの目が、かつてない商売のインスピレーションにギラギラと輝き始めた。

「同盟の既存の流通網の隙間を縫って、不満を抱える地方都市をネットワーク化する。これなら中央銀行の監視を潜り抜けて、一気にシェアを拡大できるぞ。レオン、お前やっぱり天才を通り越してただの悪魔だわ!」


「褒め言葉として受け取っておくよ。――クロエ、ミュリン。お前たちには、その同盟全域の職人たちを率いる『本物の品質(旗印)』であり続けてもらう。ルード王国の精霊資源は、このネットワークの最高級ブランド(頂点)だ」


「任せなさい! 私の精霊剣の技術、大陸中の鍛冶師に見せつけてあげるわ!」

ミュリンが力強く小さな胸を張る。クロエもまた、大鎌の刃を不敵に輝かせた。


「プレミアム・ブランドの総本山ってわけね。いいわ、中央のエリートどもに、地産地消の底力を見せてやるんだから!」


こうして、ルード王国の地下から始まった経済の反乱は、トマスの『ワンクリック・ギルド』を通じて、同盟全域へと急速に、そして静かに浸透していった。

同盟の片田舎で困窮していた職人や農民たちは、突如として魔導ネットワークに現れた「精霊手形」という新たな決済手段と、それによって結ばれる広大なローカル市場の存在に狂喜した。中央の不当な買い叩きに苦しんでいた彼らは、次々と同盟の『ゴールド』での取引を拒否し、手形での取引に切り替えていく。


市場のグラフは、レオンの計算通り、驚異的な速度で「精霊手形」のシェア拡大を示していた。開始からわずか一週間で、目標の一割に対して、すでに三分の一を超える領域まで達しようとしていた。

だが、そのゲリラ的な急成長を、同盟の本部が黙って見過ごすはずがなかった。


王都の高級宿舎の一室。

エレオノーラは、刻一刻と報告される同盟全域の「ゴールド不使用地域」の拡大データを見つめ、静かにワイングラスを机に置いた。その美麗な顔には、かつてないほどの冷徹な怒りが満ちていた。


「……先輩。まさか、同盟の内部にある不満分子ローカルを組織化して、内側からシステムを侵食してくるとは思いませんでした。あなたの市場流動性の読みは、相変わらず恐ろしい」


彼女は立ち上がり、背後の護衛兵たちに冷酷な命令を下した。


「ですが、これ以上の独断専行は、同盟の『秩序』に対する明白な反逆です。……ただちにルード王国に対する、あらゆる物資の『全面経済封鎖エンバゴ』を発令しなさい。王国の国境を物理的に封鎖し、同盟全域の魔導転送陣からルード王国への接続を遮断します。内側からの反乱が止められないなら、その発信源であるルード王国を、経済的な孤島にして干からびさせるまでです」


次の日の朝。

王都の市場に、トマスの悲鳴が響き渡った。


「レオン、大変だ! 同盟が、ルード王国への経済封鎖を決定しやがった! 転送陣のラインが全部切られたぞ!」


国境の巨大な門が重々しく閉じられ、光を失った魔導転送陣の前で、レオンたちは立ち尽くした。

同盟全域との接続を物理的に断たれ、完全に孤立無援となったルード王国。シェア一割の目標達成まであと一歩のところで、エレオノーラが放った究極の「禁輸措置」という物理の壁が、レオンたちの前に立ちふさがった――。

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