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第5話:タイムリミットは百八十分、ゲリラ新貨幣の誕生

巨大な魔導スクリーンが砂嵐と共に消え、王都中央広場に再び冷酷な赤文字のグラフが戻ってきた。

 ルード王国の国家通貨『クローネ』の価値は、今この瞬間も一秒ごとに下落し続けている。市場に渦巻くのは、財産を失う恐怖に駆られた人々の悲鳴と、同盟のあからさまな横暴に対する絶望の呻きだった。


国家破産まで、残り百八十分。

 それは、ルード王国が大陸全土からかき集めた物資の輸入決済期限であり、同時に、同盟に対して負っている国債の利払い期限でもあった。この時間を一秒でも過ぎれば、王国は法的に「債務不履行デフォルト」となり、全財産を同盟に差し押さえられて事実上の植民地と化す。


「どうするのよ、レオン……! 商品本位制って言ったって、お城の王様や財務大臣に説明して、新しいお金を作らせて、それを国中に配るなんて、三時間じゃ絶対に間に合わないわよ!」


クロエが青ざめた顔で、レオンの外套の袖を激しく揺さぶった。

 彼女の指摘は至極真っ当だった。通常、国家が新たな通貨を発行するには、数ヶ月から数年の準備期間を要する。デザインの決定、偽造防止魔術の組み込み、そして何より「この紙切れには価値がある」と人々に信じ込ませるための法整備が必要だからだ。残り三時間では、王宮の門衛を説得して財務大臣の部屋にたどり着くことすら怪しい。


「ああ、国家レベルでやろうとすればな。だから、国(お上)の手続きなんて端から無視する」


レオンは懐から一本のペンを取り出すと、そこいらに落ちていた同盟のビラの裏面に、素早い手つきで何やら複雑な数式と魔法陣のプロットを書き込み始めた。


「国が通貨を発行できないなら、俺たち民間ゲリラが直接、新しい交換手段を発行すればいい。幸い、ここには大陸最高の鍛冶師と、最高品質の穀物がある。これ以上の『信用の裏付け』はないさ」


「民間が、お金を……? そんなこと、本当にできるの?」

 ミュリンが目を丸くして尋ねる。


「できるさ。そもそも通貨の正体とは、単なる『価値の交換を約束する引換券』に過ぎない。民衆がクローネを捨てたがっている今、それよりも確実に信用できる引換券を目の前に提示してやれば、市場は一瞬でそれを新しいお金として受け入れる。――トマス、お前の出番だ」


レオンは、未だに呆然と立ち尽くしていた新興商人トマスに鋭い視線を向けた。


「……おい、レオン。まさか俺をそのイカれた泥舟に巻き込む気じゃないだろうな?」

 トマスは一歩後退り、警戒を露わにした。


「泥舟かどうかは、お前の算盤そろばんで弾いてみろ」

 レオンはプロットを書き込んだ紙を、トマスの胸元へ突きつけた。


「いいか。クロエの農場にある『精霊小麦』の一袋(三十キログラム)を基準価値とし、それを『一精霊クローネ』と定義する。ミュリン、お前の精霊契約魔法を使って、このビラの裏に『この紙切れは、いつでもエール農場にて精霊小麦一袋、またはそれに見合う精霊具と交換できる』という魔導刻印を焼き付けてくれ。精霊の刻印は、同盟の最高級の魔導印刷機でも絶対に偽造できない。つまり、世界一安全な『鑑定書付き手形』の完成だ」


「なるほど……! 精霊の力なら、私の魔力を辿れば本物か偽物か一発でわかるわ!」

 ミュリンがポンと手を叩き、理解の光を瞳に宿した。


「だが、それだけじゃただの物々交換の手形だ!」

 トマスが紙を睨みつけながら反論する。

「通貨として流通させるには、王都中の商人が『これならいつでも使える』という流通の保証がなきゃ意味がねえ! その信頼インフラをどこから持ってくる!」


「だから、お前が必要なんだよ、トマス」

 レオンはトマスの肩に手を置き、不敵に笑いかけた。


「お前の『ワンクリック・ギルド』が持つ、国内全域の魔導転送陣のネットワーク。あれを、この『精霊手形』の決済窓口として全面開放しろ。この手形を持ってきた商人には、同盟のゴールド建てよりも二割安い手数料で物資を転送してやる、と触れ回るんだ。リーゼロッテの犬として、この国を買い叩いた後に得られるはした金と――この国独自の『精霊資源決済網』を独占して、将来的に同盟の流通シェアをひっくり返す巨利。商人のトマスなら、どちらが未来への投資として正しいか、選べないはずがないよな?」


「……っ!」


トマスの額から、大粒の汗が流れ落ちた。

 レオンの提示したスキームは、あまりにも合理的で、かつトマス自身の野心を正確に刺激するものだった。

 同盟のルールに従って動くエリート(エレオノーラ)たちの下請けで終わるか、それとも、同盟の鼻を明かす新たな経済圏の王になるか。


トマスは煙管を地面に叩きつけると、獰猛な笑みを浮かべた。


「お前って奴は、本当に最悪の交渉人ネゴシエーターだ、レオン! ……いいだろう、乗ってやる! 『ワンクリック・ギルド』の全機能を、このゲリラ貨幣の流通に賭けてやるよ!」


方針が決まれば、そこからの動きは電光石火だった。

レオンの指揮のもと、機能的な組織が瞬く間に稼働を始める。


ミュリンは広場に積み上げられていた紙片をかき集め、その一枚一枚に自身の魔力を通した『精霊の刻印』を高速で焼き付けていく。緑色の淡い光が文字となって紙の表面に定着し、偽造不可能な『精霊手形』が次々と刷り上がっていく。

 クロエは魔導通信機を使い、エール地方の全農家へ連絡を入れた。「同盟のジャガイモに対抗する! 我が農場の小麦を担保に、新しい手形を発行するから、全員で倉庫を開放しなさい!」という彼女の激しい叱咤は、絶望していた農家たちに再び闘志を火を灯した。


そしてトマスは、自身のギルドの魔導拡声器をジャックし、王都中に向けて驚天動地の宣言を放った。


「――おい、ルード王国の商人ども、よく聞け! 今すぐそのゴミ同然のクローネを捨てて、俺たちの『精霊手形』に換えろ! この手形は、同盟の安物とは違う、本物の精霊小麦といつでも交換できる! 俺たちの転送陣も、この手形なら優先的に格安で使わせてやるぞ!」


その宣言は、飢えと破産に怯えていた王都の市場に、爆弾のような衝撃を与えた。

 最初は半信半疑だった商人たちも、トマスのギルドが実際に『精霊手形』を受け入れ、次々と物資の取引を成立させていくのを見て、我先にと手形を求めて列を作り始めた。


暴落していたクローネの売り圧力がピタリと止まり、代わりに『精霊手形』という名の、実物資産に裏付けされた新通貨が、市場の血流となって激しく循環し始める。

 それは、中央銀行のシステムを介さない、完全な民間のリベリオン(反乱)だった。


「やったわ、レオン! グラフの下落が止まった! むしろ、手形の価値がどんどん上がってる!」

 ミュリンが電光掲示板を見上げ、歓喜の声を上げる。


タイムリミットまで、残り九十分。

 あと一息で、同盟の決済期限を乗り切れる。そう誰もが確信した、その瞬間だった。


ピピッ――ピピッ――ピピッ――。


再び、広場の全スクリーンが強制的に明滅し、あの冷徹なエルフの少女の姿を映し出した。

 リーゼロッテ・フォン・ゴールドベルク。

 彼女は、激変する市場の数字を冷ややかに見つめながら、小さなソロバンの珠を一つ、パチンと弾いた。


『民間による独自の流動性供給、および商品担保型トークンのゲリラ発行。……流石ね、レオン。私の想定のさらに一歩先を行く、見事な防衛策だわ』


リーゼロッテは画面の向こうで、退屈そうに頬杖をついた。その瞳には、未だ一筋の動揺すら浮かんでいない。


『でも、忘れたの? ここはルード王国であって、同盟の領内ではないのよ。……私は先ほど、大陸中央銀行の権限において、ルード王国王宮に対し「物理的な金庫(中央銀行出張所)」の完全閉鎖と、ルード国債の「即時全額償還」を通達したわ。手形がどれだけ流通しようとも、三十日後に返すはずだった国債の元本、総額五千億ゴールドを――今から六十分以内に、現物の「ゴールド」で支払いなさい』


「な……即時償還だと!? そんな規約違反、通るわけが――」

 トマスが絶叫する。


『通るわよ、私がルールなのだから。……さあ、タイムリミットを一時間縮めてあげたわ。現物の金がないなら、その新しい手形ごと、おとなしく破産デフォルトしなさい』


画面が消え、カウントダウンの数字が、非情にも「残り60分」へと一気に巻き戻る。

 実物資産の流通という奇策すらも、圧倒的な「法と権力」の壁によって圧殺せんとする金融の魔女。レオンたちの前に、真の絶対的な絶望が突きつけられた。

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