第4話:暴落する通貨と、成金商人の算盤
1
「――大変だ! クローネの価値が、昨日の半分になっちまった!」
「おい、嘘だろ!? じゃあ、俺たちが持ってるこの紙切れじゃ、明日からパン一個も買えなくなるのか!?」
王都へ引き返したレオンたちの目に飛び込んできたのは、昨日以上の大パニックに陥った街の姿だった。
中央広場の魔導電光掲示板には、血のような赤文字で、ルード王国の国家通貨『クローネ』が、同盟の共通通貨『ゴールド』に対して垂直落下していくグラフが映し出されている。
通貨暴落――それは、目に見えない最大の暴力だった。
昨日までの一件で、同盟の『標準鉄剣』がこの土地の環境に合わない不良品だと証明され、地場産業の保護へと世論が傾きかけた、その瞬間の出来事である。
大陸中央銀行の総裁リーゼロッテは、ルード王国が同盟の市場統合に難色を示したと判断するや否や、市場に流通する膨大なクローネを一斉に「空売り(売り浴びせ)」したのだ。
国家の信用そのものである通貨が売り叩かれれば、その国の購買力は一瞬で失墜する。
いくら同盟の農産物が「元の価格の三分の一」だとしても、クローネの価値自体が四分の一になれば、結果として国民にとっては昨日よりも高額になってしまう。そればかりか、あらゆる輸入品が手の届かない高嶺の花となり、国内の商店からは一斉に物資が消え始めていた。
「これが……リーゼロッテのやり方よ」
レオンは押し寄せる群衆の怒号を浴びながら、苦々しく呟いた。
「武力を使わず、ただ帳簿の数字を書き換えるだけで、一つの国家を内側から干からびさせる。あの大神童(ロリ総裁)にとっては、一国の崩壊すらチェスの駒を一つ動かす程度の作業に過ぎないのさ」
「そんな……ひどすぎるわ!」
クロエが自慢の大鎌の柄をギリギリと鳴らし、電光掲示板を睨みつける。
「私たちがどれだけ美味しい小麦を作ったって、それを売り買いするための『お金』をめちゃくちゃにされたら、どうしようもないじゃない!」
「その通り。通貨防衛が破綻すれば、どんなに優れた産業も上モノごとひっくり返る」
レオンが腕を組み、次なる一手を思考の海から引き揚げようとした、その時だった。
「いやあ、素晴らしいお見立てだ、レオン。相変わらず、地獄の底のような状況でも冷静だな?」
群衆を割って、数人の私兵を従えた一人の青年が歩み寄ってきた。
仕立ての良い絹のスーツをラフに着崩し、十本の指全てに大粒の魔宝石が嵌められた指輪を光らせている。チャラついた笑みを浮かべたその青年は、レオンの前に立つと、仰々しく両手を広げてみせた。
彼の名はトマス。同盟の高速流通網(魔導転送陣)を駆使して急速に台頭してきた、新興ネット通販ギルド『ワンクリック』の若きボスであった。
2
「トマス……。お前、何をしにここへ来た」
レオンの目が、一瞬で冷徹な色を帯びる。
「決まってるだろ? ビジネス(商売)さ」
トマスは悪びれる様子もなく、懐から金の煙管を取り出して火をつけた。紫煙をくゆらせながら、大混乱に陥る市場を満足げに見渡す。
「この国の大手商会や貴族どもは、クローネの暴落でみんな首が回らなくなってな。今、彼らが持っている一等地の領地や、伝統ある工房の権利が、同盟の『ゴールド』建てなら信じられないような端金で買い叩ける。俺はその買い取りの仲介に来たのさ」
「あんた……人の不幸につけ込んで、この国を切り売りする気!?」
ミュリンが激昂し、トマスの前に一歩踏み出した。その小さな拳は、怒りで震えている。
「おっと、人聞きが悪いな、精霊鍛冶師のお嬢ちゃん」
トマスは煙管を軽く振り、ミュリンをあざ笑うように言った。
「俺は救済をしてるんだぜ? このままクローネを持っていても餓死するだけだ。土地や工房の権利を同盟に売れば、少なくとも今日のパンと、同盟市民としての最低限の生活は保障される。伝統? 誇り? そんなもので腹が膨れるかよ。俺は、スラムのガキでも飢えずに済む『合理的な世界』を作りたいだけさ」
「お前の言う『合理的』は、同盟への完全な隷属だろ」
レオンが冷ややかに遮る。
「土地を奪われ、産業を奪われ、ルードの民は同盟の巨大な生産マシーンの歯車にされる。それがお前の理想郷か?」
「持たざる者が、古い特権階級(貴族)をぶっ壊して成り上がるには、これしかねえんだよ!」
トマスの声から、一瞬だけチャラついた響きが消え、底暗い野心が顔をのぞかせた。
「レオン、お前だって中央銀行の腐敗が嫌で同盟を辞めた口だろ。なのに、なんでこんな旧態依然とした辺境の味方をしてるんだ? お前ほどの頭脳があれば、俺と組んでこの国を丸ごと喰い尽くし、新たな世界の覇者になれるっていうのに!」
トマスは誘うように、魔宝石の指輪が光る右手を差し出した。
グローバリズムがもたらす『結果至上の自由』を信奉する男。彼にとって、この通貨危機は、古くさい国境を破壊するための最高の好機に他ならなかった。
3
広場を包む怒号と悲鳴のなか、レオンはトマスの差し出した手を静かに見つめていた。
レオンの脳内では、トマスが持ち込んできた情報と、現在の為替市場の力学が凄まじい速度で数式へと変換され、精査されていく。
(トマスがこれほど迅速に動いているということは、リーゼロッテの目的はルード王国の『完全な破壊』ではない。通貨を限界まで暴落させ、国家の防衛能力を奪った上で、同盟に都合の良い『不平等な通貨統合条約』を無血開城で結ばせることだ)
そこまで思考が行き着いたとき、レオンの口元に、昨日魔獣を屠った時と同じ、不敵な笑みが戻った。
「断るよ、トマス。お前のビジネスは、短期的には儲かっても、長期的にはリーゼロッテの掌の上で転がされているだけに過ぎない」
「なんだと……?」
トマスの眉が不快そうに跳ね上がる。
「お前はクローネがただの紙切れになると信じ込んでいるようだが、為替(数字)の裏には必ず『実物』がある」
レオンはミュリンの精霊剣と、クロエの持つ小麦の穂を指差した。
「この国には、同盟の量産品では逆立ちしても真似できない、圧倒的な品質の『精霊資源』がある。クローネの信用が落ちたなら、通貨の裏付けを国家ではなく、これらの『実物資産』に切り替えればいいだけさ。――『商品本位制』の導入だよ」
「な……商品本位制だと!?」
トマスの顔から余裕が消えた。
通貨の価値を金や銀ではなく、その国固有の「絶対的な価値を持つ特産品」と連動させる奇策。もしルード王国が、ミュリンの精霊具やクロエの特級小麦の買い取りを通達し、それらを『新通貨』の担保に指定すれば、クローネの暴落はピタリと止まり、むしろ世界中の富裕層がその実物を求めて新通貨を買い漁る側に回る。
「理屈は通る……! だが、そんな大規模な市場の組み換え、中央銀行の総裁が黙って見ているはずが――」
トマスの反論は、突如として鳴り響いた重低音によって遮られた。
それは、広場に設置されていたすべての魔導スクリーンが一斉にジャックされ、強制的に一つの映像へと切り替わった音だった。
画面に映し出されたのは、豪奢なベルベットの椅子に腰掛け、巨大なソロバン(魔導計算機)を弄んでいる、一人の少女の姿。
見た目は十二歳前後のゴスロリ衣装を纏った可憐なエルフ――だが、その双眸には、世界の全人類を数字としてしか見做していないような、絶対的な支配者の冷徹さが宿っていた。
『――そこまでのようね、レオン』
魔導拡声器から響く、鈴を転がすような、しかし凍てつくような幼い声。
大陸中央銀行総裁、リーゼロッテ・フォン・ゴールドベルク。
彼女は画面の向こうから、かつての有能な右腕であったレオンをじっと見つめ、残酷なカウントダウンを告げるように、その小さな唇を開いた。
『あなたの浅知恵は相変わらず見事だけど、市場の流動性が足りないわ。あと三時間で、ルード王国の国庫は完全に底を突く。さあ……私の足元に跪き、すべてを委ねなさい』
世界を統べる金融の魔女が、ついにその牙を剥いた。国家破産まで残り一八〇分。レオンたちの前に、かつてない絶望の壁が立ちはだかる――。




