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第3話:大鎌の穀物姫と、激安の破壊神

翌朝、王都の熱気が冷めやらぬうちに、レオンとミュリンは馬車に揺られていた。

 目指すは王都の南方に広がる一大穀倉地帯、エール地方。ルード王国の胃袋を支える農業の心臓部であり、同時に、同盟が宣言した「激安農産物」の直撃を受ける最前線でもある。


馬車の窓から見える景色は、のどかな田園風景そのものだった。

 だが、すれ違う農夫たちの表情は一様に暗い。王都の市場に同盟の『魔導品種改良ジャガイモ』と『高速栽培小麦』が、従来の三分の一の価格で並ぶという噂は、すでにこの辺境の地まで届いていた。


「ねえ、レオン。本当に大丈夫なの?」

 ミュリンが不安そうに、膝の上で自家製の精霊剣を抱きしめながら尋ねてきた。

「鍛冶職人の私ですら、市場を奪われる恐怖は身に染みてる。食べるための農産物が三分の一なんて価格にされたら、誰も地元の高い小麦なんて買わなくなるわ。戦う前に、みんな心が折れちゃう」


「普通のやり方なら、確実に折れるさ」

 レオンは外套の襟を立て、けだるそうに背もたれに寄りかかった。

「人間は合理的な生き物だ。同じように腹が膨れるなら、安い方を選ぶ。特に生活が苦しい庶民ならなおさらだ。エレオノーラの戦略は、経済学の基本に忠実で非の打ち所がない。だが、あいつの計算には、またしても『現場の人間』という不確定要素が抜けている」


「不確定要素?」


「ああ。システムが完璧であればあるほど、そこからはみ出した人間の『意地』や『誇り』ってやつが、歯車を狂わせるのさ。――さあ、着いたぞ。ルード王国で最も頑固な歯車が回っている場所だ」


馬車が止まったのは、見渡す限りの黄金色の小麦畑が広がる、広大な農場の前だった。

 しかし、その美しい景観とは裏腹に、農場の入り口からは何やら激しい怒号が聞こえていた。


「ふざけたことを言うんじゃないわよ、この守銭奴! うちの『精霊小麦』を、同盟のゴミみたいな芋と同じ価格で買い叩こうなんて、百年早いわ!」


凛とした、しかし地を這うような怒りに満ちた少女の声。

 レオンとミュリンが馬車を降りて近づくと、そこには奇妙な対峙の光景があった。


高級な絹の衣服を着た同盟の巡回商人が、数人の護衛を後ろに従えて冷や汗を流している。

 その商人の喉元に、身の丈を遥かに超える巨大な「魔導大鎌」を突きつけているのが、一人の少女だった。


作業着を大胆にアレンジしたミニスカートのドレスを翻し、赤髪のツインテールを激しく揺らしている。彼女こそが、レオンの探していたルード王国屈指の若き大農場主――『大鎌の穀物姫』こと、クロエであった。


「ひ、ひえぇっ! 暴力を振るう気か! 私はただ、同盟の新しい基準価格プライス・リストを提示しただけだ!」

 商人は腰を抜かしそうになりながら、書類を盾のように掲げた。


「それが暴力を振るう理由だって言ってるのよ!」

 クロエはフンと鼻を鳴らし、大鎌の刃をさらに一寸近づけた。

「この小麦がどれだけの手間暇をかけて育てられているか、その安い頭で考えたことがあるの!? 毎朝、精霊たちと対話して、大地のマナを均等に行き渡らせて、一粒一粒を最高の状態で収穫してるの。同盟の、マナを無理やり注入して一晩で破裂させたようなブタのジャガイモと、一緒の価値なわけがないでしょ!」


「し、しかし、王都の市場はすでに同盟の価格で動いている! この価格で卸してくれなければ、我がギルドとしても買い取るわけにはいかない。売れ残って腐らせるだけだぞ!」


商人の言葉は、残酷な正論だった。

 どれだけ品質が良くても、市場に買い手がいなければただの在庫だ。クロエの背後に控える年老いた農夫たちも、悲痛な面持ちでうつむいている。


「くっ……それは……」

 クロエの端正な顔が、悔しさで歪む。大鎌を握る手が微かに震えた。

 地場産業の誇りだけでは、巨大な資本の壁を突破できない。それはミュリンが昨日、まさに味わった絶望そのものだった。


「――そこまでにしときな、お嬢さん。それ以上やると、経済犯じゃなくて本物の犯罪者になっちまう」


緊張が張り詰める場に、レオンがふらりと割り込んだ。

 クロエは鋭い視線をレオンへと向け、大鎌の矛先を彼へと転じる。


「あんた、誰よ? 同盟の味方をする気?」


「まさか。俺はただの無職さ。だけど、その商人の言うことにも一理ある」

 レオンは商人が持っていた書類をひょいと奪い取ると、一瞬でその数字をスキャンした。

「同盟の提示価格は、現在の市場の適正レートだ。彼ら中間流通業者に、損を承知で高く買えというのは酷な話だよ。……だが、商人さん」


レオンの目が、冷徹な交渉人のそれに変わる。


「お前たちが提示しているこの『契約書』の裏面、第三条第五項の『品質保証に関する特約』を見てみろ。同盟の基準では、精霊力の残留濃度が一定基準を超えた高級農産物は、中央の指定市場で『特級品』として、通常の五倍の価格で取引される義務があるはずだ。ルード王国の関税が撤廃されたということは、この『特級品条項』もまた、この国の農家に適用されなければ筋が通らない。違うか?」


商人は、まるで幽霊でも見たかのように顎をがくがくと震わせた。

「な、なぜそれを……! それは中央の特権ギルドしか知らない秘匿条項のはず……!」


「同盟の規約集は、隅から隅まで暗記してあるんでね」

 レオンは薄く笑い、書類を商人の胸元に叩きつけた。

「この『精霊小麦』を特級品として処理する手続きを怠り、一般の芋と同じ価格で買い叩こうとした。これが中央の監査部に知れたら、お前たちのギルドは一発でライセンス剥奪だぞ。さあ、どうする?」


「ひ、ひぃぃっ! お、覚えていろ!」

 商人は護衛を引き連れ、文字通り脱兎のごとく馬車へと逃げ帰り、砂煙を上げて去っていった。


「……あんた、何者?」

 静まり返った農場前で、クロエは大鎌を構えたまま、警戒に満ちた目でレオンを睨みつけた。

「同盟の裏のルールをそんなに知ってるなんて、ただの無職なわけがないわ。ミュリン、あんた一体どこでこんな怪しい男を拾ってきたのよ?」


「え、ええと……昨日の王都の騒動で、私の剣を使って魔獣を倒してくれたの。同盟のやり方に詳しいのは確かだけど、悪い人じゃないわ、クロエ」

 ミュリンが慌てて二人の間に割って入り、必死に弁明する。


クロエはしばらくレオンを凝視していたが、やがて大きく溜息をつくと、大鎌を光の粒子に変えて背中の紋章へと収納した。


「ふん、まあいいわ。追い払ってくれたことだけは感謝してあげる。でも、問題は何も解決してないわよ。あの商人の言う通り、私たちの『精霊小麦』が高すぎて一般の市場で売れないのは事実なんだから。このままじゃ、次の満月の支払いまでにうちの農場は破産よ」


クロエは黄金の小麦畑を見つめ、寂しげに肩を落とした。

 どんなに熱い誇りを持っていても、現実の帳簿は容赦なく彼女たちを追い詰めていく。


「だからこそ、俺がここへ来たんだ」

 レオンは一歩前に出ると、クロエの目を真っ直ぐに見据えた。

「クロエ、お前の『精霊小麦』の品質は大陸一だ。ならば、戦うべき場所は『安さ』を競う大衆市場じゃない。同盟の富裕層や、本物の味を知る高級貴族をターゲットにした『超高付加価値市場プレミアム・ブランド』だ」


「プレミアム……ブランド?」

 聞き慣れない言葉に、クロエとミュリンが同時に小首を傾げた。


「そうだ。同盟の量産品が『安さ』という名の暴力なら、こちらは『物語と品質』という名の芸術で殴り返す。差別化戦略ニッチ・マーケティングさ。お前の小麦をただの粉として売るんじゃない。ミュリンの打った精霊具と組み合わせ、最高の『高級ブランド製品』へと昇華させる。そのためのサプライチェーンを、ここで構築するんだ」


レオンの言葉には、不思議な説得力と、未来を切り拓く熱量があった。

 クロエの瞳に、絶望の代わりに小さな希望の炎が灯る。


「……面白いじゃない。その『プレミアム』ってやつで、あの冷血な同盟の連中の鼻を明かせるなら、私はあんたの作戦に乗ってあげるわ」


「交渉成立だな」

 レオンは満足げに頷いた。

 これで鍛冶のミュリン、農業のクロエという、ルード王国最強のローカル生産者が揃った。同盟の経済侵略に対する、反撃の足がかりはできた。


しかし――世界を統べる『効率化の怪物』は、彼らの団結をただ静視しているほど甘くはなかった。


突如、レオンの懐にある魔導通信機(かつて同盟時代に使っていた旧型)が、不吉な赤い光を点滅させながら、低い警告音を鳴らし始めた。

 レオンの表情から瞬時に余裕が消え、眉が鋭く潜められる。


「……チッ、もう動きやがったか。動きが早すぎるぞ、中央銀行あいつら


「レオン? どうしたの?」

 ミュリンが顔を覗き込む。


レオンは通信機の画面に表示された、絶え間なく暴落していく「数字」の羅列を見つめていた。それは、ルード王国の国家通貨『クローネ』の為替レートだった。


「……エレオノーラの仕掛けじゃない。これは、大陸中央銀行による直接介入だ。……あの合法ロリ総裁、俺たちが動く前に、通貨そのものを紙切れにしてこの国を内側から自己破産させる気だぞ」


遥か中央平原の玉座から放たれた、目に見えない金融の巨腕。

 『為替の支配者』リーゼロッテによる本格的な通貨攻撃が、ついにルード王国全土へと襲いかかろうとしていた。

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