第33話:神の買い支えと無限の損失(マキシマム・ロスト)
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ドクン、と多元宇宙のすべての富の根源である『原初資本の地』が、まるで巨大な生き物のように一度だけ大きく脈動した。
レオン・ヴァルハイトが端末に叩き込んだ、己の命と仲間の存在確率を限界までレバレッジにかけた『存在の空売り(ショート)』。その狂気の注文が議会のメインフレームに受理された瞬間、純金と水晶で構築された大神殿の四方に、天を突き刺すような漆黒のノイズインジケーターが何本も出現し、激しく明滅を始めた。
市場の板情報を表示する空中モニターには、あり得ない速度で【LEON_VALHEIT:SHORT_POSITION】の数字が幾何級数的に膨れ上がっていく。それは、神が定めた『因果の信用取引』のルールそのものを内側から食い破る、極限のハメ技(両建て)だった。
「れ、レオン……っ! 私の身体の透き通るような感覚が、急に止まった……? それどころか、消えかけていたお父様との思い出や、ルード王国の街並みの記憶が、ものすごい勢いで脳裏に流れ戻ってくるわ!」
リーゼロッテが自分の両手を見つめながら、驚愕の声を上げた。
先ほどまで黄金の光の塵へと分解されかけていた彼女の身体は、今や陽炎のような不確実さを脱し、以前よりも遥かに強固な「実体」を取り戻し始めている。ルチアもまた、ジャンクバイクの再起動に成功し、エラーを吐き続けていた計器が正常な数値を表示し始めたのを見て、座席から転げ落ちそうになっていた。
「アタシの通信回線が……、ルード王国と完全に再接続されたよ! これ、どういうこと!? 神様が仕掛けた消滅プログラムが、強制的にフリーズさせられてる!」
彼女たちの困惑を余所に、レオンの隣で魂の抜け殻のようになっていた元監査官のステラ・ヴァレンタインは、空中モニターに表示された「神の総資産の推移グラフ」を見た瞬間、その恐怖のあまりに喉を鳴らした。
『ち、違うわ……。消滅プログラムが止まったんじゃない……。プライマリー様の自動防衛AIが、自分自身の破産を防ぐために、レオンたちの存在確率を――【全力で買い支え(ロング)】し始めたのよ……っ!』
ステラの言う通り、画面の奥では、創世の巫女プライマリーが持つ無限の資本金口座から、レオンたちの存在を「この宇宙に絶対に維持する」ための莫大な買い注文が、秒速数兆ゴールド単位で自動執行され続けていた。
もし、プライマリーがこのままレオンたちを消滅させれば、レオンたちの存在確率は「ゼロ」になる。そうなれば、レオンが仕掛けたレバレッジ無限の空売り(ショート)は大成功を収め、神の全財産が違約金としてレオン側の口座へ強制移転され、絶対神が破産する。神が破産を避けるためには、レオンたちの存在確率を「一〇〇%」に維持するしかなく、そのためには神自身の手でレオンたちの存在を全力で買い支え、法的に完全保護しなければならない。
神の権力による消滅攻撃を、神自身の財布を人質に取ることで「絶対の生存報酬」へと反転させたのだ。
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すべてが数値化され、完璧に管理されていたはずの聖域に、天文学的な規模の損失アラートが鳴り響く。
レオンは動じず、プライマリーの無限の買い注文に対して、さらに外套のポケットから別の端末を取り出し、容赦のない「追撃の売り浴びせ」を開始した。
プライマリーの自動防衛AIは、損失を止めるために必死でレオンたちの株(存在確率)を最高値で買い戻そうとしている。しかし、レオンはその神の必死の買い支えの板(流動性)を完全に予測していた。神が買えば買うほど、市場の価格はさらに跳ね上がる。レオンはその跳ね上がった最高値の瞬間に、さらにレバレッジを倍加させた空売りをぶつけることで、神の懐から「原初のマナ資本」を容赦なく毟り取り、自らのルード王国経済圏のハチミツ口座へと逆流させていたのだ。カトリーヌやバロンをハメ殺した踏み上げ(ショートスクイーズ)のロジックを、今度は世界の創造主そのものに対して執行する、最悪の経済的冒涜だった。
『……信じられません。数億年の間、常に市場に富を与え、管理する側だった第一席が……、たった一人の人間の交渉人に、むしり取られている……。これこそが、プライマリー様が予言していた『特異点的投資家』の脅威だというのですか……っ』
レディ・オセアニアが床に膝をついたまま、その妖艶な顔を驚愕と歪んだ悦楽に染めて呟いた。
彼女が数万年間待ち望んでいた、完璧な市場を内側からハメ殺すバグの出現。それが今、目の前で、神の総資産をガリガリと削り取るという最悪の形で実現していた。
「神様、お前のAIは随分と従順だな。俺たちの命を守るために、必死になって自分の全財産を俺の口座に振り込み続けているぞ。……さあ、どうする? このまま買い支えを続ければ、あと数分でお前の中央銀行は底を突き、この多元宇宙経済圏そのものが、俺の軍門に下る(M&Aされる)ことになるが?」
レオンは、冷酷にエラーを吐き続ける神の端末を見据えながら、獰猛な特級交渉人の笑みをプライマリーへと向けた。
『……素晴らしい演算速度です、レオン・ヴァルハイト。私の作ったシステム、私の作った信用取引のルールの隙間を突き、私自身に「無限の損失」の恐怖を植え付けるとは。……私の目に狂いはありませんでした』
創世の巫女プライマリーは、自分の全財産が秒速でルード王国へと流出していく致命的な状況にあっても、その幼い顔を一切曇らせることはなかった。それどころか、彼女の銀河のチャートが渦巻く瞳には、数億年ぶりに「退屈」から解放されたことへの、絶対神ゆえの冷徹な歓喜の光が宿っていた。
『ですが、市場の熱的死を防ぐアノマリーとしてのあなたの価値を認めることと、私がこのまま無条件で敗北を受け入れることは、同義ではありません』
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プライマリーが手にした巨大な黄金の鍵を、静かにレオンの胸元へと向けた。
その瞬間、神の中央銀行から流出した天文学的なマナ資本が、次元の壁を突き破ってレオンたちの故郷――ルード王国へと一気に流れ込み、王国そのものが宇宙最高峰の富と神聖なマナを誇る『神級経済圏』へと強制的に進化を始める地鳴りが、ホログラム越しに響き渡った。
『私は今、あなたに市場の半分を明け渡しました。ルード王国は、これより議会に並ぶ最高位の経済圏となります。……ここで取引を終了(利益確定)し、互いにこれ以上の損失を出さない「和解」を選ぶなら、私はあなたの世界の永久なる繁栄を保証しましょう。ですが――』
プライマリーの瞳の奥のチャートが、一際激しく深紅に燃え上がった。
『もしあなたが、このまま私の座(第一席)そのものを買い叩き、多元宇宙のすべてを支配する覇権闘争を望むなら、私は私の全存在を賭けて、市場のルールそのものを『完全な無』へとリセットします。世界を救う資本家となるか、すべてを巻き込んで神をハメ殺す悪魔となるか……。さあ、あなたの本当の「欲望の値段」を提示しなさい』
絶対神が提示した、ゲームの勝敗の先にある「究極の二者択一」。
和解すれば、ルード王国は永遠の繁栄を手に入れ、リーゼロッテたちも宇宙の覇者としての富を約束される。しかし、レオンがさらに上を目指して神の座を狙えば、神は世界そのものをリセット(心中)するという、最悪の強制終了の罠。
リーゼロッテやルチアが、その選択の重さに息を呑み、レオンの次の言葉を固唾を飲んで見つめる。
だが、レオン・ヴァルハイトは、神から突きつけられたその究極の天秤を前にして、ふっ、と、これまでで最も低く、そして最も不敵な笑い声を純金の空間に響かせた。
「プライマリー。お前は本当に、経済の本質というものが分かっていないな。……俺がそんな、どちらを選んでもお前の手の平の上で転がされるような、退屈な二者択一に乗るわけがないだろう」
「え……? レオン、和解も拒否して、神様と心中するのも拒否するっていうの!?」
リーゼロッテが驚愕に目を丸くする中、レオンは懐から、先ほどカトリーヌとバロンから巻き上げた、二つの巨大なセクターの「経営権」と、先ほど神の買い支えによって極限まで価値が高まった「ルード王国の生存債権」を、市場のメインフレームへと同時に放り込んだ。
「俺が提示する次の一手は――【第三の選択(ハメ技)】だ」
レオンは、プライマリーが持つ黄金の鍵の『根元』を指差し、獰猛な特級交渉人の笑みを浮かべた。
「神様、お前は自分の資産と世界をリセットできると言ったが……、お前が今、俺たちの存在を全力で買い支えるために発行しすぎた『無限の信用(債務)』のせいで、お前の中央銀行そのものが、すでにシステム上、他者からの監査を拒否できない【債務超過状態】に陥っているんだよ。俺はこれより、お前がリセットボタンを押すよりも早く、議会の全システムに対して、ある『究極の手続き』を執行させてもらう」
その瞬間、最高経済議会のメインAIから、これまでの暴落アラートとは比較にならない、宇宙の終焉を告げるような、見たこともない漆黒の警告文字が全画面に発令された――。




