第31話:原初資本の地と因果の信用取引
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地響きのような重低音を鳴らしながら開かれた『黒い黄金の門』の向こう側には、星々の輝きすらも吸い込まれるほどの絶対的な漆黒が広がっていた。
先ほどまでレオンたちを嘲笑っていたレディ・オセアニアは、すでに扇子を落とし、絹のドレスの膝を原始惑星の乾いた土壌につけて直立不動で平伏している。議会の幹部ですら蛇に睨まれた蛙のように硬直するその異常なプレッシャーの中で、レオン・ヴァルハイトだけは、外套の裾を乱暴に揺らしながら躊躇うことなくその闇へと一歩を踏み出した。
「待って、レオン……! あの中からは、今までの敵とは次元が違う、世界そのものを押し潰すような『価値の重圧』を感じるわ。私、足が震えて動けない……っ」
リーゼロッテがレオンの腕を必死に掴んだ。彼女の華奢な身体は、門の奥から溢れ出る圧倒的な覇気に本能的な恐怖を感じてガタガタと震えている。ルチアもジャンクバイクのハンドルを握りしめたまま硬直しており、ミュリンとクロエは互いの手を握りしめて息を呑んでいた。
「案ずるな、お嬢様。資本の規模がどれだけ大きくなろうとも、交渉のテーブルが用意されている以上、そこに数字の通じない相手はいない。――行くぞ」
レオンの冷徹な声に導かれるようにして全員が門をくぐり抜けた瞬間、周囲の空間は一変した。
そこは、すべてが混じり気のない純金と透明な水晶によって構築された、無限に広がる大神殿のような空間だった。天井も床も壁も、すべてが磨き抜かれた資産の塊。しかし、そこには生命の温もりや空気の対流といった、生き物が生存するための要素が一切排除されていた。耳に届くのは、風の音ではなく、無数の世界から集められた通貨や債券が擦れ合うような、乾いた金属的な脈動音だけ。
こここそが、多元宇宙最高経済議会が支配するすべての世界の価値、概念、そして通貨そのものが鋳造される中央銀行の最深部――『原初資本の地』だった。ここでは数字は単なる記号ではなく、宇宙の「因果」や「存在確率」そのものとして、巨大な黄金の歯車となって虚空で噛み合っていた。
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静寂に包まれた純金の空間の最深部から、光の粒子が集まるようにして、一人の人影がゆっくりと降臨し、この世界のすべてのルールを司る絶対神が、レオンたちの前にその姿を現した。
現れたのは、神秘的な純白のドレスを纏った、まだ十歳にも満たないように見える幼い少女だった。しかし、その小さな身体から放たれる存在感は、背後に浮かぶ巨大な黄金の歯車群を圧倒している。何よりも異常なのはその瞳だった。少女のガラスのような両眸の奥には、数億年分の銀河の誕生、繁栄、そして経済破綻による崩壊の歴史が、目まぐるしい速度で渦巻いていた。彼女の小さな手には、あらゆる世界の因果の扉を開閉するための、意匠の施された巨大な黄金の鍵が握られている。
彼女こそが、この多元宇宙経済圏を創り出した創始者であり、最高経済議会の頂点に君臨する第一席――『創世の巫女・プライマリー』だった。
『ようこそ、バグの皆さん。既存の市場システムを破壊し、ルールを逆手に取ることで新たな代謝を生み出した、極めて稀有な投資家たち』
プライマリーの口から発せられた声には、人間の感情というものが一切存在しなかった。それはまるで、冷徹に演算を繰り返す高性能な量子コンピューターの音声出力そのものだった。
『レオン・ヴァルハイト。あなたのルード王国におけるMBO(非上場化)と、スクイーズ・アウト(強制株買い上げ)による内面パージの手腕、実に見事でした。ですが、これまであなたが戦ってきたゲームは、我が経済議会が定めた単なる「既存の予選」に過ぎません』
「予選、だと……? あれだけの命懸けの経済戦争が、神様にとってはただの書類審査みたいなものだって言うの!?」
ルチアが叫び、ジャンクバイクの計器を確認しようとしたが、この空間ではすべての電子機器が「計測不能」のエラーを吐いて完全に沈黙していた。
『ええ。私の前では、あらゆる既存の金融制度、ガバナンス、法律の抜け穴は意味をなしません。なぜなら、それらのルールを定めたのは他でもない私だからです。――では、最終交渉を始めましょう』
プライマリーが黄金の鍵をゆっくりと掲げると、その背後に『因果の信用取引』という巨大な光の文字列が出現した。
『これは、あなたたちの世界の「過去の歴史」「現在の繁栄」そして「未来の可能性」のすべてを【証拠金】として市場に投入し、私の無限の資本力と直接取引を行う、絶対の信用取引です。もしあなたの演算が私の資本に敗北すれば、ルード王国は歴史ごと、最初から宇宙に存在しなかったことにされます』
『ひ、灯火(因果)の信用取引……っ!? そんなの、ただの金融ゲームじゃないわ! 世界そのものの存在確率をレバレッジ(倍率)にかけて、神の総資産と殴り合えっていうの!?』
ホログラム越しに同行していたステラ・ヴァレンタインが、そのルールの悍ましさに精神を崩壊させかけ、両頭を抱えて悲鳴を上げた。元監査官として宇宙のあらゆる裏取引を見てきた彼女でさえ、歴史そのものを担保にするという狂った神の取引には、魂の底から絶望するしかなかった。
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「ふふ、面白い。世界を丸ごと担保にした信用取引か。神様にしては、随分と俗っぽい博打を提案してくるじゃないか」
レオンは臆することなくプライマリーを見据えたが、次の瞬間、少女が手にした黄金の鍵を虚空へと深く差し込み、時計回りにカチリと回した。
『まずは、前提条件の初期化を行います。――システム開放』
その瞬間、純金の床から凄まじい光の柱が立ち昇り、レオンがルード王国に施したはずの「非上場化(MBO)」の防壁が、まるで薄い紙細工のように一瞬で粉砕された。
光の柱の奥から引きずり出されてきたのは、市場から隠蔽されていたはずの「ルード王国」の因果データそのものだった。王国の美しい街並み、人々の生活の営み、リーゼロッテが幼い頃に父親と過ごした思い出の記憶までもが、光の数字へと強制的に変換され、神の市場の「担保スロット」へとパチパチと音を立ててロックされていく。
「あ、ああ……っ!? 頭が、私の記憶が……消えていく……? お父様との約束が、ルード王国の名前が、思い出せない……っ!」
リーゼロッテが突然頭を押さえ、その場に膝をついた。彼女の身体が、まるで陽炎のようにうっすらと透け始めている。ルチアも、ミュリンもクロエも、自分たちの存在確率がじわじわと「数字の担保」へと変換されていく絶対的な絶望感に、声を上げることすらできずにその場に頽れていった。
レオンがこれまで積み上げてきたすべての制度の裏をかくハメ技、テクニック、法律の知識――それらすべてが、ルール作成者であるプライマリーの直接介入(神の権力)の前には、一切通用しない。これまでの戦術が完全に無効化された、正真正銘の絶体絶命だった。
自分の手足すらもじわじわと透け始め、存在がこの多元宇宙から消滅しかけているというのに、レオン・ヴァルハイトは冷や汗一つ流していなかった。それどころか、彼は自分の身体が透けていく現象を、まるで極上のエンターテインメントでも見るかのように面白そうに見つめていた。
「なるほど、これが神の直接介入か。ルールの裏をかけないなら、ルールそのものを書き換えればいい。だがな、神様――」
レオンは消えかける右手を無理やり動かし、プライマリーの目の前で、不敵に、そして獰猛に指を突きつけた。
「お前がそのルール(因果の信用取引)を作ったのなら、そのシステムの中に、意図的に『バグ(脆弱性)』を埋め込んだのもお前自身のはずだ。そうでなければ、お前はわざわざ俺のような人間をここまで呼び寄せたりはしない」
存在の消滅を賭けた絶対の絶望の中で、レオンは恐怖するどころか、逆にそのシステムの開発者である神そのものを脅迫しにかかる。
レオンの瞳の奥に宿る、底知れない狂気的な交渉人の光を見た瞬間、感情を持たないはずの創世の巫女プライマリーの、数億年の歴史を刻む瞳のチャートが、初めて一瞬だけ『不規則な乱れ(ノイズ)』を記録した――。




