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第29話:国家主権空売り(ソブリン・ショート)、あるいは究極の防衛策

原始惑星ギガントの大地に真の黎明を告げる緑が蘇り、巨獣たちの歓喜の咆哮が響き渡る中、レオンたちの前に展開された新たなホログラム画面は、凍りつくような「赤色」に染まっていた。

レディ・オセアニアの細い指先が示した座標――それは、彼らが血の滲むような交渉とハチミツ本位制の導入によってようやく安定へと導いた、故郷『ルード王国』の現在の経済インジケーターだった。画面の奥で激しく点滅しているのは、カトリーヌの敗北による勝利の宴などではなく、国家そのものが内側から解体されていく破滅のカウントダウンだった。


「う、嘘……っ!? ルード王国のハチミツ本位制の通貨価値が、一瞬で三分の一にまで暴落しているわ! 国債も、土地の権利も、すべてが市場で紙切れみたいに叩き売られている……!」


リーゼロッテが市場端末に噛み付かんばかりの勢いで叫び、その顔から一瞬で血の気が引いていった。

先ほどまで勝利に沸いていたルチアも、大慌てでジャンクバイクの通信回線を故郷の王都へと遠隔接続する。しかし、スピーカーから聞こえてきたのは、鳴り止まない警報音と、市場のパニックに狂った群衆たちの怒号だけだった。


「レオン、これ、カトリーヌの『鋼鉄工業都市』の残党による嫌がらせなんかじゃないよ! アタシたちの留守を狙って、最初から完璧に計算されたタイミングで、信じられない規模の売り注文が王国の全資産に浴びせられている!」


彼らが原始惑星ギガントで千倍の資本格差と戦っている隙に、本陣であるルード王国は、完全に無防備な状態で経済的な焦土作戦に晒されていたのだ。カトリーヌという前回の覇者すらも、レオンの意識を故郷から逸らすための「巨大な肉壁デコイ」に過ぎなかった。


『ウフフ、気付くのが少し遅かったわね、優秀なネゴシエーターさん』


レディ・オセアニアが星屑のドレスを揺らし、絹の扇子で口元を隠しながら、最高に歪んだ愉悦の笑みを浮かべた。


『あなたが辺境の星でトカゲたちと泥臭いストライキごっこをしている間に、本物の「プロフェッショナル」が、あなたのホームを根こそぎ買い叩きに動いていたのよ。これこそが、我が最高経済議会直属のヘッジファンドが誇る究極の戦術――【国家主権空売り(ソブリン・ショート)】。さあ、あなたの故郷の命の値段、どこまで下がるかしらね?』


オセアニアの言葉と同時に、真っ赤に染まった画面の中央に、一人の男の冷徹なホログラムが割り込むようにして出現した。

レオンたちの前に姿を現した漆黒の軍勢の首魁が、ルード王国をハメ殺すための冷酷な数理ロジックを語り始めた。


男は仕立ての良い三つ揃えの高級スーツを着こなし、片手で数理経済学の演算データを弄びながら、細い目の奥から蛇のような冷たい視線をレオンへと投げかけていた。彼こそが、最高経済議会直属のヘッジファンド『漆黒の軍勢ショート・アーミー』の最高投資責任者(CIO)、バロン・メディチだった。彼はカトリーヌのような感情的な破壊ではなく、数式によって国家の息の根を合法的に止める、経済戦争の真の玄人だった。


『初めまして、レオン・ヴァルハイト殿。カトリーヌの敗北は我が方にとっても計算内、いや、むしろ彼女の破産によって市場の流動性が高まったことは、我がファンドにとって最高の追い風となりました』


バロン・メディチは眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、冷酷な笑みを浮かべた。


『我が『漆黒の軍勢』は、すでにルード王国の通貨、国債、さらには国民の「生存権(マナ受給権)」までを完全にデリバティブ(金融派生商品)化し、市場へ天文学的な規模で売り浴びせています。国家の信用とは、砂上の楼閣に過ぎない。売られ続けるという事実そのものが、国民の恐怖を煽り、通貨のハイパーインフレを誘発する。あなたがこの原始惑星から戻る頃には、ルード王国という国家の価値は完全にゼロ(崩壊)になっているでしょう』


『……間違いないわ。これ、公社すらも歴史上数回しか手をなさなかった、最も忌まわしいソブリン・ハッキングの手口です』


レオンの隣で、元監査官のステラ・ヴァレンタインが恐怖に身体を震わせながら、バロンの戦略の悍ましさを補足した。


『バロンの恐ろしいところは、外側からの攻撃だけではありません。ルード王国の市場が暴落したことで、王国内の悪徳貴族や日和見の商人たちが、自国の未来を完全に見限り始めています。彼らはバロンの資本力に恐怖し、あるいは自分たちだけが暴落で儲けようとして、自ら「ルード王国売り」のパニックに加担しているのです。内側からの裏切りによって、崩壊の連鎖が止まりません……っ!』


「味方の商人や貴族まで、敵の空売りに乗っかって国を売り叩いてるっていうの!? そんなの、ただの亡国奴じゃないのよ!」


リーゼロッテが激しい怒りと絶望に小さな拳を握りしめた。外敵だけでなく、自分たちがこれまで育ててきた市場の身内までもが、敵の圧倒的な資本の前に恐怖し、国を切り売りする側に回ってしまっているのだ。


画面の奥では、ルード王国の通貨価値が秒速で下落し、王都の広場では裏切った貴族たちが資産を海外口座(公社金庫)へと逃がすための売却手続きを狂ったように進めていた。

身内が売り崩しに参加している以上、どれだけルード王国の中央銀行が買い支えようとしても、資本の底が抜けているため、すべての資金がバロンのファンドへと吸い取られてしまう。まさに、国家そのものを内側から解体し、合法的に滅亡させる絶対のハメ技。


「レオン、どうするの……っ!? 身内まで敵に回っちゃったら、私たちが原始惑星で稼いだ利益をどれだけ注ぎ込んでも、買い支えるための信用がいくらあっても足りないわよ……! このままじゃ、私たちの帰る場所がなくなっちゃう!」


リーゼロッテがレオンの外套を掴み、涙ながらに彼の顔を見上げた。ミュリンもクロエも、あまりにも冷酷な故郷の現実に言葉を失い、拳を握りしめることしかできない。


しかし、国家が内側から切り売りされていく最悪のチャートを見つめながらも、レオン・ヴァルハイトの瞳の奥にある、狂気じみた特級交渉人の光が消えることはなかった。彼は、むしろ裏切り者たちが売りボタンを連打している画面を見つめ、くっ、と不敵に口元を吊り上げた。


「お嬢様、慌てる必要は一切ない。敵が国家の売り(ショート)を仕掛け、身内のバカどもがそれに同調して国を市場に放り出しているなら、これはむしろ――俺たちにとって一生に一度の『大バーゲンセール』だ」


「え……? バーゲンセールって、国が滅びかけているのよ!?」

リーゼロッテが驚愕に目を丸くする。


「ああ。バロンも裏切り者の貴族どもも、ルード王国が『市場(チェス盤)の上に上場し続けている』という前提で、この空売りゲームを仕掛けてきている。……なら、その前提条件ごと、奴らのロジックをハメ殺してやればいい」


レオンは懐から、先ほどドロップした最高経済議会の【プラチナ・パスポート】を不敵に掲げ、バロン・メディチのホログラムを真っ直ぐに見据えた。


「バロン・メディチ。お前たちは市場のルールで我が国を買い叩いたつもりだろうが、俺はこれより、この議会特権を使って、我がルード王国のすべての株式と土地、そして生存権を底値で丸ごと買い占める。――そして、ルード王国を市場から完全に『非上場化(MBO)』してやるよ」


「ひ、非上場化(MBO)ぉ!?」

ルチアが今日一番の悲鳴を上げ、バロン・メディチの細い目が初めて驚愕に大きく見開かれた。


「そうだ。国を丸ごと買い占めて非公開企業プライベート・カンパニーにしてしまえば、神々の市場から我が国のチャートは完全に消滅する。市場から消えた存在に対して、お前たちの『空売り(ショート)』の契約は法的に成立しなくなるんだよ。バロン、お前たちが空売りしたルード王国の国債は、買い戻す対象(市場)を失って、すべて永久に決済不能の『不良契約エラー』に変わるのさ」


レオンは端末の画面を睨みつけ、裏切り者たちが叩き売った故郷の全権利を、底値で一括で買い取るための『マネジメント・バイアウト(MBO)』の執行ボタンへと指をかけた。


「身内の亡国奴どもを全員クビにして、国を丸ごと俺たちのプライベート資産にしてやる。神様どものチェス盤から、俺たちの国を完全に隠蔽してやろうじゃないか」


国家そのものを市場から消し去るという、レオンの前代未聞の究極の逆張り(ハメ技)。

レオンの指先がMBOの決済ボタンを激しく叩きつけた瞬間、ルード王国のチャートが眩い光と共に市場から強制的にデリスティング(削除)され、バロンのヘッジファンドの画面に天文学的な「システムエラー」の文字が溢れかえった――。

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