第28話:経営陣解任(ボード・アウト)、あるいは星の敵対的買収完了
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レオン・ヴァルハイトの指先が、市場端末の「全額買い付け」ボタンへと容赦なく叩きつけられた瞬間、原始惑星ギガントの全域を包んでいた大気が、キィィィンという鼓膜を裂くような高周波の電子音を立てて凍りついた。
ルード王国経済圏のすべての信用を裏付けとした黄金の『精霊手形』の買い注文と、カトリーヌ・ド・マルスが星の寿命を人質にして吐き出し続けた天文学的な『惑星債』の売り注文が、次元間市場の板の上で正面から衝突したのだ。それは経済の歴史上、未だかつて誰も試みることのなかった、「一惑星の全負債の引き受け」という狂気の決断だった。
「が、画面の数字が……処理許容量を超えて計測不能になっていくわ! レオン、買い取った負債の塊が、私たちのハチミツの信用を狂ったように食い荒らしている! このままじゃ相殺が間に合わずに、私たちの経済圏そのものが一瞬で連鎖倒産しちゃうわよ!」
リーゼロッテが市場端末を両手で必死に抑え込みながら、叫んだ。彼女の誇り高き金髪の隙間からは冷や汗が流れ落ち、瞳はパニックに染まっている。
ルチアのジャンクバイクの計器からも、過負荷による紫色の火花が何度も吹き荒れていた。
「アタシのシステムも限界だ! カトリーヌが吐き出す売り注文の物量が多すぎる! まるで、巨大な泥の津波をバケツ一個で受け止めているようなもんだよ!」
二人の悲鳴のような報告を、地平線の彼方に立つ『鋼鉄要塞』から見下ろしていたカトリーヌは、ホログラムを通じて、勝利を確信した狂気の笑顔を浮かべてみせた。
『ウフフ、アハハハハ! 自ら進んで私の不渡り(ゴミ)を肩代わりするとは、現地人の交渉人、噂に違わぬ愚か者ですね! 私が吐き出した負債の津波を全て買い取るだけの資本力など、お前たち地方都市の成金にあるはずがない! そのまま星の呪い(借金)に押し潰され、自己破産して消え去りなさい!』
カトリーヌの指先は、さらに売りボタンを連打し、市場に供給される負債の量は幾何級数的に膨らんでいく。
引きずり出された『惑星核』は黄金の鎖に締め付けられ、その輝きをドス黒い赤色へと変え始めていた。大地は崩壊を速め、倒れ込んだ巨獣たちの身体が、じわじわと負債の数字に侵食されて半透明に透け始めていく。一時間とされていた制限時間は、この資本の超臨界によって、あと数分というところまで縮まろうとしていた。
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全財産が秒速で消滅していく絶望のカウントダウン。しかし、レオン・ヴァルハイトの顔から、あの獰猛な交渉人の笑みが消えることはなかった。
レオンは横で震えている元監査官ステラの電子端末を強引に奪い取ると、公社中央監査室の直通バックドアを逆ハッキングし、議会システムへ向けた「禁忌の資産再評価(緊急監査)」を執行した。
カトリーヌの『鋼鉄工業都市』のAI監査システムは、目に見える工場プラントや、採掘されるレアメタルといった「目に見える資源(有形資産)」の数字しか見ていなかった。だからこそ、この星の価値をゼロと見做して売りを浴びせることができたのだ。しかし、会計学の世界には、企業の買収価格が純資産を上回る際に計上される、目に見えない無形の価値――【のれん代】という概念が存在する。
「カトリーヌ。お前は数字の奴隷ゆえに、この星の帳簿に記載されていない最大の資産を見落としたな」
レオンがステラの端末から、再評価された財務データを市場のメインフレームへ強制開示した。
「ミュリンが現地で外した枷を打ち直して作り上げた『精霊装甲による持続可能なインフラ』。クロエの精霊農業がもたらした、数百年分の環境汚染を一瞬で浄化する『圧倒的なESG評価(環境スコア)』。そして何より、俺たちの株主となった巨獣たちの『高い労働意欲(人的資本)』――これらすべてを合算した結果、この原始惑星ギガントの本当の資産価値、すなわち『惑星のれん代』は、お前が設定したゴミ値の――実に一万倍に跳ね上がる」
レオンがロジックを言い放った瞬間、議会のメインAIが「資産の再評価を承認」という、青いシステムメッセージを惑星全域の空へ投影した。
次の瞬間、市場の板情報が、バグのような速度で書き換わり始めた。
カトリーヌが「ゴミ」だと思って大量に投げ売っていた『惑星債』は、レオンの開示によって、持っているだけで莫大な配当を生み出す、宇宙最高峰の「超優良プラチナ債券」へと一瞬でその定義を反転させたのだ。
「え……? う、嘘でしょ……!? 私たちが買い取った負債の塊が、全部……全部、天文学的な価値の『プラスの資産』に化けたわよ!?」
リーゼロッテが市場端末を覗き込み、あまりの激変にその美しい目を限界まで丸くした。
「それだけじゃないよ、お嬢様!」
ルチアがジャンクバイクの画面を指差し、歓喜の声を張り上げる。
「アタシたちが買い占めていた惑星債の保有比率が、今……五一%を突破した! この星の支配権(過半数の株式)は、完全にアタシたちのものだ!」
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「――条件は満たされた。これより、原始惑星ギガント筆頭株主の絶対権限を行使する」
レオンは、灰の山から拾い上げたプラチナ・パスポートを天高く掲げ、冷酷に、そして容赦なく最終宣告を下した。
「多元宇宙ガバナンスコード第十八条発動。前経営者カトリーヌ・ド・マルスを、経営怠慢および資産毀損の罪によって――【経営陣解任】とする! お前の『鋼鉄工業都市』は、本日只今をもって、我がルード王国経済圏が丸ごと『吸収合併(M&A)』する!」
ドゴォォォォォンッ!!!
レオンの声と同時に、カトリーヌの拠点で網の目のように張り巡らされていた公社のシステム回線が、一斉に爆発して切断されていった。彼女の象徴であった『鋼鉄要塞』の所有権データが、上空のホログラム上で一瞬にして「レオン・ヴァルハイト所有」へと書き換えられていく。
『な……、あ、アアア……ッ!? 私の支配権が……、私の会社が、現地人のポートフォリオの一部にされている……!?』
権利を完全に奪われたカトリーヌは、自分が限界まで膨らませていた「空売りポジション」の買い戻し(ショートスクイーズ)を、議会システムによって強制的に執行された。市場価格が一万倍に跳ね上がったプラチナ債券を、彼女は自分の口座の資金を使って、市場の最高値で強制的に買い戻させられるという、経済的な極刑。
千倍あった彼女の資本金は、まさに一瞬で枯渇し、マイナス数千宇宙年分という天文学的なデフォルト(自己破産)へと転落していった。カトリーヌは、片目のスカウターの破片を顔に付けたまま、白目を剥いて泡を吹き、ゲームの盤面からポリゴンのように砕け散って完全に消滅(退場)していった。
カトリーヌが消え去ると同時に、惑星核を縛っていた黄金の鎖は粉々に砕け散り、コアは本来の瑞々しい新緑の輝きを取り戻して大地の奥底へと還っていった。ひび割れていた大地からは澄んだ水が湧き出し、苦しんでいた巨獣たちは、かつてないほど濃厚なマナの祝福を受けて一斉に力強く立ち上がり、大地の黎明を告げる大咆哮を上げた。
「やった……、本当にやったんだわ! 私たちは、千倍の神様に勝ったのね!」
ミュリンとクロエが、蘇った緑の大地の上で涙を流しながら抱き合った。リーゼロッテも、ホッとしたようにレオンの胸にその小さな頭を預け、長い溜息を吐いていた。
第1回戦、ルード王国経済圏の圧倒的完全勝利。
しかし、レオンたちが勝利の余韻に浸る間もなく、空の特特等席から、星屑のドレスを纏ったレディ・オセアニアが、ゆっくりと拍手をしながら再び彼らの前に舞い降りてきた。彼女の扇子の奥にある瞳は、最高に歪んだ愉悦にギラギラと輝いている。
「素晴らしいわ、レオン! 前回の覇者を一戦で自己破産に追い込むなんて、私の見込んだ通りの最高にイカれた投資家ね! ……でも、お祝いの時間はここまでよ?」
オセアニアが不敵に笑い、手にした扇子をパチンと閉じると、新たな対戦表のホログラムがレオンたちの前に展開された。
「さあ、お楽しみの第2回戦のターゲット(市場)を発表するわね。……次の対戦相手は、カトリーヌの残党である『ショート・アーミー(空売りの軍勢)』。そして、彼らがすでに全財産を注ぎ込んで『市場の崩壊』を仕込み終えている次の惑星は――」
オセアニアの細い指先が指し示した座標。そこに映し出されていたのは、レオンたちの故郷であり、彼らが必死に守り抜いてきた――「ルード王国そのもの」の姿だった。




