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第26話:底値の買い叩き、あるいは原始的ストライキ

市場端末の画面が、血のような赤色に染まり続けていた。

カトリーヌ・ド・マルスが率いる『鋼鉄工業都市セクター』の圧倒的な売り浴びせにより、ルード王国の『精霊手形』の価値を示すインデックスは、まさに底の抜けたバケツのように垂直落下を続けている。千倍の資本力を持つ強者が仕掛けた「概念的空売り(ショート)」は、原始惑星ギガントの未来そのものを人為的にジャンク(無価値)へと叩き落とす、完璧な資本の暴力だった。


「だ、ダメよレオン! 売り注文の板が厚すぎて、私たちの買い注文なんて一瞬で飲み込まれて消えちゃうわ! このままじゃ、あと三分で私たちの初期資本は完全に底を突いて、名実ともに上場廃止ゲームオーバーよ!」


リーゼロッテが、激しくアラートを鳴らし続ける端末を凝視しながら悲鳴を上げた。

彼女の額からは大粒の汗が流れ落ち、為替の魔女としてのプライドが、かつてない物量の前に粉々に砕かれようとしていた。ミュリンもまた、周囲で黒煙を吐き出す魔導工場の地響きに怯え、クロエは枷を嵌められた巨獣たちの哀しい咆哮に胸を痛めて俯いている。


『ウフフ、アハハハハ! 見なさい、この美しい暴落のチャートを!』


地平線の向こうにそびえ立つ『鋼鉄要塞』の巨大な拡声魔導器から、カトリーヌのサディスティックな高笑いが惑星全域に響き渡った。


『現地人のネゴシエーターさん、お前の逆張り戦術とやらが、神々の資本力の前にどれほど無力か理解できましたか? お前たちが買い支えようとすればするほど、私の空売りの利益マージンが膨らむのですよ。この世界の資源をすべて吸い尽くし、価値をゼロにして、お前たちを資産ごと塵にして差し上げます!』


「レオン、どうするんだよ!? アタシのハッキングでも、公社のメイン直結の売り注文の自動プログラムは止められない! このままじゃ本当に全額スられちまう!」

ルチアがジャンクバイクの計器を必死に操作しながら、焦燥を隠せずに叫んだ。


しかし、破滅の一秒前という極限の状況下にあっても、レオン・ヴァルハイトの瞳から冷徹な計算の光が消えることはなかった。彼は、あえて暴落しきった『精霊手形』の最安値(ストップ安)の決済ボタンを指先でトントンと叩きながら、不敵に笑ってみせた。


「慌てるなお嬢様、そしてルチア。……カトリーヌの売り浴びせは確かに強烈だが、彼女はあまりにも『数字の効率』に依存しすぎている。市場の価格がここまで下がったということは、今、この惑星で最も割安に放置されている『最強の資産』が、俺たちの目の前に転がっているということだ」


レオンは、激しい電子ノイズを放つ端末をポケットにしまうと、周囲で強制労働を強いられている原始惑星の先住生物――体長十メートルを超える知的恐竜『ギガント・ラプトル』の一群へと歩み寄り、カトリーヌの効率主義がもたらした「負の外部性」、すなわち現場の労働環境の致命的な欠陥を突く、泥臭い現地交渉ローカル・ハッキングを開始した。


カトリーヌの『鋼鉄工業都市』は、千倍の資本を使ってプラントを建設し、巨獣たちを「電子の枷」で縛って無理やり働かせている。しかし、その強引な奴隷労働は、現地の生物たちの「労働意欲」を最悪のレベルまで低下させていた。工場は黒煙を上げているが、巨獣たちは限界を超えて疲弊しており、プラントの稼働効率は数字上の予測を大幅に下回っている。カトリーヌのAI監査システムは「世界の崩壊」という結果の数字だけを見ているため、この現場の「現場の不満バグ」を資産価値の計算に反映できていないのだ。


「おい、そこの誇り高き大地の主たちよ。お前たちは、あんな鉄の塊のために、自分たちの故郷の山を無償で削り取られることに満足しているのか?」


レオンが「電子の枷」の魔力回路を指先の手形魔力でパチリと遮断しながら、群れのリーダーである巨獣に語りかけた。


『グルゥ……。我ラ、鉄ノ女王ニ故郷ヲ奪ワレタ。逆ラエバ、存在ヲ消サレル。シカシ、モウ限界ダ……』

巨獣が重い地響きのような声で、絶望を口にする。


「なら、俺と新たな取引ディールをしよう。お前たちが今すぐその退屈な仕事を放り出し、全員で『ストライキ(生産停止)』を起こすなら、俺たちの持つ『精霊手形』をお前たちの新しい大地の権利書として保証してやる。さらに――」


レオンはクロエを前に引き寄せた。


「クロエの精霊農業の技術でお前たちの傷を癒やし、ミュリンの鍛冶技術で、その邪魔な鉄の枷をお前たちの身を守る最硬の装甲アーマーに作り替えてやる。どうだ? あんな冷酷な女王のために命を削るより、俺たちの『株主』になった方が、遥かに高利回りだと思わないか?」


『……我ラ、鉄ノ女王ヲ信ジナイ。シカシ、オ前達ノ温カイマナハ、本物ダ。……取引、成立ダ!』


巨獣のリーダーが激しく咆哮すると、その声は連鎖反応のように惑星全域の工場プラントへと伝播していった。

次の瞬間、それまでカトリーヌの命令で動いていた数万頭の巨獣たちが、一斉にその場に座り込み、ツルハシや搬送台車を地面に叩きつけた。これこそが、レオンが仕掛けた原始惑星ギガントにおける初の「全面ストライキ」だった。


「な、何が起きてるの……!? カトリーヌの工場の稼働率が、一瞬でゼロに落ちていくわよ!?」

リーゼロッテが市場端末を覗き込み、驚愕に美しい目を丸くした。


工場の稼働が止まったということは、カトリーヌが「生産予定」として計上していた未来の利益データが、すべて一瞬で「ただの維持コスト(大赤字)」へと反転したことを意味する。さらに、ミュリンが現地で外した枷を瞬時にして『精霊装甲』へと鋳造し、クロエが傷ついた大地に大鎌を振るって緑を急速に蘇らせたことで、惑星の環境評価(ESGインデックス)が底値から猛烈な勢いで急上昇を始めた。


ピピピピピピピピピピピピピ――ッ!!!!


市場端末から、今度は鼓膜を破らんばかりの「爆騰アラート」が鳴り響いた。

大暴落していたレオンたちの『精霊手形』が、現地の巨獣たちの労働権利、そして蘇った大地の資源と完全にペッグ(固定)された瞬間、底値で溜め込まれていた買い注文が一気に爆発したのだ。


「う、嘘でしょ……!? ストップ安だった私たちの手形が、底値から垂直に跳ね上がって……、カトリーヌの売りポジションを次々と食い破っていくわ!」

ルチアがジャンクバイクの上で踊り狂うように歓喜の声を上げた。


これこそが、レオンの狙いだった。カトリーヌは千倍の資本で「空売り」のポジションを限界まで膨らませていた。価格が下がれば儲かるが、逆に価格が底値から急上昇した場合、その膨大な空売りポジションは、すべて天文学的な「含み損(買い戻しの義務)」へと変貌する。


『な……、何ですか、この異常なリバウンドは……!? 現地のトカゲどもが、なぜ労働を停止しているのですか! 私の空売りが……、私の資産が、買い戻し(ショートスクイーズ)の津波に巻き込まれて消えていく……っ!?』


遠くの『鋼鉄要塞』から、カトリーヌの余裕に満ちていた声が、悲鳴のような絶叫へと変わって惑星に木霊した。

市場の価格が上昇すればするほど、カトリーヌは損失を止めるために、自分自身の手でレオンたちの『精霊手形』を最高値で買い戻さなければならないという、最悪の無限地獄ショートスクイーズ


レオンは、黒煙が晴れ、美しい緑が戻り始めた原始惑星の空を見上げながら、外套のポケットに手を戻し、獰猛な笑みをカトリーヌの要塞へと向けた。


「言っただろ、カトリーヌ。お前が仕掛けた空売りの底の底……、そこは俺たちの『仕込み場』だったんだよ。さあ、神々のマネー・ゲームの本当の恐ろしさを、その身で精々味わうがいい」


しかし、レオンが完全な勝利のチェックメイトを確信したその瞬間、彼らの足元の大地が、先ほどの地鳴りとは全く異なる、不気味な「宇宙の脈動」を立てて激しく震え始めた。

カトリーヌの敗北を察知した多元宇宙最高経済議会のシステムが、第1回戦の戦況を強制的に歪めるための、最悪の「追加ルール」を盤面に投下したのだ。

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