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第21話:取締役会の不祥事、あるいは逆不渡りの和解条約

ステラ・ヴァレンタインの眼鏡の奥の瞳が、かつてないほどの恐怖と混乱に泳いでいた。

彼女の背後に展開されていた、公社中央監査室の整然としたグリッド光は、今や真っ赤な警告インジケーターによって完全に埋め尽くされている。画面の向こうからは、本社の人工知能たちが「基幹口座の残高が無限に減少中」「資産データの腐食率、まもなく八〇%を突破」と、絶望的な合成音声を休むことなく喚き散らしていた。


「監査エラー、処理不能……っ!? ただの産業廃棄物のデータのはずなのに、どうして減損処理マークダウンが追いつかないのですか……!」


ステラは、白手袋に包まれた両手で狂ったように電子帳簿タブレットを叩いていた。だが、彼女が対策のパッチを適用しようとするよりも早く、自動課税システムという「超高速レーン」を通じて、ミュリンとクロエが偽造した『毒性資産トキシック・アセット』が秒速数京ゴールドの規模で本社の金庫へと吸い込まれ続けている。

職人の手技によって「完璧に優良資産のフリをしたゴミ」は、公社の誇る最新鋭の自動AI監査をいとも容易くスルーし、本社の心臓部であるメインフレームの内部で、莫大な『逆不渡り(システム的な債務超過)』を爆発させていた。


「当然の結果よ、お局監査官さん」

リーゼロッテがゴスロリの袖を優雅に翻し、ステラのホログラムを見下ろすように冷たく微笑んだ。

「あんたたちのシステムは、数字の綺麗さ(形式)だけを求めて、中身の泥臭さ(実体)を見てこなかった。私たちの世界の手作りのローカル・クラフトが、あんたたちの綺麗なお財布の中でどれだけ綺麗に暴れ回るか、これで身に染みたかしら?」


「くっ……、未開世界の、経済の歪み(バグ)どもが……っ!」

ステラは悔しげに唇を噛み締めた。しかし、彼女の画面に表示された【最高取締役会からの緊急更迭通知】の文字は、もはや彼女に一秒の法的な猶予も残されていないことを示していた。


「さて、ステラ執行役員。そろそろ本当の『交渉ディール』を始めようじゃないか」


レオンは一歩前に出ると、懐からルード王国の『精霊手形』と、公社の基本規約書を同時に掲げてみせ、本社の椅子を失いかけているエリート美女に対し、冷徹なガバナンス(内部統治)の刃を突きつけ始めた。


多元宇宙貿易公社のような巨大組織において、最も重罪とされるのは、敵からの物理的な攻撃ではない。「独断で敷いた規約(資本規制パッチ)の不備が原因で、本社の基幹システムに数十宇宙年分の壊滅的な損失を与えた」という、役員としての経営責任フィデューシャリー・デューティの違反である。このまま本社のメインフレームがメルトダウンすれば、ステラはただの更迭では済まない。公社の特別法廷によってすべての個人資産を没収され、次元の最果てにある「自己破産セクター」へと永久流刑に処されるのが、公社の冷酷な人事マニュアルの確定事項だった。


「お前が助かる道は、今この瞬間に、俺たちが突きつける【和解条約】に署名することだけだ」


「……和解、条約……? 私に、現地人ローカルとの妥協を強いるのですか」

ステラは眼鏡の位置を直そうとしたが、その指先は屈辱で微かに震えていた。


「妥協じゃない、お前にとって唯一の『救済策ベイルアウト』さ。このメインフレームのパニックを『不可抗力の未知のシステムバグ』として処理し、俺たちの『毒性資産』の逆流をここで停止させる。その代わり、公社はルード王国セクターの強制凍結デリスティングを永久に撤回しろ。さらに、我が『精霊手形経済圏』を公社公認の【多元宇宙特別経済特区】として承認し、ゴールド外貨との一対一の固定為替ペッグを保証してもらう」


レオンの提案は、公社にとっては実質的な「部分的な支配権の割譲」であり、ステラにとっては「命綱」そのものだった。

この条件を呑めば、ステラは「バグを迅速に処理し、新たな特区を開拓した」という名目で、辛うじて取締役会への面目を保つことができる。レオンは、敵の組織構造と個人の保身心理を完璧に計算し尽くした上で、断れない絶対の選択肢を提示したのだ。


「……信じられません。最初から、私個人の保身の損得勘定まで、お前の帳簿シナリオ通りだったというのですか、レオン・ヴァルハイト」


ステラは深く、絶望に満ちた溜息を吐いた。彼女の手元にある電子帳簿のエラーは、すでに限界値クリティカルに達している。


「分かりました。……当惑星セクターの強制凍結を解除し、特別経済特区としての互換協定ペッグを承認します。これ以上の損失テロは、公社の株価に影響しますから」


ステラが血の涙を流すような思いで電子帳簿に役員承認の暗号サインを走らせると、周囲を包囲していた紫色の資本規制膜が、嘘のように一瞬で霧散していった。本社のメインフレームへの逆流も停止し、ルード王国は名実ともに「世界の外側の巨大資本」と対等な権利を持つ、無敵の特区へと格上げされたのだ。


「やったぁぁぁぁぁッ! 今度こそ、本当に私たちの完全勝利ね!」

ルチアがジャンクバイクのエンジンを爆音で吹かし、ミュリンとクロエが手を取り合って歓喜のステップを踏んだ。寝返った私兵たちも、手に入れたストックオプション(手形)が公社公認の優良資産に化けたことで、互いに肩を組んで大声を上げて笑っている。


「ふん、まあ私の右腕としては及第点の交渉だったわね、レオン」

リーゼロッテはふんぞり返りながらも、その頬を嬉しそうに緩めていた。


だが、全員が勝利の美酒に酔いしれようとした、まさにその瞬間だった。


『――アタシのナビゲーターに、見たこともない異様なエラーコードが、最深部から上がってきてるんだけど……っ!?』


ジャンクバイクの端末を操作していたルチアの顔から、一瞬で血の気が引いていった。

公社との和解が成立し、システムの接続が正常化したはずのジャンク・セクターの最深部――その底知れぬ闇の奥底から、公社すらも歴史から完全に抹消し、三百年間隔離し続けていたはずの『世界最初の不良債権プロトタイプ・デフォルト』が、今、レオンたちのハッキングによって目覚め、不気味な産声を上げて起動しようとしていた。

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