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第16話:世界の外側の帳簿、あるいは黒スーツの監査官

黄金の巨神『大いなる貸付手グランド・クレジター』が、光の粒子となってガラガラと音を立てて崩壊していく。

それは、大陸中央商工魔導同盟が三百年間かけて築き上げてきた、絶対的な信用と債権の崩壊を意味していた。ルード王国の国境線には、ハチミツの甘い香りと共に清浄なマナの風が吹き荒れ、黒い鎖から解放された兵士たちの歓声が地鳴りのように響き渡る。


「やった……! 本当に、あのゴールドの神様を買い叩いちゃったんだわ!」


ミュリンが巨大なハンマーを地面に置き、満面の笑みでクロエと手を取り合って跳ね回った。

トマスも通信機の向こうで「おいおい、奇跡ってのは実在するんだな! これで俺たちの『精霊手形』が名実ともに大陸の覇権通貨だぞ!」と、算盤を狂ったように打ち鳴らしている。


「ふん、当然の結末よ。この私を敵に回して、ただの不良債権の塊が勝てるわけないじゃない」


リーゼロッテはゴスロリのスカートの汚れを払い、ふんぞり返って胸を張った。だが、その小さな肩の震えは、今しがた潜り抜けた経済的死線への恐怖を物語っている。彼女は隣に立つ元右腕を見上げた。


「……ねえ、レオン。これで全て終わったのよね? ルード王国は救われ、同盟の横暴も止まった。あなたの描いたシナリオ通りに、完全勝利チェックメイトだわ」


「いいや、お嬢様。……最悪の第2ラウンドは、たった今始まったばかりだ」


レオンは勝利の余韻に沸く戦場で、ただ一人、険しい表情のままだった。その手には、巨神の崩壊現場に落ちていた、不気味な魔力の脈動を放つ『漆黒の契約書』が握られている。


「お前は、この世界の『外側のルール』に気づいていたのか、レオン・ヴァルハイト」


魔導戦車から力なく降りてきた総司令官マクシミリアンが、モノクルのない虚ろな目でレオンを見つめていた。一〇〇%の予測を誇った男のプライドは完全に打ち砕かれていたが、その瞳には、敗北以上の深い絶望が宿っている。


「私たちが信奉し、拡大してきた同盟のシステムは、より巨大な『何か』の使い捨ての端末に過ぎなかった。お前はそれを知っていて、あの巨神を敵対的買収テイクオーバーしたのか?」


「ああ。同盟のゴールドが、なぜ人間の欲望や魔力を効率的に吸い上げる構造になっていたのか、ずっと疑問だったんだ。……その答えが、この契約書だ」


レオンは黒い手帳を開き、彼が掴んだ世界の真実を語り始めた。

この大陸を支配していた商工魔導同盟は、独立した国家の連合体などではなかった。その正体は、この世界の『外側』に存在する超巨大な資本組織の、末端のフランチャイズ(子会社)に過ぎない。


「漆黒の契約書に記されている組織の名は、――『多元宇宙貿易公社マルチバース・インベストメント』」


レオンの言葉に、リーゼロッテが息を呑んだ。

公社にとって、この世界は豊かなマナ(精霊資源)を安く買い叩き、他の高次元世界へ転売するための「現地植民地市場」に過ぎなかったのだ。同盟のゴールドは、公社が持ち込んだ外貨デジタル・マナの信用をベースにした出先機関の紙切れであり、マクシミリアンが推進していた『全体最適』とは、公社へより効率的に資源を上納するためのノルマ達成システムだった。


「俺たちがハチミツ本位制で同盟を破産させたということは、親会社である公社に対して『お前たちの子会社を倒産させたぞ』と宣戦布告したのも同然なんだよ。当然、親会社は黙っていない」


『――へえ、未開の世界の現地人にしては、随分と話が早いじゃない、お兄さん』


突如、レオンの懐にある魔導通信機(トマスの回線)が激しく混線し、未知の暗号コードと共に、見知らぬ映像が割り込んできた。

画面に映し出されたのは、魔導の歯車や機械仕掛けのゴーグルを頭に跳ね上げた、勝気な笑みを浮かべる少女だった。その背景には、ルード王国のものとは明らかに規格の異なる、蒸気と電子が融合したかのような異世界のブラック・マーケットが広がっている。


「誰よ、あなた!? 私の通信回線に勝手に割り込んでくるなんて!」

リーゼロッテが通信機に向かって怒鳴る。


『私はルチア。公社に故郷の市場をスクラップにされた、しがない元・特級相場師さ。……あんたたちの起こした「ハチミツインフレ」、別次元の市場マーケットから見せてもらったよ。中央銀行のシステムを内側から焼き切るなんて、最高にクレイジーで痺れたわ』


ルチアはゴーグルを指で弄びながら、不敵にニヤリと笑った。


『でも、感心してる場合じゃないよ。子会社が倒産したってことは、親会社の「本尊」が直接動き出すってことだ。……今、あんたたちの頭上に、公社が誇る最悪の「お局監査官」がシフト(転移)を開始した。捕まれば世界ごと差し押さえ(デリスティング)だ。死にたくなきゃ、いつでもアタシの裏ルートを――』


バツン、と凄まじい電子ノイズと共に、ルチアの通信が強制的に遮断された。


次の瞬間、黄金の巨神が崩壊したあとの空間、すなわち暗黒の次元の裂け目から、ルード王国の魔導術式とは全く異なる、無機質で冷徹な「電子アラート音」が鳴り響いた。


空間がデジタルホログラムのような青いグリッド線によって四角く切り取られ、光の粒子が急速に結晶化していく。その中心から、カツン、カツンと、硬いヒールの音が戦場に響き渡った。


現れたのは、仕立ての良いタイトな黒スーツに身を包んだ、銀髪眼鏡の美女だった。

洗練された大人の色香を漂わせながらも、その瞳は、絶対的な効率性と冷酷さを湛えている。彼女は手元に浮遊する半透明の電子帳簿タブレットを美しく長い指先で操作しながら、レオンたちへ冷徹な一瞥をくれた。


「多元宇宙貿易公社・第4監査部、上級執行役員エグゼクティブ・ディレクターのステラ・ヴァレンタインです。これより、当セクターにおける資産査定を開始します」


彼女が言葉を発した瞬間、周囲の空間全体の流動性が完全に『凍結』した。兵士たちの呼吸が重くなり、ミュリンの精霊炉の残り火すらも、まるで時間が止まったかのように動きを止める。


「……これが、世界の、外側の人間……」

クロエが大鎌を構えようとするが、指一本動かすことができない。ステラの持つ圧倒的な「資本の重圧」の前に、この世界の強者たちの物理的な武力は、存在すら認知されていないかのように無視されていた。


ステラは眼鏡の位置を微かに直すと、レオンが構築した『ハチミツ本位制』のデータログを一秒でスクロールし、冷酷な美貌に、侮蔑を孕んだ微笑を浮かべた。


「未開世界のローカルルールにしては、それなりに面白い過剰流動性インフレのバグでした。……ですが、実体価値以上の名目価値を強引に付与する行為は、我が公社の定める『多元宇宙間独占禁止法』第十八条に明確に抵触しています」


彼女は電子帳簿に冷酷なサインを走らせ、レオンを真っ直ぐに見据えた。


「――ルード王国、および当惑星セクター全域を『不適格市場』と認定。これより、この世界の全資産、全生命、およびマナ流通の強制凍結デリスティングを執行します。逆張りは認められません」


世界の全てを無価値として上書きする、次元の違う「差し押さえ」の宣告。

完全勝利を掴んだはずのレオンたちの前に、宇宙規模のメガコーポの圧倒的な暴力が牙を剥いた――。

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