第13話:魔力貨幣(マナ・スタンダード)の発動、あるいは失われた最適解
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地鳴りは、世界の終わりを告げる地獄のドラムのようだった。
大陸中央、同盟の本部がある方向から天空へと穿たれた黒いマナの光柱は、大気を狂暴に震わせ、王都の空を濁った暗黒へと塗り替えていく。国境線に展開していた二万の第一魔導騎士団の頭上で、マクシミリアンが展開していた集団魔導陣『一〇〇%の平定』が、まるでガラスが割れるような音を立てて粉々に砕け散った。
「……何、だと?」
マクシミリアンのモノクルに表示されていた膨大な数式と市場データが、激しい白ノイズと共に一瞬でブラックアウトした。
彼が信奉していた「完璧な予測システム」がエラーを起こしたのではない。システムそのものの基盤、すなわち同盟のネットワーク回路が、中央からの圧倒的な魔力逆流によって物理的に焼き切られたのだ。
「総司令官! 魔導端末が全系統停止! 中央銀行本局とのラインが完全に遮断されました!」
「馬鹿な……! 私の計算では、ルード王国を経済的に孤立させ、手形の価値を失わせるのが最善の最適解であったはず! この中央からの異常な魔力パルスは一体何なのだ!」
一〇〇%の総監と呼ばれた男が、初めて戦慄に顔を歪め、自身の端末を狂ったように叩く。
だが、その画面が再び光を取り戻すことはなかった。レオンの放った経済のカウンターによって「同盟全域の市場大暴落」が引き起こされた瞬間、マクシミリアンすらも予期していなかった『真のバグ』が、同盟の内部から頭をもたげたのだ。
「気づくのが遅かったな、マクシミリアン」
レオンは押し寄せる黒い風に外套をなびかせながら、冷淡な目で元同僚を見上げた。
「お前は組織の優秀な歯車だったが、それゆえにお前の上層部――理事会とエレオノーラが、最初からお前たち騎士団をも『使い捨ての駒』として扱っていたことに気づけなかったのさ。この大暴落こそが、奴らの本当の狙いだ」
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『――その通りです。お見事でした、レオン先輩。流石は私の憧れた特級交渉人。これほど美しい市場大暴落を演出してくださるなんて』
暗黒の空に、空間を歪めながら巨大な遠隔魔導映像が投影された。
そこに映し出されたのは、同盟の次席特使エレオノーラ・フォン・メディチ。その冷徹だった美貌には、今や中央のエリートとしての仮面ではなく、狂気的なまでの悦楽の微笑が浮かんでいた。
「エレオノーラ……! お前、一体何を企んでいるのよ!」
リーゼロッテが小さな身体を震わせ、空の映像に向かって怒りの声を上げる。
『総裁閣下。あなた方は、この大陸を流通する「ゴールド」という基軸通貨の真の姿を、あまりにも知らなさすぎました。……いえ、知ろうとしなかったと言うべきでしょうか』
エレオノーラは冷酷なトーンで、しかし楽しげに語り始めた。
同盟が三百年かけて大陸全土に流通させてきた基軸通貨『ゴールド』。それは単なる希少金属ではない。流通し、人々の手を経る過程で、人間の「欲しい」という強い欲望や精神魔力を少しずつ吸い上げて蓄積する、極小の魔導媒体だったのだ。中央銀行の地下大金庫とは、大陸全土の富を集める場所であると同時に、数百年分の膨大な人間のマナをプールする「巨大な魔導心臓」に他ならない。
『レオン先輩が仕掛けたゲリラ新通貨の浸透、そして今回の全面封鎖による市場のパニック。今、大陸全土の数千万人の人間が、ゴールドの暴落に対して「恐怖」「絶望」「喪失感」という爆発的な負のエネルギーを抱いています。……これこそが、地下金庫の魔導心臓を強制起動させるための、最後のトリガー(燃料)だったのです』
「魔力貨幣の、真の発動条件……っ!」
リーゼロッテがハッと息を呑み、自身の小さな胸元を押さえた。総裁である彼女すら、理事会の老人たちが隠し持っていた暗黒のシステム(裏レギュレーション)の全貌を、今この瞬間まで掴めていなかったのだ。
『これより、大陸全土の富と生命は、我が同盟が直接強制管理する「絶対経済結界」へと移行します。市場(自由)などという不確定なものに世界を委ねるから、歪み(ローカル)が生まれるのです。すべてを私たちが均一に支配すれば、二度と暴落も飢餓も起きない完璧な世界が完成します』
エレオノーラがその細い指先を掲げた瞬間、暗黒の空から、数条の黒い触手のような魔導の「債権の鎖」が激しい音を立てて地上へと降り注いだ。
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「ぐあああああッ!?」
東の街道で、フェリックスが突如として胸を押さえ、馬から転げ落ちた。
彼の懐から、同盟から支給された給与であるゴールド硬貨が数枚こぼれ落ちる。その硬貨がドロドロとした黒い液体のように変質し、蛇のような鎖となってフェリックスの肉体を容赦なく縛り付け始めたのだ。
「団長!? うわああ、俺たちのゴールドが……っ!」
「身体の魔力が、無理やり吸い上げられていく……!」
悲鳴が連鎖する。フェリックスの率いる第三騎士団の兵士たち、そして第一騎士団の面々までもが、自身が所有する『ゴールド』から生えた黒い鎖に絡め取られ、その生命力を強制的に中央銀行の魔導心臓へと徴収され始めていた。ゴールドに依存していた大陸全土の地方都市でも、今頃これと同じ「生命の不渡り処分」が一斉に執行されているに違いなかった。
物理的な戦争のフェーズは完全に終わり、世界を均一な家畜に変える「絶対支配システム」が発動したのだ。
「くっ……、なんて理不尽なシステム(暴力)だ。他人の財産どころか、命の価値まで勝手に中央の帳簿で相殺しにくるかよ」
レオンは、苦痛に顔を歪めるフェリックスを庇いながら、鋭い視線で黒い鎖のエネルギー流速を分析していた。
エレオノーラが仕掛けたこの絶対経済結界は、市場の「負の感情(絶望)」をエネルギーにして肥大化している。ならば、この強制管理システムを内側からパンク(バースト)させて打ち破る方法は、ただ一つしかなかった。
敵の処理能力を遥かに超える、圧倒的な「正の価値」を市場に突入させ、中央銀行の魔導心臓の許容量を物理的に焼き切る。
レオンの視線が、自身のすぐ横で、理不尽な横暴に対して怒りに髪を逆立てているお嬢様へと向けられた。リーゼロッテの手には、ルード王国で検収したばかりの、世界一の魔力純度を誇る「最高級精霊ハチミツ」の入った極小の小瓶が、未だ固く握りしめられている。
「おい、リーゼロッテ」
「な、何よレオン! こんな時に、私の名前を呼び捨てにするなんて――」
「お嬢様」
レオンはリーゼロッテの前に膝をつき、かつて彼女の最高の右腕であった時と同じ、不敵で、かつ絶対の信頼を抱かせる微笑を浮かべた。
「その世界一高価なハチミツの価値、この俺に、全額投資してくれますか? ……中央のエリートどもが三百年かけて作った帳簿を、ローカルの甘みで完全に破産させてやりますよ」




