第12話:一〇〇%のバグ、あるいは為替の魔女の逆転帳簿
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黄金の魔導馬車から飛び出したリーゼロッテの大絶叫は、戦場を支配していた無慈悲な魔術の詠唱を、物理的に掻き消すほどの破壊力を持っていた。
頭上の幾何学的な巨大魔法陣から降り注ごうとしていた破壊の光が一瞬だけ揺らぎ、第一魔導騎士団の兵士たちの間に動揺が走る。最高権力者である総裁自らが、敵地であるはずのルード王国の国境線で、それも地元の伝統スイーツを守るために軍隊の前に立ち塞がっているのだ。そのあまりにも前代未聞な光景に、合理性を叩き込まれたエリート騎士たちも困惑を隠せなかった。
しかし、第一騎士団の総司令官『一〇〇%の総監』マクシミリアンだけは、そのモノクルの奥にある銀色の瞳を冷酷に細めただけだった。
彼は魔導戦車の上から一歩も動かず、手元の魔導端末へと指を滑らせ、機械的に状況を再計算していく。
「――総裁閣下。お忍びでのご光臨、心より歓迎いたします」
マクシミリアンの声は、ガラスを擦り合わせたように冷たく、戦場に響いた。
「しかし、今回のルード王国焦土化命令は、あなたの上位組織である『大陸同盟常任理事会』の絶対多数決によって可決された正規の軍事執行です。いくら最高金利の決定権を持つ総裁といえど、システムが下した『最適解』を個人的な嗜好――それも糖分の塊のために覆すことは、法的に不可能です。そこを退きなさい」
「な、何が法的よ! あの一生金勘定しかできない強欲なジジイどもの命令なんて、この私が発行するゴールドの信用力でいくらでも握り潰してあげるわ!」
リーゼロッテは小さな拳を振り上げ、地団駄を踏んだ。
「この国にはね、中央の生産ラインじゃ絶対に再現できない『究極の非効率(至高の味)』があるのよ! それを更地にするなんて、文化的な損失どころか、経済的な暴挙だわ!」
「価値なき例外は、全体最適のために排除される。それが同盟の基本原則です」
マクシミリアンは冷淡に告げ、再び右手を掲げた。
「全軍、詠唱再開。総裁閣下ごと、規格外の歪みをこの大陸から消去せよ」
無慈悲なカウントダウンが再開され、空の魔法陣が再び禍々しい赤色に染まっていく。魔力を使い果たし、地面に膝をついていたミュリンとクロエは、リーゼロッテの乱入という奇跡に一縷の望みを懸けたが、それすらも同盟の強固な「組織の論理」の前に圧殺されようとしていた。
誰もが破滅を確信した、その刹那だった。
2
国境の東側から、大地を割るような凄まじい地鳴りが響き渡り、もう一つの巨大な軍勢が乱入してきた。
それは、本隊を裏切ってレオン側に寝返った、フェリックス率いる第三魔導騎士団の一万の兵力だった。彼らはルード王国の防衛兵たちを護るようにして、第一騎士団の正面へと瞬時に展開し、重槍を構えて防御陣形を敷いた。
「――そこまでだ、マクシミリアン総司令官!」
フェリックスが馬上で叫び、重槍の先をかつての味方へと向けた。
「我々第三魔導騎士団は、これよりルード王国の防衛に就く! 同盟の奴隷として、自分たちの故郷(家族)を飢えさせるための戦争など、俺たちはこれ以上絶対に認めない!」
「ほう。第三騎士団、全軍での叛逆か」
マクシミリアンはモノクルを指で押し上げ、フェリックスを冷ややかに見下ろした。
「フェリックス副長。君の脳内計算能力は、ルードの非効率な感情論によって完全に汚染されたようだな。一万の軽装騎士で、我が第一騎士団の広域破壊魔術を防げると本気で思っているのか? 分母が小さすぎる。君たちの抵抗は、ただの犬死にという損失を生むだけだ」
「犬死にするのは、お前の方だ、マクシミリアン」
第三騎士団の列を割り、一頭の馬を駆って前へと進み出た男がいた。
草臥れた外套を羽織り、不敵な笑みを浮かべた元特級交渉人――レオン・ヴァルハイトである。彼はリーゼロッテの魔導馬車の横に並ぶと、馬から飛び降り、懐から一冊の黒い手帳を取り出した。
「レオン……! 遅いのよ、このバカ! 私がどれだけ身体を張って時間を稼いだと思っているのよ!」
リーゼロッテが真っ赤な顔でレオンの腕をポカポカと叩く。
「悪かったよ、お嬢様。だが、最高のタイミングで『最終決済の書類』が揃った」
レオンはリーゼロッテの頭を軽く撫でると、魔導戦車の上で傲然と構えるマクシミリアンへと鋭い視線を突きつけた。
「マクシミリアン。お前の一〇〇%の予測には、最初から致命的なバグが混入している。お前はルード王国を物理的に消去すれば、同盟の経済的優位が保たれると計算しているようだが――たった今、お前の足元の経済システムそのものが、俺たちの手によって『王手』をかけられた」
3
「ハッ、虚張声勢を」
マクシミリアンは鼻で笑った。
「我が第一騎士団の魔導端末は、同盟全域の市場データを常に監視している。ルード王国の『精霊手形』の流通シェアは、公式の経済封鎖によって限界を迎えているはずだ。一割という総裁の条件には、わずかに届いていない」
「いいや、届いたさ。……トマス、全画面をジャックしろ!」
レオンが叫んだ瞬間、戦場に展開されていたすべての魔導スクリーンが激しく明滅し、トマスのドヤ顔と共に、最新の経済インジケーターが一斉に映し出された。
そこ示されていた『精霊手形』の流通シェアの数字は――【一〇・五%】。
リーゼロッテが突きつけた「一割」の絶対条件を、完全に突破していた。
「な……、バカな!? 国境は完全に封鎖したはずだ! どこからそれほどの流動性が供給された!?」
マクシミリアンの表情が、初めて驚愕へと歪んだ。手元の端末の数式が、一斉にエラーを示す赤色へと染まっていく。
「お前たちは国境という『点』しか見ていなかったが、俺たちは同盟全域の『敗者(ローカル職人)』という網の目を繋いでいたのさ」
レオンは同盟経済を奈落へと突き落とすロジックを滔々と語り始めた。
エレオノーラが発令した「物理的経済封鎖」は、同盟領内で精霊手形を使用していた数千万人の地方職人たちを激怒させた。彼らは中央への不信感を爆発させ、手持ちの『ゴールド』を完全にボイコットし、闇市場を通じてルード王国の『精霊手形』を決済通貨として爆発的に流通させ始めたのだ。そして先ほど、第三騎士団の一万人がレオン側に寝返ったことで、彼らの実家である複数の地方都市が、一斉に「同盟中央銀行からの離脱と、精霊手形経済圏への完全移行」を宣言した。
「つまり、精霊手形はたった今、同盟の内部構造の一部として完全に噛み合ってしまった」
レオンは黒い手帳を掲げ、死告宣告のように告げた。
「マクシミリアン、お前が今からこのルード王国を撃てば、手形の発行元が消滅し、市場の一割を占める精霊手形経済圏は一瞬で『大連鎖倒産』を起こす。そうなれば、同盟全域の地方都市の物流は完全に麻痺し、連鎖的に中央のメガ・ギルドや資本家たちの資産もすべて不渡り(デフォルト)になる。お前がルード王国に放とうとしているその魔術は、ルードを滅ぼす前に、お前たちの最愛の『大陸同盟』を文字通りの世界大恐慌で破滅させる自爆スイッチなんだよ」
ピピッ、ピピッ、ピピッ――!!!
マクシミリアンの持つ魔導端末から、鼓膜を突き刺すようなけたたましい警告音が鳴り響いた。画面に表示される同盟の基軸通貨『ゴールド』の価値が、滝のような勢いで暴落を始めている。ルード王国を攻撃しようとする姿勢そのものが、市場にとって最大の「破滅リスク」として検知されたのだ。
「お前が信じる『全体最適』のシステムそのものが、お前に『攻撃を中止せよ』と悲鳴を上げているぞ、マクシミリアン。さあ、その引き金を引いてみろ。お前の最愛の数字が、今ここで綺麗にゼロになって消え失せるからな」
レオンの冷徹な交渉術の前に、三万の軍勢を率いる総司令官が、完全に指先を凍りつかせた。
勝負は決した。経済というルールを兵器に変えたレオンの策略が、圧倒的な武力を誇る魔導騎士団を、内側のシステムから完全に機能不全へと追い込んだのだ。
マクシミリアンが屈辱にまみれ、掲げた右手を震わせながら下ろそうとした、まさにその時――。
ズズズズズズズズン……ッ!!!
戦場となった国境の遥か後方、同盟の本部がある中央の方向から、天を突くほどの巨大な「黒い魔力の光柱」が立ち上り、大地を激しく揺るがした。それを見たリーゼロッテの顔から、一瞬で血の気が引いていく。
「嘘……、あの方角は、中央銀行の『地下大金庫』……!? 何が起きているの……?」
市場の勝利の瞬間に訪れた、世界そのものが変質するような不気味な地鳴り。レオンたちの完全勝利を阻むように、同盟の闇の奥底から、さらなる恐るべき「真の絶望」が頭をもたげようとしていた。




