第11話:反逆の経済交渉、あるいは規格外のオーバーフロー
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東の街道を覆う朝靄の中、張り詰めた沈黙が流れていた。
馬上で重槍を構える少年騎士フェリックスの背後には、同盟が誇る第三魔導騎士団の精鋭一万が、黒々とした鉄の軍勢となって控えている。対するは、草臥れた外套のポケットに手を突っ込み、ただ一人で立っている元特級交渉人のレオン。
一触即発の構図。しかし、フェリックスの手元にある魔導通信端末は、先ほどからひっきりなしに明滅し、故郷からの切迫した音声メッセージを再生し続けていた。
『――フェリックス、聞こえるかい!? 大変だよ、中央銀行の役人どもが、作物の買い叩きに抗議した村長を連れて行っちまったんだ。もう駄目だと思ったその時、トマスっていう大商人のギルドがやってきてね。ルード王国の「精霊手形」ってのを配ってくれたんだ。これが村で大流行してさ、中央の激安ジャガイモに負けない値段で、うちの伝統野菜が飛ぶように売れてるんだよ! これで今月の税金も払える、みんな救われたんだ!』
端末から流れる父親の弾んだ声が、街道の静寂に響き渡る。
フェリックスの顔から、みるみるうちに血の気が引いていった。彼が握る重槍の先が、微かに震える。
「……どういう、ことだ……。ルード王国は、同盟の秩序を乱す悪の国家じゃなかったのか? 俺たちは、世界の最適化のために、この反逆の地を平定しにきたはずだろ……!」
「物事はそう単純じゃないさ、フェリックス」
レオンは静かに一歩を踏み出し、懐から偽造不可能な緑の輝きを放つ『精霊手形』を提示した。
「同盟中央の理事会(老人たち)が言う『世界の最適化』とは、自分たちの利益を最大化するためのシステムに過ぎない。その結果、お前の故郷のような地方の農村が、どれだけ非効率として切り捨てられ、踏みにじられてきたか、お前自身が一番よく知っているはずだ。お前たちが今から滅ぼそうとしているこのルード王国は、お前の家族を救っているその『精霊手形』の発行元(心臓部)なんだよ」
レオンの説明は、フェリックスの脳内に構築されていた「同盟の正義」という欺瞞を、根底から論理的に解体していった。レオンは現在のマクロ経済の構造と、中央銀行が引き起こしている地方搾取のメカニズムを、冷徹な数字を交えて突きつける。
「お前たちがこの国を焦土にすれば、市場の一割にまで広がった精霊手形ネットワークは完全に崩壊する。そうなれば、お前の実家の村は、再び中央の奴隷に逆戻りだ。……さあ、フェリックス。お前はどちらの未来に『投資』する? 家族を飢えさせる中央の命令か、それとも、地方のプライドを守る俺たちとの取引か」
「俺は……、俺は……っ!」
フェリックスは激しい葛藤の末、ついに重槍を地面に突き立てた。彼の瞳には、中央のエリートたちに対する、長年蓄積された明確な反逆の炎が灯っていた。
「第三騎士団、全軍……進軍を停止せよ! ……俺たちは、自分の家族を殺すための戦争など、絶対にしない!」
東の街道に、騎士たちの地鳴り劇な歓声が響き渡った。彼らもまた、中央の横暴に苦しんできた地方出身の若者たちだったのだ。レオンの交渉は、戦わずして一万の軍勢を同盟の戦力から切り離すことに成功した。
2
一方その頃、北の国境は、文字通りの『魔導の地獄』と化していた。
巨大な生体兵器、第二魔導騎士団長ウーヴェの周囲には、物理的な「標準化」の術式が強固な結界となって展開され、ルード王国の精霊力を冷酷に消去し続けていた。対抗するミュリンとクロエは、トマスが全財産を投じて運び込んだ超巨大精霊炉の前に陣取っていた。
炉の内部では、クロエが提供した最高級の『精霊ハチミツ』と『精霊イチゴ』が、青白い炎となって爆発的なエネルギーを放っている。職人の手技が産んだ極限の非効率、そのマナの濃度は、通常の魔導の常識を遥かに超越していた。
「無駄な抵抗を。……環境レギュレーション、依然として同盟規格が優位。例外の排除を継続する」
ウーヴェの機械的な声と共に、白銀の装甲から不可視の圧力が放たれ、精霊炉の炎を力ずくで押さえつけようとする。周囲の空間が、システムによって無理やり均一な灰色へと塗り替えられていく。
「押し潰されてたまるかぁぁぁぁぁッ!!」
ミュリンが顔を真っ赤にし、全身の魔力を込めて超巨大ハンマーを精霊炉の炉壁へと叩きつけた。
ガンッ!! という鼓膜を破らんばかりの衝撃音が轟く。
次の瞬間、炉の中に蓄積されていた「糖分とマナの超高濃度熱流」が、ウーヴェの展開するレギュレーション結界へと一気に噴出した。それは、中央の大量生産ラインでは決して再現できない、土地の個性が放つ究極の輝きだった。
ビキ、ビキビキビキッ――。
ウーヴェの装甲から、異様な警告音が鳴り響いた。
彼の搭載している魔導触媒は、あらゆる魔術を「標準化」して処理するシステムだが、ミュリンたちが放ったマナの濃度は、あらかじめ設定されていたシステムの処理許容量を遥かに超越していた。
『――警告。環境マナ濃度が許容値を突破。処理回路が飽和しています。システム、オーバーフローを感知』
「な……、私の、システムが……歪みを、修正、できない……?」
ウーヴェの声に、初めて人間らしい動揺が混じる。
超高濃度の精霊力が、同盟の理不尽なルールを内側から焼き切るように暴れ狂い、ついにウーヴェの白銀の装甲が、過負荷による激しい火花を散らしてその場に膝をついた。標準化の結界が霧散し、国境に再びルード王国の豊かな緑と精霊の息吹が戻ってくる。
「やった……! やったわ、ミュリン! 中央の化け物を止めたわ!」
クロエが歓喜の声を上げ、ミュリンと強く抱き合った。職人の意地が、同盟の最新鋭兵器を完全に沈黙させた瞬間だった。
3
しかし、勝利の余韻に浸る時間は、彼女たちには一秒も残されていなかった。
地平線の向こうから、ウーヴェの敗北など最初から計算に組み込んでいたかのように、さらに巨大で、完璧に整列された鉄紺の軍勢が押し寄せてきた。――第一魔導騎士団、本隊。総勢二万。
その中央に位置する魔導戦車の上で、銀髪モノクルの総司令官マクシミリアンが、冷淡な目で国境の様子を見つめていた。
「第二騎士団長ウーヴェの停止を確認。想定内のエラーだな。職人の突発的な高出力など、持続性のない一過性のノイズに過ぎん」
マクシミリアンは手元の魔導端末を冷酷に操作し、第一騎士団の全兵士へと命令を下した。
「全軍、集団魔導陣『一〇〇%の平定』を展開。個々の武勇など、数の前には無意味。これよりルード王国の全土を、一寸の誤差もなく焦土へと最適化する」
二万の兵士が一斉に詠唱を始めると、王都の空全体を覆い尽くすほどの、巨大で禍々しい幾何学的な魔法陣が展開された。そこから降り注ごうとしているのは、国家一つを物理的に消滅させるための、無慈悲な魔術の豪雨。
ウーヴェを倒して魔力を使い果たしたミュリンとクロエには、もうそれを防ぐ力は残されていない。東の街道から急行しているレオンとフェリックスの軍勢も、この距離では間に合わない。
「ここまで、なの……?」
クロエが頭上の巨大な魔法陣を見上げ、絶望に瞳を揺らす。
マクシミリアンの冷徹な指先が、攻撃発動のスイッチへと向けられた、まさにその刹那――。
王都の方向から、空間を切り裂くような爆音が響き渡り、一台の「超豪華な金ピカの魔導馬車」が、凄まじいスピードで両軍の真ん中へと突っ込んできた。
馬車の扉が勢いよく開き、中からゴスロリ衣装を翻して飛び出してきたのは、息を荒くした合法ロリ総裁、リーゼロッテだった。
「――ストォォォォォォォォォォップ!!! マクシミリアン、その無駄な最大出力の魔術を今すぐ停止しなさい! この私の最高級イチゴハチミツタルトの生産ライン(ルード王国)を、これ以上一粒でも傷つけることは、大陸中央銀行総裁の権限において絶対に許さないわよ!!」
戦場全体に響き渡る、世界最高権力者のあまりにも私情にまみれた大絶叫。
完璧な数式で戦争を支配しようとするマクシミリアンの前に、最大の不確定要素が乱入したことで、戦局は誰も予測できない超展開へと突入していく――。




