34
銀子の言葉をよく聞き取れなかった蒼司は銀子に聞き直すが、銀子は再び誠司に目をやり楽しそうに笑った。
「まあ今はまだ良いさ」
銀子は目を細め、懐かしそうな目で蒼司と誠司を見た。
銀子は昔を思い出す。初めて出逢った蒼司はまだ五歳ほどであったにも関わらず、黒く闇に沈んだような瞳をしていた。すでに周りから疎まれていることに気付いていた敏い蒼司は、誰にも心を開かないような子供だった。それが酷く哀しく映る。あぁ、こいつはなにかが欠けて生まれてしまったのだな、と。
『お前は半分生きていないね』そんな言葉が口を付いた。それは半分死んでいるも同然。それは蒼司にとって大事なものが半分欠けていることに気付いたから。
それからは蒼司から目が離せなくなった。今まで銀子は人間に興味を持ったことなどない。ただひとりを除いて――――
千年以上生きるあやかしとして、人間など飽きるほど見て来た。だからこそ興味がわかない。助けることも襲うこともしようとは思わなかった。関わりなど必要ない。人間同士で争っている姿も、罵り合っている姿も多く見て来た。人間ほど面倒な生き物はいないだろう。そう思って生きて来た。しかし、蒼司は傍で見守りたい、そう思ってしまった。その理由に銀子はもう自分で気付いていた。クスッと笑った銀子は幼い蒼司の尻を自身の尻尾でピシッと叩いたのだった。
――――お銀よ、いつか必ずまた会おう
あいつが勝手に名付けた名を再び聞くことになろうとは、と銀子はクスクスと喉を鳴らした。今度こそ約束は守ってもらうよ――そう銀子は微笑んだ。
「で、どうする? まあ僕はなんの力もないから、みんなに頼るだけだし説得力ないけどね」
蒼司は苦笑しながら言った。現に誠司を勧誘したところで、蒼司には祓う力の使い方などを教えてやることも出来ない。彌勒家にいた頃の訓練内容自体は覚えていたにしろ、力をどう発動させるのかなど一切分からないのだ。誠司が祓いの力を完璧に使いこなすには、やはり誰か師匠のような存在が必要になってくるだろう。そう思うと力を上手く使いこなせないのならば彌勒堂にいる理由もないのではないか、と蒼司は思案する。
「あんたは話し掛けていたじゃないか」
「?」
誠司は顔を逸らしながら、ぼそりと言った。
「普通あやかしなんかに心を寄せないだろ。俺は特に今までこの視える力のせいでろくでもない人生だった。でもあんたは違うだろ。視えているからといってあやかしたちを嫌うどころか受け入れて、話を聞いて、仲良くなってやがる。そんなこと俺には出来ない。それはあんたの凄いところなんじゃねぇの? 知らねぇけど」
ぼそぼそと若干照れながらも言葉にする誠司に、蒼司は少し驚き目を見開いたが、すぐさまふわりと微笑んだ。
「フフッ、ありがとう。そんなことを言ってくれた人は初めてだよ」
「フン」
嬉しそうに蒼司は誠司の顔を覗き込むが、ぐりんと誠司は大きく顔を逸らす。その横顔は照れているのが分かるほど、耳が赤く染まっていた。
同情されることはあった。蒼司のことを理解しようとしてくれるひともいた。しかし、そんなことを蒼司は望んでいなかった。自分自身のことを理解していたし、それ以上のことも求めていなかった。だからいつも戸惑っていた。誠司は同情でも理解をしようとしているのでもない。ただ蒼司のしたことを『褒めた』だけだ。なんの力もない蒼司にとって、『あやかしと対話をする』ということは特別なことではない。特別なことをしている訳ではないのに、誠司はその行為を『褒めた』。それは蒼司にしてみると初めてのことだと気付いた。
今まで蒼司は何事も出来ることが当たり前。出来ないなんてことは許されない。だからこそ『出来ない』蒼司は不要だった。それは自他ともに認めていたことだった。そんな不要な蒼司が初めて『褒められた』のだ。そのことがこんなに嬉しいことだとは、と蒼司は今までにない感情が自身の内に湧き立つのを感じる。今まで自分という人間が認めてもらえなかったことが、無意識にも心の棘となっていたようだ、と改めて気付かされたのだった。
蒼司はふわりと微笑み、やはり優しい子だな、と嬉しさが込み上げるのと同時に、誠司に感じるなにやら懐かしさとで、どうにも気持ちがふわふわと心地好くなるのだった。
「さーて、じゃあ誠司はこれから彌勒堂の一員てことだな! もう帰ろうぜ、眠い」
ガシッと誠司の首に腕を絡ませた堀井は引き摺るように誠司を引っ張った。蒼司たちは笑いながらふたりに続く。
「なんでいきなり名前呼びなんだよ」
「おー、俺のことは「堀井さん」で良いぞ! お前たちより大人だからな!」
「おっさんてことだろ……」
ぼそっと呟いた誠司の首を思い切り締め上げた堀井だった。
蒼司たちはマンションへと戻り、珠子は不安だったらしく、蒼司たちの姿を見ると駆け寄ってきた。珠子からの話では田中は倒れていた男を部屋へと連れていき、その後目を覚ました男を見届けたあと帰って行ったそうだ。
堀井も大きな欠伸をしながら手を振り事務所へと帰って行った。すっかりと夜が明け始め、闇だった空は薄紫のような色を放ち出し、朝陽が昇り始める。暗闇だった世界は朝靄とともに淡く地平線が輝き出す。夜空ではいまだに星が見えていたが、次第に姿を隠し出す。朝焼けの美しい景色が広がり始めた。
マンションを退去したあとは、ビジネスホテルやらネットカフェやらと転々としていた誠司の荷物は大き目のリュックに詰められた必要最低限のものだけだった。家具なども揃える前にマンションを退去していたのだ。
誠司はリュックに入った荷物を持ち、おずおずと蒼司のあとに続いて歩いた。まだバスの始発時間ではない。ひんやりとした空気が漂うなか、のんびりと彌勒堂まで歩いて帰る。朝靄の漂うなか、音もなく静かな道は夜中に起こった騒動などまるでなかったかのよう。きなこと珠子は楽しそうに先導し、蒼司と誠司の後ろから見守るように銀子がゆったりと歩いていた。
「みんな、ただいまー」
歩いているうちにすっかりと陽も昇り、次第に気温も上がっていく。蝉の声が響くようになり、夏の暑さが戻ってくる。
彌勒堂のなかはひんやりと冷たい空気がいまだ流れている。土間ではトキが出迎えた。
『おかえりなさい。今回はなにやらあったようですな』
トキの勘が当たったことを思い出した蒼司は苦笑しつつ、誠司に振り向いた。誠司は蒼司に続き彌勒堂のなかへと足を踏み入れるが、そわそわと落ち着きなく、周りに視線を泳がせる。
「こちらはトキさん。振り子時計の付喪神だよ」
「振り子時計……」
「そ、あそこにある振り子時計」
蒼司が指差した先には土間の隅に置かれた様々な骨董品らしきもの。確かにそのなかに振り子時計も立てかけられていた。薄暗い土間の隅ではなにやらこそこそとこちらを伺い見るような視線を感じるが、しかし姿は視えない。じっと見詰めているつもりが、眼光が鋭いため睨むように見詰める誠司の様子に、蒼司は思わず噴き出しそうになりながらもグッと我慢をする。散々睨んだ挙句、結局のところ存在を確認出来なかった誠司は気のせいか、と再び蒼司のほうへと視線を戻した。
「銀子さんはもう分かっていると思うけど、九尾の狐だね。きなこさんは猫又。そして珠子さんは座敷童だよ。他にもいるんだけどね、みんな驚いちゃったのか、出て来てくれないねぇ」
「まだいるのか……一体どれだけのあやかしがいるんだ……」
緊張していた面持ちから、若干引き攣った顔となった誠司は今まで『あやかしと共に暮らす』という発想がなかったため、どうにも身体が強張る。そのことに気付いたのか蒼司はにこりとしながら話し出す。




