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八百万妖貸し屋 彌勒堂カルテット  作者: 樹結理(きゆり)
第一部 邂逅

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 子供の頃からひとには視えないものが視えた。それは化け物のようなもの、死んだひとや動物の霊、はっきりとした姿すら保てないもの。そんな訳の分からないものたちが常に男の周りに存在した。

 子供の頃はそれがなになのかが分からず、ひたすら怖い思いをしていた。両親に話しても信じてもらえず、友達に話しても嘘つき呼ばわりをされる日々。最初は必死に訴え、信じてもらおうと何度も話した。しかし、誰も男の言葉を信じることはなかった。ひとりで怖さに耐え、怯えるとその化け物のようなものたちは喜ぶことを知り、それらの存在を必死に気付かないふりをしていた。


 しかし、ある日、男の周りにいた怪しげなものたちはからかうように男を突き飛ばした。それは直接触れた訳ではない。怪しげなものたちは男の周りにいた同級生を操るが如く身体を動かし、男を突き飛ばさせたのだ。男は驚き、同級生の背後にいた怪しげなものを睨み、殴りかかった。その拳は同級生の顔面へと当たり鼻を折った。同級生は大怪我を負い、男は教師に咎められ、両親には激しく叱責された。いくら男が訴えようとも、誰も男の言葉を信じるものなどいなかった。

 それ以来、男は誰にも心を開くことはなくなった。相も変わらず周りには怪しげなものたちが纏わり付き、耳障りな言葉を投げ掛けてくる。ひとりで対処しようと行動しているところを目撃されると、男は変人として噂となった。噂を聞いて絡んでくる人間を片っ端から殴り飛ばし喧嘩の日々だった。

 幼い内からそんな荒れた生活を続けていた男のことを見て見ぬふりをしていた両親は、男が邪魔となったのか、祖母の元へと追い出した。父親方の祖母は田舎に住み、畑と川と緑豊かな自然に囲まれた生活。都会とは違い空気が澄んでいるせいなのか、圧倒的に怪しいものと出逢う頻度が少なくなった。

 荒れた心の男は始めこそ祖母にも反抗していたが、次第に癒されていく自分に気付いた。祖母は男と同様に周りに潜む、怪しいものたちの気配を感じることが出来たからだ。祖母は男の言葉を信じた。祖母の気質のおかげなのか、祖母の周りにいる怪しいものたちは気性の穏やかなものが多かった。そのおかげで男は怪しいものたちに抱いていた嫌悪が少し和らいだ。

 次第に男は祖母に心を開くようになり、転校した学校ではなんとか無事に卒業することが出来た。両親は一度も男に会いに来ることはなかったが、それでも男は祖母と暮らしているだけで幸せだと思えるようになっていた。しかし、それも長くは続かなかった。

 大人となった男はやはり怪しげなものたちのせいで、どこの職場でも上手く行かず、職を転々としていた。そんなときに祖母が亡くなったのだ。病に侵された祖母は入退院を繰り返していたが、男が何度目かの職を失ったとき、祖母は入院先で亡くなった。

 それからはなぜか祖母の家でも気性の荒い怪しげなものたちが増え出した。祖母と暮らした家で孤独となり、男は耐えられなくなった。今まで祖母に守られていたのだと気付いた。男は再び心を開くことの出来る相手がいなくなり、ひとりになった――


 男は祖母が亡くなってからというもの、住む場所も仕事も転々とし、どこにも居つくことが出来なかった。どこへ行っても怪しげなものたちに絡まれる日々。そのせいで周りには怪訝な目を向けられ、職を失う日々。耐えられなくなった男は祖母と住んでいた田舎から大きな街へと住む場所を変えていき、そして蒼司たちのいるこの街まで流れて来たのだ。

 しかし、それが良くなかったのか、男の周りの怪しげなものたちはさらに増え、あるマンションに入居したかと思うと、今まで感じたことがないような、重苦しい気配を放つ黒い影が男の周りに漂い始めた。そこではさらに黒い影が力を増し始め、男の耳元でなにやら奇妙な声を発するようになっていった。

 常に怨み辛みのような言葉を投げ掛けられるようになり、男は疲弊していった。マンションを退去したところで、黒い影が男から離れることはないどころか、ますます大きく膨れ上がり、呪いのような言葉ははっきりと聞き取れるほどの言葉となっていった。


 男はもう限界が近かった――――


 真夜中にふらふらと歩いていた。もういっそこのままこの黒い影に呪い殺されてしまえば楽になるのかもしれない、とすら思うようになっていた。それだけ怪しげなものたちに絡まれ続けた日々は男の心を蝕んでいたのだった。

 黒い影に飲み込まれそうなほどの巨大な気配に取り囲まれ、意識が朦朧とするなか、なにやら悲鳴のような声が聞こえた気がした。しかし、男はもうそれすら理解が出来ないほど、黒い影へと意識が同調しようとしていた。


「やめときな、そんなところへ行ったら戻って来られなくなるよ」


 朦朧とした意識のなか、聞き覚えのある声が耳に届く。それはしっとりと心地好く耳に馴染む声。この世で最も嫌いなあやかしと呼ばれる存在だったはず。それなのに心地好く聞こえる理由が男には分からない。ぼんやりとしたまま顔を上げた男はその声の主を探した。深夜の公園は静まり返り、街灯の灯りだけが影を落とす。男が彷徨わせた視線の先には、ふわりと上空から舞い降りる銀子の姿があった。銀子は長い銀髪を靡かせ、音もなく軽やかに地上へと降り立った。


「お前さんが今行こうとしている場所はこの世ならざる場所。現世(うつしよ)とは切り離された常世(とこよ)の世界。あやかしなんぞに魅入られ、一度そちらに渡っちまうと二度と現世には戻ることは叶わない。まああやかしの私が言うのもなんだがね」


 そう言いながら苦笑する銀子。現に銀子は蒼司の傍にいる。端から見ればあやかしに魅入られているように見えるだろう。しかし、銀子は蒼司をあやかしの世界に連れて行こうと思ったことなど一度もない。蒼司も銀子を使役(しえき)している訳ではない。

 陰陽師にはあやかしを式神(しきがみ)として使役する力がある。しかし、それは蒼司には叶わない力だった。いくらあやかしと仲良くなろうとも、心を通わせようとも、蒼司にはあやかしたちを使役する力などないのだ。そんな蒼司なのに彌勒堂にはあやかしたちが多くいる。それは使役するでもされるでもない。あやかしたちが蒼司の存在を認め、そして場を与えてくれる蒼司に恩を感じ、共にいるだけなのだ。現に蒼司はあやかしたちに彌勒堂という居場所は与えているが、いつでも出て行っても良いと伝えてある。


 銀子はちらりと背後の蒼司を見たが、その目はなんだか優し気だった。まるで大人が子供を見守るようなそんな目を向ける。蒼司はそんな銀子の内心を知る由もなかったが、なにやら自分に固執している、ということだけは分かっていた。それを蒼司は敢えて聞くことはなかった。銀子が自身の心の内を蒼司に伝えることもなかった。お互いが理由も聞かず、伝えず、ただ傍にいるだけだった。


『オマエハヒトリダ。ダレニモウケイレラレナイ。オマエニイバショハナイ。オマエガススムベキハ……『シ』ダケダ』


 男の周りに蠢く黒い影は、男を覆い尽くすように纏わり付き、耳元で囁くように呪いの言葉を浴びせ続ける。


「俺には……もう居場所がない……」


 男は脱力し、生気が抜けていくようだった――――


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