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八百万妖貸し屋 彌勒堂カルテット  作者: 樹結理(きゆり)
第一部 邂逅

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 銀子は男を真っ直ぐに見据えた。その目は細められ、纏わり付いている黒い影に視線を動かす。巨大な黒い影は今にも男を飲み込んでしまいそうなほど、大きく広がり男を包む。


『オマエガニクイ……オマエナドイラヌ……』


 纏わり付く黒い影から発せられる呪いの言葉は銀子や蒼司にも届いた。それはひとの声とは明らかに違う。言葉と言っていいものかと疑いたくなるような、酷く耳障りな音。堀井ですらもその声が聞こえる。堀井は逃げて来た若い男を庇いつつも、自身も震え出しそうなほど身体が強張っていた。いつも妖艶に微笑み、余裕のある表情の銀子からは考えられないほどの妖気らしきものが漂っているのが分かるからだ。黒い影の悍ましい気配と、銀子の怒りとも思える強い妖気がこの場の空気を張り詰めさせていた。


『姐さん……あれって……』


 きなこが再び風を巻き上げながら大きくなると、蒼司を庇うように猫又の姿となり空から舞い降りた。蒼司よりも数歩先に立つ銀子にきなこは問う。


「あの子……昨日の昼間、うちに来た子だよね」


 銀子が答えるよりも蒼司が言葉にした。今まさに目の前にいる黒い影に囚われそうになっている男は今回の依頼が来る前に、彌勒堂へと銀子が連れて来た男だ。


「昨日はなにも憑いていなかったのに……」


 蒼司は怪訝な顔をしながら言う。昨日彌勒堂にいたときには男の周りにはなにもいなかった。これほど強い気配を放つ存在が近くにあれば、昨日会った時点で否が応でも気付くはずだ。強い気配を放つあやかしだろうと、たった一日の間にひとに憑き、その憑代を弱らせるとは考えにくい。本体がいるのならまだそれも可能かもしれないが、今目の前にいる黒い影は実体がないのだ。それなのにたった一日でこの男をこれほど弱らせられるとは思えない。しかも本当に一日で憑いたのだとしても恐らくその人間はすぐさま命を失う可能性もある。それなのにかなり危ない状況とは言え、この男はいまだ正気を保っている。


「あのときは私の存在に警戒してあの男から離れていたんだろうね」


 あの男が去ったとき、銀子ときなこはあの男の背後に黒い影が追いかけるように憑いていたことを思い出す。まるで銀子の存在を知っているかのように黒い影は銀子を避けた。銀子の気配が届かなくなってから再び現れたのだ。その事実に銀子は口元を着物の袖で隠しながら不敵に笑った。


小賢(こざか)しい」


 見下すように黒い影を見た銀子は口元を隠していた手を大きく振り上げ、着物の袖が揺らいだ。それと同時に銀子の周りにはつむじ風のような風が舞い、そして銀子の姿は煽られた土埃で見えなくなったかと思うとそこには巨大な銀狐(ぎんぎつね)が現れた。灯りを反射しキラキラと輝く銀色の毛皮。金色の目は変わらず宝石のように輝く。ふわりと両脚を付いた銀狐の尾は九つに分かれていた。大きく扇のように広げられた尻尾は街灯の灯りを反射しているのかキラキラと輝いている。


「⁉」


 堀井は驚愕の顔となり、言葉にならぬ言葉を発していた。


「お、あ、え……ね、姐さん……きゅ、九尾(きゅうび)の狐だったのか……」


 蒼司は少し振り向くと、口元に人差し指を当ていたずらっ子のように微笑んだ。


「内緒にしておいてくださいね」


 堀井の背後に庇われるように立つ若い男は驚愕の顔のまま激しく頷き、堀井も同様に驚愕の表情ではあったが、こんな突拍子もない話、誰かに言ったところで信じる訳がないだろう、と苦笑した。


『オマエ……オマエハ……』


 本来の姿となった銀子に気付いたのか、黒い影はまるで意識ある生物のように、こちらを見た。『見た』というには無理がある。顔などはない。身体がある訳でも手足がある訳でもない。しかし、それでも『なにかに見られている』という感覚。堀井は強張り、蒼司はいつになく鋭い目で黒い影を見据えていた。


『オマエ……オマエタチ……ユルサナイ……コンナメニアワセタオマエタチガマダイキテイル……アァ、ニクイ……ニクイ……アイツノニオイガスル……』


「あいつの匂い?」


 あいつとは一体誰のことだ、と蒼司は怪訝な顔をする。明らかに銀子を見てからこの黒い影の発する言葉が変わった。ぼんやりとした怨み辛みのような言葉を発していたかと思っていたが、銀子の存在に気付いた途端、はっきりとした言葉を発し出す。


『オマエタチノセイデェェ‼』


「⁉」


 まるで爆発するように黒い影が弾けた。この場にいる全員が驚愕の顔となり、銀子は大きく跳躍し、きなこは蒼司の前へと躍り出る。

 ふわりと浮かんだかと思った銀子は、今までになくとてつもないスピードで落下していく。大きく口を開きそこには鋭い牙が見える。落下と共に鋭い爪をも伸ばし、唸り声を上げ黒い影を引き裂く。しかし、黒い影は一度霧散したかと思うとすぐさま再び集まり出す。

 銀子は首を大きく振り上げ、四肢(しし)を振るい、尻尾をも激しく振るってはいるが、その黒い影は一向に変化はない。それどころか銀子の周りを大きく覆い出す黒い影。


「銀子さん‼」


 蒼司はきなこの前へと足を踏み出す。きなこは慌ててそれを止めようとするが、蒼司は下がろうとはしない。


『蒼司は近付くな‼』


 銀子は狐の姿のまま叫ぶ。蒼司が傍に行ったところで役には立たない。そんなことは蒼司自身嫌と言うほど分かっている。しかし、蒼司はいつもあやかしたちに守ってもらうしかない自分が嫌だった。自分にそんな価値はない。あやかしたちと関わることで万が一にも死に繋がったとしても仕方ないとさえ思っている。彌勒家にいたときからいつも傍にいてくれたあやかしたち。銀子はもう何年傍にいるだろう。幼い日々を見守ってくれていたのが銀子だった。恐らく両親よりも銀子のほうが蒼司と共にいることが多かったはずだ。彌勒堂に住むようになってからもそうだった。銀子は常に傍にいる。その理由は分からなかったが、銀子が蒼司に向ける目が懐かしいものでも見るような、慈しむようなそんな目をしていることに蒼司は気付いていた。なにか理由があるのだろうということは分かっていたが、敢えてそれを聞くことはなかった。理由があろうとなかろうと、蒼司にとっても銀子はなぜか離れがたい存在でもあったからだ。

 彌勒堂に住み着くあやかしたちもそうだ。蒼司には人間と共に過ごすよりも、あやかしと共に過ごすことのほうが心地好くなっていた。そんなあやかしたちにいつも守られてばかり、助けられてばかりなことがいつも心の隅に引っ掛かっていた。

 掴みどころのない性格だろうとなにも考えていない訳ではない。ひと並みに悩むことだってある。それが顔や態度に出ないだけだ。そんな蒼司の一見するとよく分からない人間性を銀子もきなこも受け入れてくれていた。それが蒼司にはとても大事なことだったのだ。


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