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「おい、それってもしその以前住んでいたというそいつが、なにかしら黒い影に関係しているなら、この男が憑かれる原因になった可能性もあるんじゃないのか?」
堀井は蒼司の肩を掴み、眉間に皺を寄せながら聞く。蒼司は堀井のほうを見るでもなく、顎に手をやり考え込んだ。銀子もなにやら怪訝な顔だ。きなこも心配そうに見上げている。そんなとき珠子が蒼司の着物を掴んで引っ張った。
『ソージ、なんだか付喪神たちが騒いでる……』
若干怯えるような表情で珠子は蒼司を見上げていた。
「付喪神が?」
『うん。ここからじゃはっきりとは分からないけど、なんだか怯えているような……』
珠子はマンションを見上げながら言い、蒼司も視線をマンションへと移した。その瞬間、どこからか悲鳴のような声が聞こえる。
――――うわぁぁぁぁ‼
「なんだ⁉」
堀井が叫んだと同時に蒼司は声が聞こえたほうへと走り出した。
「珠子さんはその男のひとと田中さんの傍にいて!」
珠子に向かいそれだけ叫ぶと蒼司は振り向きもせずに一気に駆ける。銀子ときなこはそんな蒼司の後を追うように軽やかに跳躍し、まるで空を駆けているかのように蒼司に続く。堀井は一瞬唖然としたが、ハッと我に返り、田中に男を任せ自身は蒼司たちの後を追った。
蒼司は声の主を探すために、ビルの合間を駆け抜けて行く。着流しということを忘れそうな程素早く駆ける蒼司に、普段のんびりしてそうなくせに、と堀井は苦笑する。
ビルの合間を抜け、街灯の灯りも乏しい場所へと抜けて行く蒼司。そこにはこの街のなかで一番広い公園があった。公園の入り口を通り抜け、広い遊歩道は中央の噴水広場へと繋がる。夜の公園は暗く鎮まり返り、街灯の灯りだけが頼りだ。噴水広場は中央に大きな噴水があり、それを囲むように遊歩道が円で繋がりベンチが並ぶ。そこにはひと影などはなく、蒼司は辺りをきょろきょろと見回す。遊歩道を囲むように並ぶ木々の隙間から道路の灯りが見えたが、そちらへと繋がる道にひと影らしきものが見える。誰かがこちらに向かって走って来ているのだ。街灯の灯りだけではそれが男なのか女なのかも区別が付かないほどだが、蒼司はその向かって来る人物をじっと見詰めた。
そこに現れたのは怯えた顔をした若い男だった。コンビニでも行った帰りだろうか、部屋着のようなラフな格好に、手にはレジ袋に入った商品らしきものを持ち、片手には財布を持っていた。男は蒼褪めた顔で蒼司に気付くと、助けを求めるように縋りつく。
「た、助けてくれ!」
「どうされたんですか?」
蒼司は男の肩を掴み、落ち着かせようと穏やかな声で聞く。しかし、男はパニックにでもなっているのか、蒼司の言葉は耳に入っていないようだ。ただひたすら助けを求める。
「助けてくれ‼ く、黒い……黒い影が……」
「黒い影⁉」
男の声に反応したのは後から追い付いて来た堀井だった。蒼司は男から視線を外すと駆け寄って来た堀井に視線を移した。堀井は蒼司と対面していた男の腕を引っ張り、声を張り上げる。
「黒い影って……どこだ⁉ どこにいた⁉」
「ちょっと堀井さん……そんな詰め寄ったら……」
そんな剣幕で迫られたら委縮してしまうのではないか、と蒼司は心配になり男の顔に向き直る。男は目を見開いてはいたが、怯えたままの表情はそのままだ。そして堀井の言葉に動揺するどころか、怯えていた表情のまま、男が走って来たであろう方向を指差した。恐る恐る背後に振り向き、ゆっくりと指差す。なにかに追われているのかというほどの怯えぶりだ。
蒼司と堀井は男が指差すほうを見た。それは男の背後。そこにはなにやら蠢く黒い影。
「うわぁぁぁぁ‼」
男は腰を抜かしそうなほど怯えたまま蒼司に縋る。怯える男を宥めるように両肩に手を置き、落ち着かせようとするが男はパニック状態となり蒼司のことなど見ていない。
「彌勒堂‼ あれって……」
「どうやら例の住人に憑いていた黒い影の本体のようですね」
堀井が目を見開きつつ声を上げるが、堀井ですらも混乱しているのか、表情から若干怯えの色が見える。そんな堀井の言葉が終わる前に蒼司は声を上げた。今ここで堀井にまでパニックになられると困る。一度パニックに陥ってしまうと、いくら冷静に諭そうとも、パニックになった本人の冷静さを取り戻すのは至難の業だからだ。そんなことになってしまうと、それが蒼司の足を引っ張り、解決出来るものも解決出来なくなる、といった弊害が出る可能性が高い。だからこそ蒼司は極めて冷静に堀井へと声を掛ける。
蒼司と堀井の視線の先には、マンションや縊鬼の周りにいた黒い影とは比べられないほどの巨大とも思える黒い影がそこにいた。
「な、なんだよ……あれ」
堀井は驚愕の目で真っ直ぐにそれを見詰めた。その顔は次第に恐怖の色に染まっていく。蒼司は黒い影をじっくりと見据えた。
蒼司自身、あれほどの強い気配を放つ黒い影を今まで目にしたことはない。そのためどうしたものかと思案するが、蒼司にあれをどうにかする力などない。所詮、銀子やきなこの力を借りるしか手段がないのだ。蒼司は冷静にその状況を判断し、銀子の姿を探した。銀子は蒼司の後を追って来ていたが、空中でその足を止めたかと思うと、蒼司のほうを見るでもなく、その黒い影をじっと見詰めている。長い銀髪と着物の袖が夜風に揺らいでいた。
*
男は暗闇のなか、項垂れながらひとり歩く。蒸し暑い夏の夜。汗ばむ身体に纏わり付くものは湿度の高い空気のせいなのか。それとも男の周りに蠢く黒い影たちなのか――
『イヤナニオイダ……イヤナニオイダ……』
触れてくる訳ではない。ただ傍に纏わり付いているだけだ。しかし、常に耳障りな言葉を浴びせられ続けていると心が疲弊していく。男は勢い良く腕を振り上げ、黒い影を追い払おうとした。しかし、所詮黒い影は靄のようなもの。実体がある訳ではない。男の腕は黒い影を素通りし、宙を切っただけだった。
「あぁ! くそっ!」
『彌勒堂』とやらにいた銀子というあやかしの女が傍にいたとき、なぜか黒い影は姿を消していた。それがなぜだか分からず、しかし、彌勒堂を離れた途端に再び男の周りに纏わり付き出した黒い影。男は眉間に皺を寄せ、大きく溜め息を吐くが、一度霧散したかと思った黒い影は再び男の周りを漂い出す。もやもやと流れるように男の周りを覆い、再び耳障りな言葉を繰り返す。なんの意味もないような言葉。呪いのような言葉。なぜそんな言葉を吐かれ続けなければならないのだ、と男は辟易とした。




