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「玄関に鬼門があるという、あやかしを歓迎しているかのようなこのマンションで、今までなにもなかったのはただの通過地点だったからです」
「通過地点……」
「はい。鬼門があやかしたちの出入りする場所となっていたとしても、本来ただ本当に通り過ぎるだけなんですよ。人間たちが下手に手を出したり、怒りを買わない限りはね」
「それは今回誰か……この男が怒りを買ったということか?」
堀井はいまだ倒れたままの住人の男に視線を投げ掛けた。酷くやつれてはいるが、先程までの悲愴な顔ではなく、穏やかな寝顔だ。それはこの男からあやかしが祓われたのだろうということが分かるほどだった。
「違います」
「どういうことだ?」
話しの流れからするとこの男が怒りを買ったとしか思えないように聞こえたが、と堀井は怪訝な顔をする。
「今回問題となった謎の黒い影。そのあやかしと思われる気配が強過ぎるんです。それはおそらく鬼門をきっかけに今回初めて現れたあやかし。そのあやかしの気配のせいで今までただ通過していたこの場所に留まるものが存在し出し、この場所になにやら力が溜まっていることに気付くものが集まり出した。そしてそこには縊鬼もいた。そんなときこの方は弱っていた心を見透かされ縊鬼に憑かれてしまったのでしょう」
蒼司は倒れたままの男を見ながら言った。堀井と田中も蒼司の言葉に促されるように男を見る。元々弱っていた男と、たまたま黒い影に引き寄せられた縊鬼。お互いが孤独に苛まれ、お互いを求め合ってしまった。それは黒い影と共にマンション内に怪奇を起こすきっかけとなってしまった。
「しかし、その黒い影として残っていた気配は本体がそこからいなくなったのか、もしくは元々憑いていた憑代がいなくなったのか、この方の傍にはもうほとんど残っていませんでした。珠子さんが聞いた付喪神の話は恐らくその残留した気配のほうでしょう。騒音を引き起こしていたのは、元々は黒い影が原因だったかと思いますが、それがこの彼へと移行し、そして先程の縊鬼が原因となった」
「なるほど。じゃあとりあえず縊鬼がいなくなったということは、これで解決、ということで大丈夫なんだろ? さっきの曖昧な返事はなんなんだ?」
堀井は先程の蒼司の言葉を思い出し聞いた。堀井のその言葉に蒼司は苦笑する。
「いえ、今回の怪奇自体はおそらくこれで解決はするかと思うのですが……」
「だからなんなんだよ、その歯切れの悪さ」
「今回の原因はあの縊鬼だったにしろ、元々の原因だった黒い影の正体は掴めていないからさ」
蒼司の言葉を補うように銀子が口元を隠しながら目を細め言った。その目はなにやら不機嫌そうな、いつもの楽しそうな銀子とは思えないほど冷たい目をしていた。きなこと珠子もそんな銀子の言葉に同調するように、なにやらいまだ警戒をしている。堀井と田中には銀子の姿しか見ることは出来ずとも、その銀子の言葉に怪訝な顔となる。
「そうなんですよねぇ。あの黒い影の本体が今現在どこにいるのか。一体何者なのか。それが分からないので、今後なにかしらこういった不穏な出来事が続くかもしれません」
困ったような顔をしながらも、それほど重大には思っていなさそうな軽い口調で言う蒼司に、堀井は呆れるように溜め息を吐く。
「それって結構ヤバい話じゃないのか?」
「そうですねぇ。しかし、黒い影がどこに行ったか分からないので、どうしようもないですしね。そもそも、今回の依頼はこのマンションのことだけですし」
苦笑する蒼司だが、堀井はあからさまに嫌そうな顔となる。蒼司の言うことも理解出来るし、それが現状としては最善の結果なのだろうが、堀井からするとそのような訳の分からない不気味な存在を野放しにしておくのもどうかと疑問に思う。いい加減なように見えて、元警察官だからなのか、見た目に反して正義感が強いのか、なにか問題がありそうなことを放置出来るような性格でもなかった。
「あのー、でもこれでこのマンションの怪奇現象は止まるんですよね?」
堀井の正義感とは裏腹に、田中は若干躊躇いながらもおずおずと聞いた。
「そうですね、マンションでの怪奇現象はこれでおそらく落ち着くと思いますよ」
「良かった!」
堀井とは対照的に満面の笑みとなった田中は、ようやく肩の荷が下りた、とばかりに笑顔で蒼司の手を取り握手を交わす。
「いやぁ、ありがとうございました! 以前住んでいた方が一週間も経たずに退去された上に今回のこの騒動で、なにかある部屋なのかと心配していたもので……本当に良かったですよ」
田中は蒼司の手を両手で握り、力強く握手をしつつ興奮気味に言った。しかし、その言葉に蒼司も堀井もピクリと反応する。
「以前住んでいた方が一週間も経たずに退去されたのですか?」
「え? えぇ」
蒼司は真面目な顔となり、真っ直ぐに田中の目を見据え聞く。田中は急に真面目な顔となった蒼司の態度に、満面の笑みから一気に驚きの顔となり目を見開くと、おどおどしながらも説明をする。
「現在の方が住まわれる直前まで入居されていたのですが、その方、なぜかすぐさま退去されましてね。本当にすぐ。五日もいたかな? 違約金がかかると説明をしても、それでも構わないから、と」
「違約金がかかっても退去を希望ですか……」
「はい。まあこちらとしても違約金を払っていただけるのなら、引き留める理由もありませんしね。それで一週間も経たずに退去されていかれました。その後に入られた方が今の方で騒音騒ぎになったものですから、以前の方などすっかり忘れていましたよ」
アハハ、と田中は笑いながら頭を掻いた。




