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安倍マリア


「ボルタ、大丈夫かな……」

 一緒に医務室へ向かおうとしたリゼであったが、おぬしの出る幕はない。先にドゥーゴの試合を観戦しておれ、などとウィズウッドに言われて渋々別のステージの観客席へと移動する。


 トボトボと歩きながら彼女は考える。


 彼の心配をしている場合ではないのも重々承知。ドゥーゴの試合だって気掛かりだ。

 好戦的な彼女に万が一の暴走があれば大騒ぎになるのは避けられない。既にニーナが向かっているとはいえ、いざという時は呼び止める声は多い方がいいだろう。



 それに自分だって試合を控えている身である。あの星村レティシアに担架をきっているのだ。

 自分を睨んだあの気高いツリ目が、脳裏をよぎる。彼女とこれから闘う。そう決めていた。

 きゅぅ、と胸の奥につかえるような痛みが走り片手で抑えた。

 それをリゼはプレッシャーと捉える。


「うぅ……思い出したら緊張してき──うぁっと!?」

「きゃっ」



 ぼんやりとしていたことが災いしてリゼは誰かと衝突を起こしてしまった。

 地面に崩れた女生徒を前に、慌てて魔族の少女は傍に寄った。

 他校の制服だ。落ち着きのある紺のブレザーと首元に締められた赤いリボンから有名なお嬢様学校の生徒だと推察する。



「ご、ごめんね。大丈夫? 怪我はない?」

「……あ、はい、こちらこそすみません」


 目と目を合った時思わずリゼは、わぁっと息を呑んだ。

 春が芽吹いた草原を彷彿させるような若葉色の長い髪と瞳。生き人形とも見紛うあどけなく繊細な顔立ちは、この世のものとは思えなかった。


 さながら劣等悪魔(レッサーデビル)とも揶揄された魔族である自分と天使の邂逅である。


「余所見をしてしまいました。これほどの人数が会場に集まってくるなんて思ってもみなくて」

「貴女も魔戦興行(ウォーゲーム)の選手? でも、大会に出場するようには……」

 制服から伸びた細い手足と小柄な身長はまるで等身大の精巧な人形。とてもか細い印象は選手としてあまりに頼りない。



「私は参加いたしませんよ」柔らかに微笑みかける少女はその可能性を否定した。

「じゃあ、友人の応援に?」

「兄が試合に出るんです。でもこういった場所には慣れなくて」

「そうなんだ。よかったら案内する?」

「ありがとう、ございます」

 そうにこやかな笑顔で応じる。だがこころなしかリゼにはぎこちなく見えた。



「どうかした?」

「初めてでしたので、その……魔族の方とお話しするのは」

「あっ、あーそうだよね、馴れ馴れしかったよね……」

 きまりが悪そうにリゼは少し身を引く。最近すっかり忘れかけていたが、自分は世間体として風当たりの強い立場の身だ。相手が周囲の目を気にするのは仕方ない、それも大勢がいる公衆の面前だ。


「い、いえ、戸惑っただけですから気に障ったらごめんなさい! 思っていたよりも魔族の人も他の方々となんら変わりないとあらためて思ったんです」

 慌てて彼女の方からフォローを入れた。代わって提案を切り出す。



「よろしければお名前を教えてくださいませんか? せっかくのご縁ですし、貴女の試合を是非見学させてください」

「別にいいけど、あたしなんて全然強くないよ?」

「そんなことありません。応援もいたします。私は安倍(あべ)マリアと申しますわ」

「じゃあ、あたしは田中リゼ。よろしくねマリアちゃん」

「……はい。素敵な名前ですね、リゼさん」


 そ、そうかなぁと言いつつもリゼは満更でもなさそうに照れた様子を見せる。




「おーいリゼー!」

「あ……ボルタ! もう復帰したの!?」


 遠くから聞き慣れたコボルトの獣人の声を聞き、呼び掛けた方へと振り向いた。

 元気そうなボルタの姿とウィズウッドを目の当たりにしてほっと一息を吐いた。どうやら大丈夫そうだ。



「身体の方は平気?」

「もうバッチリっス。心配かけたっスね」

「本当だよもう~……そうだ、紹介するね。この子は……あれ?」

 視線を戻したリゼはキョロキョロと人混みを見渡す。

 忽然と少女の姿が消えていた。離別の言葉や立ち去った気配も物音もなくマリアと名乗った少女を見失う。



「どうしたんスか?」

「いや、さっき此処で……」

「なにやらおぬしの近くで妙な魔力を感じたが」

「妙な魔力? あたしなにもしてないけど」

「今し方紹介と申したな、誰とおった」


 訝しげなウィズウッドの問いにリゼは首を傾げた。

「えっと、安倍マリアっていう女の子で……ぶつかった拍子に立ち話をしていたの。お兄さんの試合を見にきたんだって」


 そう彼女がこぼしたが、説明を聞いていた二人は難色を示した。

 ボルタが携帯魔鏡(ミラーズホン)を取り出し、なにやら調べ始める。


「待つっスよ? そんな苗字の選手、いなかったと思うんスけど」

「え?」


 根拠を示すように彼から対戦の一覧を索引してもらった。

 ボルタの言うとおり、安倍という選手の参加者は見当たらない。



「じ、じゃあ、さっきのは……」

「虚偽の申告であったのではないか」

「がーん!」

「いなくなったってことはもしかして幽霊かもしれないっしょ?」

「嘘でしょやだボルタ怖いこと言わないで!?」


 軽いパニックに陥ったリゼをよそに魔王は周囲に意識を張り巡らせる。

(恐らくは魔術──【魔空穴(ジョウント)か】)




 リゼのいる地点から離れた会場で若草色の長髪をなびかせて安倍マリアは何事もなかった様子で歩いていた。

 空きベンチに腰掛け一休みの様相を見せていると、人影が彼女の目の前に被さる。


「マリア様~やっと見つけました~此処にいたんですか~?」

 間延びした猫撫で声の主は同じ制服姿の女生徒だった。


 渦巻き眼鏡と二本の黒い三つ編みのおさげという見るからに冴えない格好をしており、おどおどした態度で彼女の前に現れた。


 様付けで呼ばれた彼女であったが、行儀よく座ったまま黙秘する。

「探しましたよもう~、途中ではぐれたから心配したんですよ~

「……」

「マリア様? あのぅ聞いてますか~?」

「いつまでそのような三文芝居を続けるおつもりですか、セツナ」


 ほえ? と一差し指を顎に当ててあざとく首を傾げる仕草に苛立ったのかあどけない容貌がわずかにしかめた。


 すかさず黒髪のおさげをぐいと引き「痛い痛い!」と訴える彼女に構わず見定める。

「やはり似合っていません」

「マリア様……おやめ……!」


 手放したマリアは「それにこの変装のチョイス、赤点ですよ」と突き離すように言った。


「今時そのような風紀委員もしくは委員長キャラが学校に在籍するとお思いで? 古過ぎますワザとらし過ぎます。せめてその瓶底眼鏡をはずしなさい、これは命令です」

「……承知しました。しかしよろしいのですか」

「逆に目立ちますよ。故意に監視や盗聴する者がいないか周辺を警戒するのが貴女の役目でしょう?」


 セツナと呼ばれた女生徒は口調や面持ちを引き締め、別人のように豹変させた。

 眼鏡を外すと切れ長の緑目を覗かせ、立ち上がったマリアの横に立った。そのまま歩み出す彼女に連れ添う形でやりとりは続いた。


「はい。ですから貴女様の動向についても熟知しております。魔族の者と接触するのは正直なところ看過しかねます。一つ間違えれば戦争のリスクもありえました」

「それほどの価値が私にあるとお思いで?」

「周囲が定めたものであれば、立場をお考えになられれば相応にはございます」

「つまらない回答ですね」


 そんな風に鼻を鳴らす彼女も、ついさきほどリゼと話していた態度から一変していた。

 あまりに底冷えした視線には愛想の類からはかけ離れている。


「窮屈な想いをさせてしまわれているのは大変恐縮ですが、警護の目から逃れるのは何卒お控えください」

「全く、逐一大袈裟なんですよ。あの偉大で愚かな腹違いの兄(シュナイデル)のご勇姿が久々に間近で見られるというから、この会場のレベルがどれほどのものかを確かめて置きたかっただけなのに」

「シュナイデル様の前であれば誰であっても凡百の格下に過ぎないかと」

「そんなことはどうでもいいんです。重要なのは私が見学一つで不自由なことでしょう。よりにもよってこの私が魔族よりも人権がないというのは皮肉ですかね」

「お咎めするのであれば後日なんなりと……それよりもお耳に入れておきたい情報が」

それよりも(・・・・・)?」

「はい、それよりも、です」


 従順でいながらセツナも物怖じせずに進言する。

「……言いなさい」

「例の物が再び彼女のもとに届いたようでして、こちらにも催促が。そろそろしびれを切らしつつあるようです。強行手段に出られる可能性も」

「ふぅん」


 マリアは真顔になって立ち止まる。


「相当しつこいものですね。あれだけガードを固めたというのに、未だに諦める気配がないというのは呆れますよ。そしてあろうことかちからずくで私の所有物を奪おうとは舐められたものですね……金と地位で肥えた卑しい豚が」

「口が汚いですよ。それと表情も崩れております」

「おっと」


 注意にそっと口元に手を当てるなり、ありったけ毒づいたばかりとは思えないほどの上品な笑顔を縁取らせる。

 常に余裕の笑みを湛えるのは上級社会の処世術だ。


「それで、如何なさいますか?」

「いつものようにあしらいなさい。まだ対応の必要はありません」

「彼女になにか命令は?」

「いつも通りと言ったんです。不穏な動きがあろうとあくまで想定外のことが起こって対応にあぐねているようにしなさい」

「……承知しました」


 歩みを再会しながらマリアは静観を命令した。


「ご主人以外の輩に尻尾を振り、お腹を見せている飼い犬にはいい躾になるでしょう」

 遠目の観客席にいるリゼ達を見やり、その中に混ざった誰かを見て安倍マリアは言う。

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