ボルタの挫折
重い瞼を開けたボルタは白い天井を見上げる。知らないベッドで眠っていたことに気付く。
元の体格に戻り、頭に包帯が巻かれて頬には湿布が貼ってあった。
自分が今何処にいてなにをしていたのか分からなくなったまま、ぼんやりと室内に視線を彷徨わせて数秒。
「……オイラは確か──いッ!?」
すぐさま身体を起こそうとしたのだが、内部の至る所で筋肉痛にも似た鈍い痛みが響き彼をうずくまらせる。恐らくは全身打撲。この負傷によって医務室にかつぎ込まれたのだとボルタは悟った。
そして思い出す。耐え難く身悶えしてしまいたくなるほど数々の記憶を。
ボロ負けだ。完敗だ。歯が立たなかった。なにもできなかった。
面白いくらいに殴られ蹴られ、嬲られ屠られ、無様な姿を公の前に晒してしまった。ジャスミン先輩に見られてしまったのだ。
シーツを握り締め、うなだれる。
「……なんスかね、このザマ」
弱々しく絞り出した矢先に、引き戸が前置きもなく開かれた。
銀髪褐色肌の魔族の男子生徒がいつも通りの仏頂面で入室し、ボルタの前に立った。
「目が覚めたようだな」
「森野……」
「身体の具合はいかほどのものか」
「見ての通りボロボロっス」
「気分は」
「……最悪っスよ、そりゃあ」
であろうな、と言葉をこぼしたウィズウッドは無色の液体が入ったペットボトルを用意した。
「これを飲むがよい。さすれば傷もじきに癒えよう」
「うっ、それって……」
有無を言わさず突き出され、渋々ボルタはそれを受け取る。とにかく彼は世界樹の樹液を出先に持ち歩いているようだ。
たちまち顔をしかめ、どうにか三分の一ほど飲んだところで息を吐いた。
「……っとに苦いっスねこれ、苦汁を味わうってまさにこういうことっス」
「どちらかといえば辛酸を舐めさせられた、といったところか」
魔王がそんな風に評したことにボルタは力なく笑った。完膚なきまでに叩き潰された彼には強がりを言う気力はなく、全面的に惨敗を認めていた。
「リゼだって星村と試合するのにあんなに努力していた傍らでオイラ、呑気に浮かれてたんス。武術をかじっているからって秀でたつもりでいい気になってたんスよ。一撃を決めれば楽勝、ドラゴンとやり合った時と比べたら大したことないって」
だから嬉々として大会に参加したし、優勝までとは行かずともいいところまで勝ち進めるとたかをくくっていた。
知らず知らずの内に奢っていたのだ。
「でも、本当はズブの素人で、あの櫻井って選手には手も足も出なかった。簡単にかわされちゃったし、反撃に出る余裕もなかった。凄かったっス。オイラと違って本当の実力者だったんスね」
それをボルタは試合で痛感した。これでもかというほど叩きのめされて。
しかも同じ種族のコボルトを相手に言い訳のできない形で思い知らされた。
「こんな弱っちいオイラに皆……ジャスミン先輩、やっぱり幻滅したっスかね」
そしてボルタにとってもっとも堪えたのがそれだろう。
いいところを見せようとして、醜態を彼女に晒してしまったことだ。
「ざまぁないっス。森野もそう……」
「全くその通りであるな」
ウィズウッドは椅子にどっかりと座り腕を組む。
「さきほどから耳を傾けておれば、泣き言をいつまでも繰り返しおって。そのような軟弱な配下などいらぬわ」
「なんスか森、野──うっ……あ、れ?」
胸を抑え、不意に訪れた異変にボルタは息を止めた。
喉の奥になにかがつかえたように身体の奥底がズキズキと痛み出す。
なにかがおかしい。これは樹液を飲んでから変化が起きているのではないかとボルタは考えた。
「ほう、どうやら思っていたより効果が出たな。それほど量を多くしたつもりはなかったのだが」
「なにを、したんス、なにを飲ませたんスか……!」
「毒を入れたまでのこと。強き苦みで分からなかったであろう」
端的にウィズウッドは言った。冷たい視線には冗談や悪ふざけは微塵も含まれておらず、強固な意志が伺える。
「当然、命に関わるものだ」
ポーション代わりの回復薬として渡されたそれに毒を入れられた。
耳を疑い硬直するボルタをよそに、魔王は説明を続ける。
「その毒は解毒を行わねば徐々に身体を蝕み、苦痛をどこまでも広げ、やがておぬしを死に至らせるであろう」
「そ、そんな無茶苦茶な──」
「この毒を食らって助かる術はただ一つ」
ウィズウッドは口を挟ませなかった。
続けざまに栄養ドリンクの小瓶をチラつかせた。中身は異なるようである。
「この解毒剤を服用すること。助かりたくば腕ずくで奪ってみせよ」
「本気、っスか……?」
「大声で周囲に助けを求めても無駄だ。人払いをしておるのでいくら騒ごうと誰も気付くまい」
「本気でオイラを殺す気なのかって聞いてんスよ!?」
返答は沈黙。
意図も分からないまま、己の中にある鈍痛の警鐘だけが大きくなってくる。
「クッ……!」
跳ね起きるようにしてボルタはウィズウッドに向けて手を突き出す。無論、彼から解毒剤を手に入れる為。
だが直前に魔術の防壁が現れ、行く手を阻まれる。
杖を用いずノーモーションで張り巡らされた【魔障壁】。ボルタは歯噛みした。
「お、おい! シャレになってねーっスよ森野!」
「……」
「今すぐそれ渡すっス! こんなことしてタダで済むと……クソッ!」
ドンドンと拳で叩き訴えかけても言葉も手も届かない。
徐々に力を加えていき、おもいきり殴りつける。
それでも薄く透明な盾は全く響かず、ボルタの中の熱と痛みも増していく。
その焦燥と不条理な怒りが彼に残った気力を息づかせる。
「──この、馬鹿野郎ぅゥゥゥ!」
唸りをあげ、無意識の内に肉体を変化させた。それだけの怒りが生まれていた。
屈強となった腕力に物を言わせてありったけの殴打で破壊を試みる。
さながら防弾ガラスのように頑丈で、却って手を痛めた。
籠手が外されて丸腰の今、未熟なボルタでは爪撃を繰り出すことができない。
必死に破ろうとするボルタに対してウィズウッドは全く手を緩めなかった。
殴って、殴って、殴って、ひたすら殴って。しかし室内を隔てる障壁は揺るがずボルタは追いつめられていく。
息を荒げた彼は心臓の動悸が全身に伝っていくのを感じた。このままでは本当に不味い。
普通の攻撃ではダメだ。こんな状況でも一度手を止めたボルタは頭を必死に働かせる。
今の自分にできることは限られているが、その中で可能性を模索しなければ助からない。諦めたらそこで全てが終わりだ。
(あの手しかない……!)
ベッドの上に立ち、腰を深く落とした。片腕の筋肉だけが更に膨張を起こす。
母である鈴木フェリスから教わっていたもう一つの未完成な技を今この場にて試す。
試合では溜めの長さとあまりに大振りなテレホンパンチで当てようのない奥義。この場でこそ使えるものだった。
「戦狼武術・崩突ッ!」
リスクに比例して普通に殴るのとでは桁外れの威力を秘めた渾身の正拳。その衝撃が空気を伝って窓ガラスが割れて室内がかすかに揺れる。
魔術の壁も粉々に砕け、ウィズウッドの守りを突破する。
それでも微動だにしない彼からボルタは茶色の小瓶をぶんだくった。
とにかく解毒しようとキャップをとって一気に飲み干した。
後からそれに味がないことに気付き、目を見開く。
「──これ、水!?」
「そうだ。それはハナから解毒剤などではない」
「森野ォおおおおお!」
「そして毒なんぞ盛ってもおらぬ。どちらも虚偽よ」
え? とまたも思考と動きを止めたコボルトの獣人をよそにウィズウッドは杖で荒れた部屋を修繕し始めた。
緊張や熱気が抜け、ボルタは全身を萎ませていく。その頃にはちょうど鈍痛も治まり、身体中の怪我も消え失せていた。
「じ、じゃあ、これは……」
「おぬしが感じた異変は、内部の怪我を治癒する際の急激な副作用よ」
彼が仕掛けた茶番にボルタは脱力した。文字通り死に物狂いになったのが馬鹿みたいだ。
「ハァ、もう~脅かすのは勘弁してくれっス」
「もし助けを呼びに窓から飛び出しようものなら本当に幻滅するところであったぞボルタよ」
「あー全く思いつきもしなかったっスねぇ。その手があったとは」
「……それもまた問題ではあるぞ」
「でもなんでわざわざこんな嘘を?」
自身でも分かりきっていたことなのだがボルタは訪ねずにはいられなかった。
ウィズウッドはつまらなそうに鼻を鳴らす。
「無論、試したまで」
「オイラにまだこの競技をやっていく意志が残っているのかを確認する為っスか?」
「そうだ。たかが一度負けたくらいでなにを嘆く必要がある」
「一度負けたくらいって……」
気軽に言ってくれる。あれだけこっぴどい目に遭わされてすぐに立ち直れるくらいずぶとい神経は持ち合わせていない。
確かにウィズウッドの挑戦は乗り越えられたが、それでまた再挑戦できたとしても今度こそ敵うとは到底思えなかった。
だからこんな風に励ましても焼け石に水なのだ。せいぜい最悪な気分が紛れたていどのもの。
「確かにあの櫻井エドウィンなる者はそれなりの手練れであった。現在のおぬしでは勝てぬ、それは紛れもない事実であろう」
そう冷静に分析する。否定しようのない指摘だ。
だが、と魔王は続けた。
「今回あの者と当たり、一方的に蹴散らされ、負けたことは正解だと断言できよう。喜べ、それだけ貴重な経験をしたのだぞ」
「は? なんで?」
「おぬしが格下を相手にしてただ勝利するだけでは自らの至らぬ部分や強敵との経験を得られもせず、うぬぼれを助長させておったのではないか。如何に己が未熟であることを知らぬまま大会を終えるやもしれぬ」
いくら試合に出ても成長も見込めなくては意味がないと。
「今回はそういう意味では僥倖。対戦相手が格上であるというだけでなく、おぬしと同じ種族であったのだからな」
もしこの敗北する相手がウィズウッドやドゥーゴであったのなら、それは仕方ないと言い訳もできていた。だから今回、誤魔化しようのない実力差を思い知らされたことがボルタにとって得難い貴重な経験になり得ると考えた。
「一度も負けたことのない者を余は知らぬ。仮にそのような輩が実際にいたとて、そやつが実際に窮地へと追いやられ挫折を経た時はひどく脆かろう」
「森野もそういう経験あるんスか?」
「それこそ愚問よ」
勇者サイファーと闘い、彼は負けた。それ以前にも、魔王として名乗るまでに苦々しい経験を持っている。
「故にこの敗北を糧にし、学んでゆくのだ。おぬしにはまだ先があろう、余の防御を破れるほどの力を秘めておるのだからな」
「月並みの言葉っスね……」
「なれば月と同じく心に持ちやすいであろう」
ふぅ、とボルタはため息を吐く。こんな口車で簡単に乗せられて、その気になるなんて自分もつくづく単純なんだなと呆れと自嘲が混じっていた。
「決めた。今までは成り行きでなんとなくこの魔戦興行を始めたんスけど半端はやめっス。これからはトップを狙っていくっスよ、目指すは獣人最強のウォーリアーっス」
「ほう。随分と大きく出たな」
「魔王の一味ともなればそれくらいのハクがないと見劣りするっしょ?」
ボルタは言ってベッドから降りて身体が万全であるのを確かめる為にストレッチし始めた。
「さっ、オイラも復活したことだし応援側に回るとするっスかね」
「調子のよい奴め。そろそろドゥーゴの試合が始まる。行くぞ忠実なる配下よ」
「だーから配下になった覚えないんスけどォ!?」




