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追憶、ニルヴァーナ


「ただいま戻りましたー。陛下ー、リゼちゃーん、ドゥーゴ様ー。いらっしゃらないのー?」

 リゼの家に帰宅したニーナだったが、誰からの返事もないことに首を傾げる。もしかして鍵もかかっていたことから留守にしているのだろうか。



 そのまま居間に進むとテーブルには書き置きのメモがあり、彼女に宛てられたものであった。

『ドゥーゴの部屋着を買いに行きます。夕飯までには帰る予定。そこで寝てる馬鹿は置いていくね、リゼ』

「もぉ、あの子ったらまたそんな呼び方を……」



 言葉遣いを窘めたそうに眉を寄せた彼女だったが、居間に残された彼に気付く。ソファにもたれて居眠りをしているようで、浅い吐息を繰り返していた。

「陛下ー……ただいま戻りました……よ?」


 小声で呼びかけるも返事がない。

 どうやら読書の途中で睡魔に負けたのか、手元の近くに図書館で借りた本が置いてある。此処まで警戒を解いているのは中々珍しい。



 ニーナはそっと寝顔を覗き込み、すぐに起きそうにない気配を察して「失礼しまーす」とこっそりと近寄る。それから間近でしげしげと観察する。どれだけ若返っているのか、白髪が根元から戻っていないのか、普段はできないウィズウッドの細かな機微を観察した。



(いつ見てもピチピチの十代そのもの……感触は)

 背徳感を上回る好奇と悪戯心に後押され、起きないようにそっと頬を指でつついてみる。プニプニと柔らかく、ハリがあることを確認。

 彼女にとって元来のウィズウッドはもう既に老成して枯れ木のようなお年寄りで、こっちの姿は新鮮なのである。


 自分もあの頃とは大分様変わりしてしまった。かつては彼の言うとおり孫と祖父のような親しい間柄であったが、現代で教師と教え子という逆転した立場となっている。


 しかしニーナは変わらぬ忠誠を誓い、今でも心の底から彼を慕っている。


 むしろ無事に戻られただけでなく若返ったというのなら願ってもない話だ。それだけ更に長い時間をお仕えできるということなのだから。

 それにしても少年としての彼の顔立ちは凛々しく、いつまでも眺めていられそうだ。


「ツン、ツンツン……ウフフ」


 だんだん楽しくなってきたのか、彼女はついついリズムに乗せて魔王の顔をいじくり続けた。


「ツンツンツン、あっツンツンツン、ツンツンツンのツンツンツン♪」

「むぅん」


 呻いたウィズウッドの反応に驚いて飛び上がり、隣で行儀よく座り込んで固まった。

 僅かな身じろぎの後また動かなくなったのを見て、ホッと一息をつく。これ以上の安眠を妨害してはいけないと反省。


 そこで居眠りする当人の肩にぴったりとくっつけてしまっている状態に陥っていた。

「はわっ、しまっ──」

 慌ててすぐに離れようと思ったが、思い留まる。

 彼が未だに起きる気配はなく、むしろ接触した反動で体重をニーナの方へと寄りかかってくる形になっていたからだ。今抜け出せばウィズウッドはバタリと倒れ込んでしまうだろう。


 どうしようかと悩みながらも、しばらくこうしていてもいいかなと彼女はこの一時を満喫することにした。陛下が起きそうになったら素知らぬフリで離れればいい。


 彼の規則的な息遣いと普段は常日頃から眉間に皺を寄せた気難しそうな表情の顔が穏やかになって目の前にある。

 昔は、こんな風に寄り添えていたことは珍しくなかった。


(……懐かしいわね)


 ニーナはかつてありし日の思い出にふける。



 鬱蒼とした木々の中をあてどもなく走る人影があった。

 地面は降雪によって真っ白に覆われ、息を潜めるように周囲の音は静まり帰っている。

 嫌だ。


 そんな極寒の外をボロ切れ一つで駆けていたのは幼い少女である。


 呼気を吐き出す度に息は白く染まり、喉が血生臭くなり、裸足で雪を踏むごとに冷たさを通り越して痛みを訴えている。そんな脚を必死に動かす度に、はめられた足枷に繋がれた鎖が尻尾のように揺れる。

 嫌だ嫌だ。



 遠くで誰かの罵声が聞こえた。微かにあっちへ行ったぞとか、絶対に捕まえろなど、敵意と悪意の含蓄されたものだとすぐに理解する。

 嫌だ嫌だ嫌だ!



 拒絶と恐怖に支配されながら、森を逃げる幼い少女はそんな葛藤を繰り返していた。



 奴隷商の馬車が移動途中に転覆事故を起こし、中に収納されていた大勢の奴隷が脱走を起こしたのがほんの少し前の出来事である。

 一人、また一人と他の奴隷が捕まっていく中、唯一彼女だけは森の方へと逃げ延びていた。


 しかし追っ手の魔の手は既に目前にまで差し迫っている。捕まった時に一体どんな酷い目に遭うか分からない。


 そんな得体の知れない想像が余計に彼女を遮二無二に走らせる。木々の景色が開けた先、


 ──視界が反転した。



「きゃァああああああああぁぁぁぁっ!?」

 土手へと真っ逆様に転がり落ち、やがて遙か下にあった川の中へと身を投げる。

 全身を突き刺すような冷たさに声が詰まり、激流に揉みくちゃにされてグルグルと方向感覚をかき乱していく。


 息を詰まらせ、沈むまいと水面に顔を出してもがき暴れる。文字通り死にもの狂いで生にしがみつく。


 だが無情にも真冬の渓流は子供一人を溺死させることをそう苦労せず、ひたすら下流へと押し流して小さな命を奪おうとしていた。

 徐々に彼女の身動きが鈍り、懸命に伸ばしていた手も水面の中へと引き込まれていった。


 それからまもなく、水中で死を予感した少女に抗いようのない強い力が降りかかる。そのまま抵抗する間もなく強引に地上へ引き上げられた。


「……け、ゲホッ、ゲホッ……ヒュー、ヒューッ」

 意図せず地面に戻った少女は全身を絶えず震わせていた。息も絶え絶えで、体の芯まで冷え切っている。

 朦朧とした意識を繋ぎ留めながら、自分を引っ張り上げた正体を見上げる。誰が助けてくれたのか。


 そんな希望的観測は目にした相手を見て、彼女の中で費える。


 静まりかえったその場で獣の唸りが耳朶を打った。


 白と黒の体毛に覆われた大きな狼だった。生え揃った牙を口腔から覗かせ、爛々と金色の瞳がこちらを見下ろしている。

 魔物だ。流されていた自分をくわえて引き上げたのは、自分を助ける為じゃない。食事にありつける為に拾っただけだ。


 そう悟った少女は力なく昏倒する。彼女にとっては幸いなことに予期する無惨な最後を知ることは避けられた。



 パチパチと近くで火の生ずる音が響く。

 気付けば少女は天蓋のベッドの中にいた。暖炉の火が凍えていた身体を暖めている。


「此処、は……」

 体を起こして腕を出すと包帯が巻かれており、手当ての形跡があった。

 見覚えのない部屋をしきりに見渡していると傍らの椅子に座っていた人物と目が合った。


 狼型の大柄の獣人だった。どことなく気絶する前の魔物にそっくりで、つならなさそうに鼻を鳴らす。

「やっと起きたか、オイ、そこにいろよ?」

「あ……」

「妙な気を起こしたら、今度はガブっと一噛みだからな」

「ひっ」


 ひきつった顔で縮こまる彼女の反応に気をよくしたのか、狼獣人は重い腰をあげて出て行った。

 部屋に取り残されて数分後。


「ほらよジジイ、言われた通り子守りは終わりだ」

「口の効き方に気をつけなさいと言ったでしょうヴォルフデッド、それに拾ってきた本人がなにを物ぐさにしているのです」

「ごちゃごちゃうるせぇ、だったらこのガキ見捨てりゃよかったか?」

「おぬしらもそのぐらいにせよ、怯えておるではないか」


 魔族と獣人の口論を諫めたのは、枯れ木のように年老いた魔族。

 その年齢に似つかわないほど物々しい黒い鎧を身に纏い、不遜な態度を見せている。



「余の名はウィズウッド・リベリオン。グリーンウッド城の主にして魔族の長。この度はおぬしを余の居城に招き入れた。川で溺れていたそうだな? 通りがかった配下に感謝するがよい」

「……」

「言葉くらいは通じる筈ですよ? なにか答えたらどうですか」

 側近と思わしき厳格で規律にうるさそうな魔族の若者が注意を入れるもそれを老人は手で制した。そして名乗りを繰り返す。



「余は、おぬしら人間どもの敵、魔王ウィズウッド・リベリオンである」

「……魔、王」

「そうだ、人間の小娘。拍子抜けしたか? このような老いぼれが魔王であるのだからな」


 ベッドの上で身体を起こした少女と目線を合わせるように椅子に腰掛け、向き合った。


「して小娘よ、おぬしの名はなんという」

「……ニル、ヴァーナ」


 それがニルヴァーナと魔王ウィズウッド・リベリオンの初めての出会いだった。

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