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追憶、ニルヴァーナ その2


 それから魔王直々の尋問は執り行われた。

何処(いずこ)からこの森に参った。此処はおぬしら人間が迂闊に立ち寄らぬ領地だぞ」

「……分からない」

「では生まれは」

「分からない」

「なれば家族のことは」

「分からない……覚えてない、なんにも……」


 

 嘘をついているという風でもなく、少女は弱々しくなんの参考にもならない返事を絞り出す。

「すなわち自らが何者で如何なる生活をしたという記憶を持たぬ、と」

「……うん」

「しかしそれは今し方のことではなかろう。あれ(・・)を身につけていたところを見る限り、おぬしは奴隷であったようだが」

 指さした台座には彼女を縛りつけていた足枷が置いてあり、無用の長物と化していた。

 介抱している間に鍵もなかったので切断して外しておいた。


「あ……あぁ……!」

 しかしそれを目にした途端、ニルヴァーナの様子が一変する。


「ぁああああ! あああああああああッ!」

 取り乱した様子で金切り声をあげベッドから飛び出すもふらふらとバランスを崩した。


 それでも這う這うの体で台座にすがりつきどうにかそれを手に取る。

 それから地面に座り込んだまま再び足に枷をつけようとしていた。だが、一度切除された足枷は戻る訳もなく空しく金属音を鳴らしているだけで徒労に終わる。



「おい、なにをしている」

「恐れながら申し上げますと陛下、人間の奴隷は許可なく足枷を外せばその脚を切り落とすそうです」

「何故そのような非合理的な真似を」

「消耗品ならではのやり方でしょう、他の奴隷達にもいい見せしめにもなります」

「同族相手に胸糞わりぃことしやがる」



 問題はこれからの彼女の処遇である。当人を交えて話しておきたかったのだが、ニルヴァーナの怯えようからしてそれどころではないようだった。


 椅子から立ち上がったウィズウッドが、床でうずくまった少女のもとへと歩み寄る。


「ジジイ、なにする気だ」

「少しなだめてやるだけのことよ」


 彼の接近に丸くなるように身を屈めるニルヴァーナ。これから自分がなにかされるのだと嗚咽を漏らした。



「ひぅっ……ごめ、ごめんなさごめんなさい。ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

 訴える言葉からは彼女の日常の背景が窺える。奴隷として一体どんな仕打ちを受けてきたのだろうか。

 そこに、魔王は幼き頃の自分を重ねた。この娘は現在と未来に笑顔を見出さない生き方しか知らないのだ。



 そっとやせ細った彼女の足に手をやる。

 使い物にならなくなった枷を彼女の足にあてがう。すると、カチリと音を立てたかと思うと足枷は元通りにくっついた。 


「これならば折檻する理由もない筈であろう」

 魔術を用いて修復されたそれを見て、少女は恐怖を戸惑いに塗り替える。叱られる、怒鳴られる、叩かれる、どれにも当てはまらない対応を不思議がっていた。


 魔王はそのまま離れて背を翻す。


「だが、外したくばいつでも申すがよい。積もる話は十二分に休息をとり、余裕ができてからだ。ヴォルフデッドよ、引き続き小娘の世話をせよ」

「ハァ!? なんで俺なんだよッ!? 召使いにでもやらせりゃいいだろうが!」

「先ほども言った筈ですよ。貴方が連れてきた以上最後まで責任をとるというのが義理というもの。それに」


 既に退室したウィズウッドに続く魔族の若者が途中振り返り、その場で動かずにいた少女をじろりと一瞥する。


「魔族にとって人間の小娘を歓迎するとは言い難い以上、まだ獣人の貴方に面倒を看てくださる方が適任かと」

「単なる丸投げじゃねーか!」



 そうしてニルヴァーナのグリーンウッド城内での生活が始まった。与えられた一室にて狼の獣人ヴォルフデッドが渋々面倒を看る運びとなる。

 栄養失調や凍傷などの怪我も快方に向かい、きちんと立って歩くこともできるようになった。


 しかし城外はさておき部屋から出歩く許可を与えられるも、ニルヴァーナは動こうとはしなかった。

 さながら檻の隅で動かない子犬のように少女はベッドの上で息を潜めていた。


 ノックもないまま無遠慮に扉が開かれニルヴァーナはビクッと身を強ばらせる。

 だがその相手が分かると彼女は緊張を解いた。狼の獣人がずかずかと入室し、パンやスープといった質素な食事を持ってやってくる。


「おーい飯だガキンチョ」

「……犬のオジサン」

「ヴォルフデッドだ! 犬じゃねェしオジサンでもねェ! ……で、それから調子はどうなんだ」

「うん……」


 スープの入った木椀に目を落とし、ニルヴァーナは言葉を濁す。


 唯一ヴォルフデッドには気を許している様子でポツポツと覚えている限りの経緯を打ち明けていた。

 彼女は付近の集落にいる村人に拾われた。だが食い扶持を減らし金にされる為、奴隷商へと売りに出され出荷を待つ身となっていた。だが、その通り道に事故が起こり現在に至るという。


 それまでのことは全く記憶がないそうで出生や身寄りもまるで思い出せないと。

 そんな身の上話を疑い、魔族を探る為に送り出した人間の密偵ではないか? という周囲の疑念もあったが、ヴォルフデッドはそれを一蹴した。発見した時には死に掛けていて、元気を多少取り戻した今でもこれほど弱々しく怯えている少女に果たしてそんな企てがあるようには思えない。



「でも、あんな風に流されたこと、前にもあった気がする」

「てぇことは、お前の暮らしてた場所にも川か海でもあったってことか? だとしてもそんだけじゃ参考にならねぇな。他には?」

 首を左右に振った。彼女の過去を探る手がかりとしてはあまりに心許ない。


「仕方ねぇ。春になったら周辺の人村に情報を集めてくるっきゃねぇ。それまで辛抱してろ」

「……此処にいていいの?」

「そりゃあそれをあのジジイが決めたからだろうな。最初にゲミトゥスの野郎……アイツだよ、ジジイの傍にいた奴。あの野郎が言ってたと思うが、お前さんは魔族の根城であるこの城じゃ歓迎されちゃいねぇ」


 それはれっきとした事実であり、この部屋に他の者が基本的に立ち入らないのは意味もなく関わりたくないからである。


「実は、冬の貴重な備蓄を削ってまで食い扶持を分けるのすら反対されていてな。毎日はやるわけにはいかないと言われててよ」

 という指摘を受け、空になった木椀を見たニルヴァーナは息を詰まらせる。しかし彼女は此処にきてから食事を抜かれたことなど一度もなかった。


「安心しろ、そいつはジジイが一切口につけねぇでいらんと言った分だ。優先的に食えている立場で贅沢言いやがって、しかもわざわざ俺に捨ててこい(・・・・・)と命じやがんだぜあのクソったれ。まぁ、勿体ねぇから回ってきたってわけだ。残飯処理なら誰も咎めやしねぇよ」

 幼いながらも少女はその言葉の意味を悟る。城の主とはいえそんな我が儘を言っているほどの余裕があるならさっきのように切り詰めた食糧事情など存在しない。


 わざわざあの魔王を名乗る老人は御身自ら食い扶持を削り自分に分け与えてくれていたのだ。


「どうして、そこまでわたしに……」

「さぁな、俺はただ言われてることをやってるまでよ。流石に飯を分けるほどの余裕はねぇし。ただよ、礼のひとつぐらいは言ったらどうなんだ。それぐらいはスジってもんだぞ」

「……あ、ありが……」

「このバカッ。俺に伝えても意味ねぇだろ。歩けるなら直接言うんだよ」



 部屋から追い立てられながらも「オイこっちだ」とヴォルフデッドがぶっきらぼうに案内する。

 道中で初めて廊下を出てきたニルヴァーナとすれ違った魔族の給仕達から冷たい視線が向けられるも、手を引いて進み出たヴォルフデッドによる無言の圧力ですぐに目は逸らされた。



 石造りの玉座の間で大扉を押し開けた先、そこには魔王があの鎧を纏った姿で鎮座している。

 ただし、今そこでは取り込み中のようで別の人物と謁見が行われていた。


「この冬に二度も招いた覚えのない客人がこようとはな」

「待って、待ってくれ! 命だけは……!」

「俺達は別に偵察とかそういうんじゃなくてたまたま通りがかっただけで!」


 人間の男二人組だった。どうやら連行されたばかりのようで、魔王のお膝元で跪かせられ命乞いをしていた。


「……ッ!?」

 悲鳴を呑んだ声と共にニルヴァーナの顔はひきつり硬直する。

 彼女は彼等を知っている。そしてなにより恐れている。如何に野蛮で如何に非道な相手であるのかを。



「……この状況で連れてくるとはこのアホ狼」

 振り返った側近の魔族が忌まわしげに二人を睨みつけて毒づく。

 間の悪いことにニルヴァーナは自分を追いかけていた奴隷商の者と城内で再び相見えることとなった。

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