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兵主部壱 長岡混沌京  作者: ずずつすず
御霊会
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九 未来との邂逅

 積乱雲のように巨大なものが去っていく。

 五月雨に打たれ、小泉川に足許をあらわれながら、

 悪神の心臓が、ゆっくり鎮静していくのを感じている。

 

 妖術に合わせ、ふらちに水かさを上げ下げしていた小泉川が、鎮まっていく。

 

 水の地鎮ーーーー

 息を吐き、あらみたま(荒魂)が過ぎ去ったのを感じながら、目を開けた。

 「たいそうなものじゃ」

 まだ、雷撃に打たれた湯気を少し上げながら、徐福が言う。

 「鎮定してのけたかよ・・あの大波を」

 「一族のものが見え隠れしたでよーーー流されぬよう支えてもらい、ようよう、やり過ごしたのみよ」

 「それで、既倒に廻ったわ。命拾いした」

 赤い道服をまとった方士が、包みを取り出し、それを解く。

 とりだしたのは、鉱物めいたきらめきを帯びた、丸薬だ。

 刷雄に差し出した。

 「喰らえ。その川水に傷を洗われた以上、ただでは済まぬ」

 (秦の薬か)

 ヤクセキ(薬石)という。

 鉱物の類を医薬にするのは、この時代にはよくある。

 徐福は、笑った。

 「みずがね(水銀)か? あれは、エイセイ(嬴政、始皇帝)のごとき天子の服すべき仙薬よ。こなたは、、傷病によう効くのみよ」

 丸薬を受け取り、ガリガリやった。

 世道が、かたわらにやって来る。

 携行しているのか、サラシを差し出した。

 「物狂いされ、自らお命を縮めようとされたのかと」

 サラシを巻きながら、部下を見る。

 「そりゃ、そもそも、土工司の公務を手伝っておる形じゃが、小泉川の人柱になるところまで、尽くしてやるつもりはない」

 「わが太刀も、上役を殺めた妖刀にならずにすみました」

 「切れ味のよいものを帯びよって」

 腕を動かし、顔をしかめる。

 「物騒なものがなければ、物騒な事態から逃れ得ぬもの。切れ味の悪い包丁は、よいものより危険と言います」

 「頭の切れと同じよの・・切れ味がよいお陰で、窮地を脱したわい」

 上司と部下は、笑い合った。

 

 ふ、と、秦の道士も、かたふ(片頬)に笑みを浮かべた。

 大伴の軍事の血と、

 藤原の司祭の血、か。

 反逆者、ふじわらのなかまろ(藤原仲麻呂)の子が、命がけで、京の地鎮に励む。

 長岡京。

 変転と変更の角と角、

 辻と辻を経て、迷宮を脱するーーーー

 

 雨は、ずいぶん、弱まっていた。

 相変わらず、梅雨らしい、不断の気配がある。

 風が吹く。ぱらぱらと、雨粒が、徐福に打ち当たる。

 風の中には、底冷えがする、というより、なにか、大きく、虚ろなものがあった。

 産毛が逆立つ。

 (む、う)

 バサバサ、音がする。

 兵主神社の方から吹き飛ばされ、地面に突き立ったままののぼり(幟)だ。

 赤い地には、牛頭獣身にして、頭上と両手足に武器を帯びた、鼻面がつづまった「人面獣身」の兵主神が、黒く描かれている。

 

 徐福は、風の吹いてきた方を見た。

 

 世道と刷雄は、吹き寄せてきた風の中に、虚ろーー涼気よりは、

 「凄涼」

 の肌触りを、感じ取った。

 がらんどう。

 

 empty entity(空っぽの実体)

 

 外枠の雄大さに比して、あくまで、虚仮の、そういう外張りすらむなしい虚勢に堕してしまう、

 空虚の実存。

 それが、いっそ、サツサツ(颯々)とした、

 芯まで冷える体感をもたらすのだ。

 「!?」

 二人は、風が吹いてきた、兵主神社も方角を見る。

 早良親王と習合し、その大いなる座と化していた、牛頭六臂の魔神は、霊感からも消失している。

 まだもどってこない。

 

 が、

 

 ぱ、

 ぱ、しゃ、

 ぴ、しゃ。

 

 と、泥土となった地面や水たまりを踏みにじり、蹴散らして、

 

 なにかが、境内から、赤鳥居をくぐって、こちらへやって来る。

 (人)

 人、か・・? 

 

 向こうからやって来るものは、小柄な人影。

 ただ、酔っているのか、痴愚なのか、ふらつき、よろめき、一定しない足取りで。まさか、この嵐の夜に、酒宴でもなかろうに。

 ヒ、

 ヒョー。

 と、笛のような音が聞こえる。

 人影が近づいてくる。

 

 それは、まるで、みの(蓑)をまとっているかのように映った。

 あちこちに、細い先端が飛び出している、胴体の輪郭、手足。

 しかし、それは、筆先のように細く、密な、獣毛であり、毛皮。それが露わになっている、

 裸形。

 毛むくじゃらの人影が、ひょこひょこ、左右に振れるかのように、案山子のように頼りなげで、案山子のように意味深に、小躍りし、進んでくるのだ。

 そんな、毛むくじゃらの体をしていながら、肩より上は、完全に、どこかのお(・)や(・)じ(・)で、烏帽子もかぶらぬ異様な風体で、

 にへらにへら、

 赤らんだ顔の相好を崩していた。

 しまりのない大口からは、尖った歯牙がのぞくものの、脅威より、怪奇を色濃く感じる。

 四十男の両目が、犬のもののように、闇の中でテラテラ赤く光るのが、不気味と言えば不気味だった。

 ヒ、

 ヒョー。

 という笛のような音は、どうやら、この怪物が、ヘラヘラ笑いを浮かべている、その口から、漏れてくる、鳴き声のようだった。

 (なんじゃこやつは)

 刷雄は、あっけにとられて、この酔っ払いじみた妖怪が、目の前を通り過ぎていくのを、見守った。

 ほとんど髪のない頭と、毛むくじゃらの全身の対比が、薄気味悪い。本当に、踊っているのだろうか。肘から先の手を、左右に伸べて、ひょこひょこ、左右に振れながら、進んでいく。

 雨を通して、

 (うおお)

 妖怪の、怖気を振るうほどの悪臭が、漂ってきた。この異臭は知っている。

 うらぶれ、荒廃し、下水道の不備で排泄物すらうまく除かれぬ陋巷の、悪所の臭いだ。

 人の垢、汗水、屎尿、その他、みな、

 人間の生体に由来する臭気が、晴れることなく、雪がれることなく、どんどん蓄積され、饐えて、腐っていった、その果ての臭い。

 (び、貧乏神か)

 え、

 へ、

 へへへへ。

 ヒョー、という、笛のような鳴き声とともに、そんな、照れたか、こちらにおもねるかのような、なさけない笑いを、しまりのない顔に浮かべ、刷雄をのぞき込んだ。

 そのみじめさ、

 いたたまれなさ、

 尾羽打ち枯らした様子は、身を切るように辛い気持ちに、刷雄を追い込むことはなかった。

 だが、どうにも、やりきれない気分にさせられた。

 

 落魄しきったなにか。

 

 そいつが通り過ぎ、けだものの後ろ脚じみた足で、ひょこひょこ、手を左右に、体を左右《そう》しながら、禿げ上がった後頭部を見せつける。

 カワウソかなにかだろうか。ひょこひょこひょこひょこ、遠ざかっていき、そして。

 

 (え)

 

 おのれが捉えた光景。

 その光景に、三人が三人とも、釘付けとなった。

 

 (え)

 

 刷雄は、兵主神社の方を見た。神社は、まるで、抜け殻だ。

 鎮守のentity(実体)など、まるで感じない、

 empty

 留(・)守(・)で(・)あ(・)る(・)か(・)の(・)よ(・)う(・)に(・)。

 

 刷雄は、また、振り向いて、先ほどと同じ方向を見る。

 もう、あの妖怪の、毛深い、なさけない後ろ姿は、ずいぶん、小さくなっている。

 

 びちゃびちゃ、小泉川の水路を越えて、悪所の向こう側へ、行こうとしている。

 その姿が小さくなり、風浪と闇に消える。三人は、動くことができなかった。

 

 

 三人の脳裏には、先ほど目にした光景が、まざまざと灼きついていた。

 あの怪物の後ろ姿がある限り、それが、いくどでも反芻される。

 あの時、あの妖怪は、三人のかたわらを通り過ぎ、そのまま進んでいった。

 そして、地面に突き立った、兵主神社の幟を過り、そして、そして。

 

 風雨にはためく幟には、あの、「人面獣身」に映る、

 実際は牛頭の、

 蚩尤墓壁画が描かれている。

 鼻面がつづまり、両目のぎょろりとした人間の頭部に見える。

 得物持ちつつ、その両手は横に広げられ、獣の後ろ脚のごとき両足は、躍動感を再現して、今にも、上下に、

 ひょっこりひょっこり、

 stepしそうな・・

 

 同じ。

 まさか。

 

 そこにいるのは、まぎれもなく、近似したなにかだった。

 もとは、幟に描かれているものなのに、それが、ずいぶんとなさけない姿に再現されてしまった、

 なれの果て。

 

 蚩(・)尤(・)の(・)。 

 

 (うそだ)

 濡れた旗同様に、不吉に揺らめき、なのに、灼けた石のように、その直感は鋭く飛んだ。

 あり得ぬ。まさか。

 人意が、

 人為が。

 天平時代から、この新時代へ、変遷し、遷都する、この歴史の変節点では。

 あらゆる人々の思惑が百鬼夜行をなし、

 それらの権謀術数が、

 至極まっとうな正道を、

 詭道にまみれて、

 いつか、外連《けれん》じみた、外道のごときものにまで、導いてしまう。

 

 そもそもが、兵主神と蚩尤自体が、習合めいた関係性ではないか。

 黄帝に背いた反乱の神と、封禅《ほうぜん》で祀られる八神の一柱。

 それが、秦氏という氏子によって、渡来し、本邦で受け容れられるため、

 すさのおのみこと(素戔嗚尊)や、

 やちほこ神(八千矛神)

 と習合する、

 この悪所では、

 水浄める神格として、水神の側面を備え、

 さらには、祟り神という泣きどころを突かれて、

 早良親王と習合して

 

 わけのわからないものになった。

 

 『「保たぬのか」

 と、言った。

 「保たん」

 秦の方士は、苦笑する。

 「それは、われらが渡来して早々は、その技もその知も、他から卓絶し、もって独自色を成すことができた。だが、その後も多くの氏族が渡来し、秦の技巧はそれらに紛れ、特別なものではなくなった。われらは朝から離れ、野におのれらを扶植することで豪族として他と比肩し、朝に匹敵したが、もはや、時勢は、中央から距離を取って我を張り通すことを許さぬ段に至っている」』

 『「われらは日本人となる。秦の来歴は闇に埋もれ、暗闇から出た牛のように、出自をあやしまれながら、何気のう、本邦の風俗に融けていくだろう。わが風姿と似通った輩《うから》が云々と抜かしておったが、それも、ごく血の濃いものだけよ。今の秦は、ただの日本人となんら変わらぬ。秦という名の、日本人になり果てた」』

 

 あの、毛むくじゃらの、見るも無惨な生き物に。

 (楽園に)

 おのれの世界が引き裂かれていく衝撃の中、徐福は、思う。

 

 (豊葦原千五百《とよあしはらちいほ》秋瑞穂国《あきみずほのくに》に、呑まれ遊ばされたのか)

 

 かつて、大陸を二分し、覇を競った乱神が、この太平楽の国にふさわしく、習合に次ぐ習合、紆余曲折の果て、

 肩をつぼねた、ひょうげた有り様に。

 剽軽《ひょうけい》なる戦闘者が、剽軽者《ひょうきんもの》に。

 

 牛頭の神が、すっかり、角を矯められてしまってーーー角を矯める、という言葉には、性格が丸くなる、という、肯定的な意味はない。

 

 長所がなくなってしまい、役に立たなくなる、ということだ。

 だから、正確には、こう言う。

 

 

 角(・)を(・)矯(・)め(・)て(・)牛(・)を(・)殺(・)す(・)。

 

 

 「あー!」

 

 

 叫びと勢いは、老身を、喉を、いたずらに乱高下させる。

 叫んでいる。

 叫びの嵩が上下している。

 その勢いに、おのれの理性が浮沈する。

 

 あれが、氏神の末路!?

 楽園に融けた。

 

 氏族《われら》の末路なのか!?

 

 消え去っていくーーーなれの果てに行き着くなにものか。

 

 もはや、おのれがなんだったのか、

 片鱗すら残してはいない!

 

 「うおおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!」

 

 秦の方士の叫びが、

 兵主部《ひょうすべ》の声が、

 おのれを影に押し込めようとする雨風に抗い、天へと上がる。

 

 陰《おぬ》の声。

 

 代償。

 

 豊葦原千五百《とよあしはら》秋瑞穂国《あきみずほのくに》ーーーその豊穣に、豊麗さに、楽園に魅せられた・・・そこに泥むことを善《よ》しとし、そのために、わが身の前身を切り捨てた・・・あげく残ったものが、あ(・)れ(・)な(・)の(・)か(・)!?

 

 過去を否定しつづけた果てに残ったものが、あれなのか!?

 

 「ああぁあああああああああああああーーーーーーー!?」

 ぬえと変じた、魍魎に堕したーーひょうすべが。

 なんでもなくなってしまったものが、吼え叫ぶ。

 

 歴史の行間に、永遠に陥っていく!

 

 水と、闇が、容赦なく、そんななれの果てを圧殺し、京に押し込め、黙殺する。

 

 ここが末路。

 ここが行き着く果て。

 

 永劫の旅路が注ぐ淀なのだ!

 

 「うああああああーああああああああー!」

 

 その叫びさえ、歴史の断絶に上がる、たった一人の嘆きでしかない。

 

 これまで、幾千、幾万も捧げれてきた、そして、これからも、際限なく上がって行くであろう

 

 怪物の胃腑に呑まれた犠牲者の遺言でしかないのだ。

 


 

 

 

 

 

 

 


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