61.そして『扉』は開く
「オーガー討伐クエストクリア~!やったね!偉いぞ、あたし!」
鬱蒼と生い茂る森の中、わずかに開けた場所。四人の冒険者が輪になって思い思いに腰かけ、焚火を囲んでいた。
「何言ってんだ。半分はグレッグのおかげだろ。もう半分はあの時の経験のおかげだし」
「しっかし、このペースなら俺らがプレート持ちになる日も近いぜ!」
「確かにこのパーティならもう、このレベルの討伐クエストは苦もなかったな」
ビスタ、ロンド、ガッド、そしてグレッグ。
カストールのギルドを拠点とする冒険者たちだ。
近隣の村を襲い、その後村に居座っていた二体のオーガーの討伐という、高難度とされる討伐クエストを達成した直後で、心なしか四人ともテンションが高い。
「てか、このクエストの報告をしたらさあ、もしかしてあたしたち、いよいよ青銅等級じゃない!?ってことは、そろそろパーティ名も考えなきゃじゃない!?」
「いや、もし推薦されたとしても、その後の試験に受からないとな」
「ビスタだけは筆記で落ちそうだな」
「あんだってぇ!顔だけならあんたの方がぶっちぎりで馬鹿っぽいでしょ」
「生憎だったなあ。俺はこう見えて、魔法使いだぜ!?……つーか今てめえ、なん——」
ズウウウウウゥゥゥゥゥンッ————!!!!
「がぁっ!!?」
「ぐはぁっ!!?」
「なぁぁっ!!?」
「きゃあああ!!!」
凶悪な圧力が四人の冒険者を襲う。抗うこともできず、全員が膝を折る。
言いようもない強烈な不快感が全身を駆け巡る。
「……み、みんな、大丈夫か?」
数秒の後、何とか口を開けるまでに回復したロンドが仲間の様子を確認する。
「なんだってんだ、今のはよぉ……!?」
ガッドが呻くように言う。
「……ねえ」
ガッド達に背を向けたまま小さく声を上げるビスタ。
その背は震えていた。
「何……アレ?」
グレッグはビスタの小さな肩にそっと手を置くと、誰にともなく呟いた。
「……こいつは、とんでもねえことが起こってるな」
彼らの視線の先には、どす黒い一本の巨大な柱。
膨大な瘴気そのものが、暗い輝きを放ちながら、上空に向かって渦を巻きながらいつまでも吹き上がっていた。
Ψ
「あの光は……!」
丁寧に編み込まれたプラチナブロンドの髪に、雪のように白い肌。
蒼玉の美しい瞳。
その左目の下には、小さな涙黒子。
誰もがうらやむほど可憐なその少女の顔には、しかし強い不安と恐怖の色が浮かんでいる。
豪華に飾り付けられた大きな窓から、彼女の瞳が見つめる先にはどこまでも暗い、一本の柱。
「なんだか、すごく……嫌な感じのする光……」
ここからは相当な距離があるはずなのに、それでもあの大きさ。
ナディアとローエンデールを分断する霊峰オルスター山脈の尚上空に付き上がる闇色の輝き。
胸騒ぎがする。
心臓が、目に見えない冷たい手でぎゅっと握られたような悍ましい感覚。
それに、あの方角は。
「アリスさま……」
広過ぎる部屋の中で一人窓辺に佇むセシリアは、震える声で小さく呟くと、その華奢で小さな両手で藍色のリボンを握りしめ、自分の胸にそっと押し当てた。
Ψ
「おいおい、なんだ、ありゃあ……」
〈王国騎士団〉副団長のバーゼルが、遠方で天を貫く巨大な瘴気の柱を見ながら、放心したように呟いた。
たった今この一帯を襲った暴力的な衝撃は、多くの騎兵たちを落馬させ、歩兵たちも濡れた大地に尻をついてた。
バーゼル自身も片膝を立てるのがやっとの状態で、瘴気の柱から視線を外し、周囲を見渡す。
彼の周りには大小さまざまの犬面鬼・狼面鬼の死骸が転がっている。
もはや息をしている妖魔は一体もいなかった。
これは不幸中の幸いだ。
何故なら、今この瞬間は、一時的にナディア王都防衛軍は事実上の戦闘不能状態となっていたから。
「勘弁しやがれ、馬鹿野郎……」
バーゼルは大剣を地面に突き立て、やっとの思いで立ち上がった。
Ψ
「クリスティーナも間に合わなかったか……」
カレンは雨でぬかるんだ地面に膝を突いたまま、不気味な巨柱を睨みつけていた。
左手で胸を掴み、右手に持つ大剣を地面に突き立て、何とか体勢を保っている。
王都の市壁を出た直後だった彼女は、突然襲った衝撃になすすべなく落馬し、雨に濡れた草原に投げ出されていた。
白い肌も、黒く艶やかな長髪も、泥にまみれている。
「あの方角は……まさか」
右手の大剣の柄を握り直し、渾身の力を込めて立ち上がると、まだ痛む胸をひと撫でして無理矢理呼吸を整えた。
「一体、何が起きると言うんだ……?」
Ψ
「……なんて巨大で禍々しい力……!」
肩で息をしながら、クリスティーナがやっとの思いで呟いた。
両手で胸を強く押さえ、心臓が鼓動していることを確認する。
とても立ち上がれそうにない。
周囲を見ると、屈強な武闘派のベルトランやヴォルフガングですら、片膝を突いていた。
セラフィナもジェイクも石畳にへたり込んだまま、ディートクリフでさえ、長槍を支えにしてなお、立ち上がる余裕はなさそうだった。
「なんだ、あのデカさは」
ヴォルフガングが唖然とした表情で呟いた。
「こりゃあ、ちょいとヤバそうだな」
ベルトランが軽い調子で言い、煙草をふかす。
だがその声は、心なしか掠れていた。
クリスティーナは無意識に両手を胸の前で組み、膝立ちのまま祈るような恰好で曇天を仰いだ。
「これから、どうなっちゃうの……?」
Ψ
ルシアは、見渡す限りの湿地帯の中に点在する小島のような岩の一つの上で、仰向けになって喘いでいた。
高速で移動していた彼女は圧倒的な衝撃の前に突如コントロールを失い、せり上がっていた岩に正面から激突し、そのまま落下したのだ。
細く華奢な左肩からは、鮮やかな赤い血がドクドクと溢れていた。
だがそのとても軽傷とは言えない傷よりもなお痛むのか、右手で自分の左胸を強く押さえ苦しげな表情をしている。
「……ミャア」
傍らにいた黒い毛並みの猫が、彼女の傷口をそっと舐めている。
その紫水晶の美しい瞳は心配そうに揺れていた。
「はぁはぁ……ありがとう、クー。大丈夫よ」
ルシアは右手で黒猫を優しくひと撫ですると、蒼白な表情のまま半身を起こし、そして小さく呪文を唱えて、傷口に治癒魔法を施し始めた。
「……もう、後戻りはできない。アレが……復活するわ」
ルシアはもう一度禍々しい闇の柱に視線を戻し、強く唇を噛んだ。
Ψ
「なんだ、アレは……」
衛兵からの報告を受けたアルベルト王は、謁見の間の王座を離れて、広大なバルコニーからその邪悪な瘴気の渦を見つめていた。
あらゆる有害な力を遮断する強固な多重結界により、王宮内の者には今しがた発生した破壊的な波動は直接害を及ぼしてはいないが、強大な瘴気を探知した警報がやかましく鳴り響き、宮廷内は騒然としていた。
「——陛下!」
背後から、自分を呼ぶ声がする。
アルベルトは、その男の声に焦りの響きが混じるのを、生まれて初めて聞いた。
不安が掻き立てられる。
「ランフィス、一体何が起こっているのだ……?」
国王は振り返って【賢者】の異名を持つその男の顔を見る。
「……我々は知っていました。ええ、知っていたのです。知っていて、思い出すことを禁じられていたのです」
「『守り手』……か」
宮廷魔導士長の言葉に、国王は血の気の失せた顔で重ねて訊く。
だが、すでに答えの予想はついてしまっている。
「ええ……騎士エクレウスの世迷言ではなかったのです」
厳かに頷いてから、ランフィスは正面からアルベルト王の視線を受け止め、そしてまたゆっくりと言葉を続けた。
「封じられた伝承にある古の怪物……その肉体と魂とともに記録と記憶までもを封印された禁忌の化物……それが、復活してしまったと見て間違いないかと。その名は——」
ランフィスは遥か彼方でどす黒い光を放つ瘴気の柱に目を移した。
「すべての妖魔の頂点に立つ者——【妖魔皇帝】」




