60.何が起こってるんだ……?
「また妖魔……」
「あたしたち、あれから一か月もお家帰ってないんですけど!隊長!」
「おれに言われても……」
ナディア東部、王国領とグランディス公国領の境に建造された『境界の街』ロッキンダム。
その強固な石の市壁から南に数キロの森の中で、たった今討伐した四体のトロールの躯を見下ろしながら、リリィもローズもアリスも、ウンザリとした表情を浮かべていた。
「ナディア全土で謎の妖魔大量発生か。確かにここ最近は異常だな。特にグランディス地方は出現率が激増している」
地に伏す身長三メートル超の青緑色の怪物たちを前に、ジルはやれやれと言った風にハンドアックスにこびりついた血糊を払う。
「妖魔だけじゃないですよ。先日オルフェ隊長たちが遭遇したって言う、“蝙蝠の翼を持つ人型の魔物”とか、昨日僕たちが討伐した“黒いローブを着た良く分からない怪物”とか……どうなってんですかね?もう」
普段穏やかなエイリークも、微かな苛立ちがにじみ出ている。
「き、昨日のは人の血を飲んでたし、やっぱり吸血鬼かな……」
「正確には血を吸っていたと言うか、内臓を貪っていたように見えましたけどね……」
リリィとエイリークが昨夜の出来事を思い出して身震いすると、ローズは眉を顰めた。
「あんな気色悪いヴァンパイアなんてイヤよ」
「イヤとか、そう言う問題?」
アリスが呆れた顔をローズに向ける。
「しかし、最強の妖魔と言われる岩重鬼さえ、こんなにも次から次へと発生するとはな」
「一体、何が起こっているんですかね」
腕を組むジルを見上げて、アリスが尋ねる。
「分からん……分からんが、それを今ルシアとランフィス様が調べているはずだ。今は待つしかないな。それまで俺達にできるのは、とにかく出てくる奴等をひたすら斃すしかない。……まあ、モグラ叩きだな」
「完全に対処療法ですね……」
「えー!じゃあ、あたし達まだお家に帰れないの!?」
エイリークがウンザリした表情を浮かべ、ローズが不満を口にする。
「いや、おれ達はこれから一旦王都に帰還するよ。今朝、王宮から帰還命令が来たんだ。団長が何か、話があるんだって」
アリスが王都からの指令を伝えると、ローズは「え、本当!?やったー!」と飛び上がって喜びを表現した。
「でも、団長からのお話ってなんだろうね、アリスくん?」
リリィが小さな首を傾げた。耳飾りの紅い魔石が揺れる。
「うーん、わかんないけど、なんとなーく、また面倒事押し付けられそうな、嫌な予感」
「そんなこと言っちゃダメだよーって言いたいけど……ふふ。団長だから、私も否定できないかも」
リリィが笑うと、つられてアリスも苦笑した。
——その時だった。
ズウウウウウゥゥゥゥゥンッ————!!!!
「がっ!!」
「ぐうっ!」
「きゃあ!」
「何?何なの!?」
「————ッ!?」
ジルが、エイリークが、リリィが、ローズが、短い悲鳴とともに次々に膝をつく。
アリスは声も出ずに、胸を押さえて蹲った。
圧倒的な圧力。
全身が凍り付くような恐怖。
——そして身の毛のよだつような嫌悪感。
森に棲む動物たちさえ、息をひそめるかのように沈黙する。
まるで、全ての生命が失われたかのような重く暗い静寂。
「……おい、あれを見ろ」
膝をついたままの姿勢で、ジルが珍しく緊迫した声を上げた。
アリスたちが、一様にジルの差す方向へ顔を向ける。
そして——それを見た。
「……何、あれ」
ローズが放心したように呟く。その声は、恐怖で震えていた。
彼らの視線の先にあるのは一本の柱。邪悪の象徴のような、どす黒い闇のオーラ。
どこまでも暗く、それでいて輝いている。
それは、闇の者の源たる『瘴気』そのもの。
「あれは……!」
アリスはその暗黒の瘴気の奔流に見覚えがあった。
小鬼の王を斃した時に見た光景だ。見た光景だが——
「でも、あの規模は……」
何倍、何十倍……というレベルではない。
距離も数百キロは離れているはずだが、それでなおこの重圧。
「何が……何が起こってるんだ……?」




