58.間に合った?
「————イン、パークトォーーーーーッ!!!!!」
怒号と共に爆音が木霊した。
何か超重量のものがさらなる圧倒的な重量で爆砕される衝撃、そして音。
「今度は何!?」
何度目かのセラフィナの悲鳴は、後を引く轟音にほとんどかき消されていた。
辺り一面を覆いつくす砂煙は、晴れた日であれば下手をすれば数分は視界を遮ったかもしれない。
けれど今日は、幸いにも降りしきる小さな雨粒が巻き上がる粉塵を悉く捕まえて地面に落ち、次第に煙が晴れていく。
「また一人、怪物のお出ましか」
ディートクリフの呟きは、すぐ隣にいたセラフィナの耳に僅かに届いた。
セラフィナの視界には敵の策略によって分断されたはずの〈烈火の組〉のメンバーが映った。
十数メートルに及ぶ分厚く長大な岩壁が見事に粉砕されていたのだ。
粉々になった岩の残骸の向こうには〈烈火の組〉の他にも〈星芒騎士〉二番隊の残りの騎士たちの姿も見える。
皆、多かれ少なかれ負傷しているようだったが、なんとか全員無事なようだ。
彼らの傍では石畳の上に狼面鬼たちの躯が転がっている。
ひと際大きい個体も傷だらけで地に伏しているのが見えた。
その体からはプスプスと煙が上がっている。
「よぉ、ヴォルフ。相変わらずやっかましいねぇ、お前は。そっちの中ボスは終わったのかい」
ベルトランが雨で今にも消えそうな煙草の火を掌で庇いながら、先刻まで岩壁があった方へ声を掛ける。
「いや、貴族種に関しちゃあ、ワシの出番はなかったわい。二番隊の隊員と〈烈火〉の魔導士たちが始末してたようでな。そんなわけで、ワシは邪魔な岩壁をとりあえずぶっ壊してみた訳だ」
岩壁の残骸の上から答えたのは身長二メートルを超える巨漢だった。
ダークグレーの逆立った短髪に、濃い褐色の肌。
体重も百キロを優に超えるであろうその鍛え上げられた肉体に纏う白い部分鎧は、肩当と手甲のみ。上半身はほぼ半裸と言っていい。
そしてその手には太く長い鎖に繋がれた直径五十センチもある巨大な棘付きの鉄球。
規格外に巨大ではあるが、モーニングスターだ。
鎖も鉄球も、つい先ほどまで纏っていた光の余韻が残っていた。
「あのバカでかい岩の壁を一撃でぶっ壊しやがった……」
ジェイクが唖然とした表情でその光景を眺めながら言った。
「……なんなのあのやたらガタイのいい、むっさいオッサン。オーガー?」
「ばか。〈星芒騎士団〉四番隊、【金剛】のヴォルフガング隊長だよ。あの人は良く王都防衛任務で一緒になるから、遠目では何度か見たことある」
セラフィナがジェイクの脇腹に小さく肘うちを入れる。
「なんで半裸なの?あの鎧、もう意味なくね?」
「知らないわよ……魔法の行使に鎧の影響を受けやすいタイプなんでしょ、たぶん」
ディートクリフはジェイクとセラフィナを横目でチラリと見ると、
「それもあるが……あの人の身体は鎧より頑丈だ。オーガーと人間のハーフだからな」
「え!嘘!ディートくん、それマジ!?」
「嘘だ」
「とんでもねえ嘘つくなお前!?」
「オーガーのハーフなどいるわけないだろう。奴らは単体生殖だ、阿呆が。……まあ、あの人の身体が並みの金属鎧より頑丈なのは確かだ。あの人は全身、脳みそまでアダマンタイトでできてるようなものだからな。その分知能は高くない」
「……お前って、オレでも引くぐらい失礼なやつだよな……“隊長”ってことは、あのオッサンもお前にしてみりゃ上司の一人だろうがよ……」
セラフィナたち三人を尻目に、鉄球を持った巨漢が岩壁の残骸から飛び降りた。
ズシン、と腹の底に響くような音とともに石畳を通して振動が伝わる。
「それで、ベルさん。あんた、死に掛けの妖魔の前で何しとるんだ?」
下手をすれば五百キロを超えるのではと思われる鉄球を片手でひょいと持ち上げ、【金剛】の異名を持つ巨漢は赤槍の前で腕を組む【残光】に怪訝な眼を向ける。
「いや、どうしたもんかなと思ってね……」
「何言っとるんだ、あんた。どうしたもこうしたも何も、さっさと終わりにせいよ……ん?」
そこでふと何かに気づいたように、ヴォルフガングは目を凝らした。
犬面鬼将も濁った黄色い眼でギロリと睨み返す。
「おお。もしかしてそいつ、今朝ルシアが言っとった、“妖しい光を垂れ流す妖魔”か!しっかしゴブリンかオークって話だったが、コボルドじゃないか」
「ああ?何それ?何の話?」
だが、ベルトランはただ首を捻るだけだ。
「何って、今朝の隊長会議で話があったじゃろうに……って、ああ。そういや、あんたまたサボっとったな」
ヴォルフガングが呆れた目でベルトランを見る。
「いや、だって、ほら。めんどくせえからさ。……で?光る妖魔がなんだって?」
「いや、ワシもよく分からんがな……とりあえず、もし見つけたらルシアに任せろって言っとったぞ」
「はあ?そうなの?んなこと言ったって、ルシア今いねえじゃん」
「むう、確かにな」
ヴォルフガングが困ったように腕を組む。
「じゃあどうすんのよ、コレ。とりあえず縄でも持ってきて縛っとくか?」
「いやいやいや、そいつはまずいだろ。ベルさん、あんた忘れたのか。妖魔を捕獲するのはご法度だ。ワシらがそんなことしたら、『教会』が黙ってないだろうよ」
二人の男を、犬面鬼将は地面に這いつくばったまま無言で見据えている。
「んじゃまあ、仕方ねえ。とりあえず、殺っとくか。おい、ディートクリフ。一応聞くが、そもそもはお前の獲物盗っちまったわけだし、トドメはお前がやるかい?」
赤い槍の前で腕を組んだまま、ベルトランはディートクリフを振り返った。
人語がはっきりとは分からないのか、犬面鬼将は事実上の死刑宣告にも表情をこわばらせることさえしない。
——いや、ちがった。
むしろ何かを熱望するようにディートクリフを凝視する。
「……そんな死にかけに興味はない。無論、命令だと言うならやるがな」
だが、ディートクリフは無表情のまま犬面鬼将を一瞥して答えた。
「ま、そりゃそうだ。んなら弟子の手柄を横取りしちまった以上、最後まで俺が責任持ちますかね」
ベルトランがそう言うと、ディートクリフは無言で踵を返し、その場に背を向けて歩き出した。
ベルトランは視線を眼前の瀕死の妖魔に戻すと、地に差した赤い長槍の柄に手を掛ける。
——と、その時だった。
「待ってぇー!!」
戦場にはあまり相応しくない、柔らかな声が頭上から降り注いだ。
気づけば、ヴォルフガングが砕いた岩壁の残骸の一つの上に、白い鎧と蒼いマントを纏った華奢な女の姿があった。
見事なブロンドの長い髪。紅水晶の瞳。
誰もが目を奪われる、清楚な美貌。
セラフィナからはまだかなり距離があるが、それでも肩で息をしているのが分かる。
その美しい顔にも、疲労の色が濃い。
当然だ。十キロ近くを全力疾走して来たから——だけではない。
彼女はここまで来る前に、すでに高位魔族とコボルドの貴族種を一体ずつ、それに数えきれないほどの上位種、通常種を屠っていたからだ。
それでも、女は安堵の表情を浮かべて、岩壁の上から感情を目一杯吐露した。
「……はぁ、はあ。良かったぁ!間に合ったー!!」




