54.コボルドの罠
中央のひと際大柄な犬面鬼将は、巨大な出刃包丁のような片刃の大刀を片手に、妖魔特有の黄色く光る眼で悠然とこちらを見据えている。
「……しかし奴らは何故動かんのだ?援軍でも待っているのか」
魔導機動隊第三小隊第一分隊——通称〈烈火の組〉の隊長サリフが油断なく貴族種を見据えながらも怪訝な顔をした。
「だとすると、なおのこといつまでもこうやってお見合いしてる場合じゃないッスね」
黒髪の少年セティーが魔導礼装を腰から引き抜き、臨戦態勢を取る。
「……そうは言っても、まずはあの取り巻き連中を大将首から引きはがさないと何も始まらんな。どうする副隊長」
〈星芒騎士〉の一人が、槍を構えたまま目だけを向けてディートクリフに指示を求めた。
「ああ、そうだな……」
「——そこは我々〈烈火の組〉に任せてもらおう」
思案するディートクリフに、サリフが申し出る。
「奴らが何を待っているのか知らんが、群れが固まっている今は我々にとって好都合だ」
「そうか。では頼む」
その言葉の意味を察し、ディートクリフは頷いた。
「いいか、お前たち。貴族種以外は一気に焼き尽くしてやれ。無論、貴族種もろとも焼き殺しても構わんがな——総員、《火球》を用意!」
サリフの号令に、セラフィナ以外の魔導士たちが一斉に魔導戦棍を起動。魔導銀の先端が瞬く間に紅い輝きを放ち始める。
セラフィナも短杖に彼らと同じ炎の精霊力を宿す。
「三、二......」
(.......?)
——と、彼女の視線の先で、貴族種の黄色く濁った眼が怪しく光ったように、そしてその犬面の口の端が吊り上がったように見えた。
「......一、——斉射!!」
「「「「「《火球》!!」」」」」
ドドドドドオオオオオンッ!!!
五人の魔導士の放つ火球が次々と敵陣に着弾し、爆音を轟かせた。
妖魔たちが瞬く間に煙に包まれる。
「うひょー……派手な開戦の合図だぜ」
「呆けている暇があったら、さっさと突っ込むぞ」
口笛を吹いて感嘆の声を上げるジェイクの隣で、長槍を構えたディートクリフが腰を屈めて腿に力を溜める。
「……待って、ディートくん!」
今まさに石畳を蹴って突撃をしようとしていたディートクリフを、セラフィナの鋭い声が制した。
「!」
五発の火球が巻き上げた爆煙が徐々に晴れていく。
そこには先ほどとほとんど姿勢も変わらずに立つ六体の狼面鬼と、六体の黒妖犬たちの姿。
「ぼ、僕たちの魔法が効いてない……!?」
「いや、魔法盾だと!?……馬鹿な」
薄茶の髪をした青年が狼狽の声を上げ、サリフも目を見開いた。
「待て!貴族種はどこだ!?」
叫んだのは誰だったか。
「上——!!」
セラフィナの悲鳴。
いつの間にか、セラフィナたちの頭上に黒妖犬を駆る巨大な妖魔の姿があった。
(爆音と煙を利用したの!?……それに——疾いッ!)
巨大な片刃剣を振りかぶる犬面鬼将はジェイクの真上、目と鼻の先だ。
「ちぃっ!」
瞬時に踏み込み、ディートクリフが目にも止まらぬ速度で輝く長槍の刺突を天に向かって繰り出す。
犬面鬼将の俊敏な動きを超える疾さで突き上げられたその一撃は、次の瞬間には中空で身を躱せない敵将の心臓を、黒妖犬ごと貫いた——はずだった。
「!?」
長槍は黒妖犬の丸太のように太い胴体のみを貫通している。
犬面鬼将は攻撃を受ける直前に、騎乗していた黒妖犬の背を凶悪な膂力でディートクリフに向かって蹴りつけていた。
その勢いでさらに上空に二段ジャンプした敵将は、ディートクリフの刺突を宙に逃れて躱すと、そのまま平均的な人間の男の倍近い体重に任せて自由落下。
——しかも依然として巨大な片刃の剣を振りかぶったままだ。
「ふざけるなっ!!」
ゴッ!
あわやジェイクが真っ二つになろうかと言うところで、ディートクリフは振り下ろされた大剣の腹に黒妖犬が串刺しになったままの槍を叩きつけた。
いや、むしろ憐れな黒妖犬の胴体をハンマーのように叩きつけたと言った方が正しい。
側面からの予想外の打撃に、犬面鬼将の斬撃の軌道が僅かに逸れる。
「うっわっ!!」
ジェイクは悲鳴とともにディートクリフとセラフィナがいる方へ転がり込んだ。
「ジェイク!」
セラフィナがその体を抱き留め——
(え、精霊力……!?)
思わぬ強烈な力の波動に一瞬気を取られ、セラフィナはジェイクの勢いを止め切れずに、二人揃って倒れ込む。
そして——
ゴゴゴゴゴゴゴ——ッ!!!
「なっ!」
「お、おい!」
「どうなっている!?」
誰かの悲鳴。
地響きとともに先ほどまでジェイクがいた地面から、巨大な石の壁が凄まじい勢いでせり上がった。
「せ、精霊魔法!?」
「今度は魔法石かっ!」
セティーとサリフの声だ。
地響きの中で、セラフィナにはその声だけは辛うじて判別できた。
だが、彼らの顔はもはやセラフィナには見えない。
何故なら、瞬く間に形成された石の壁に視界が完全に阻まれていたからだ。
今は辛うじて声が聞こえるのみ。
それも分厚い石壁と言う、物理的な障壁を隔てているためかなり遠く聞こえる。
「——ちっ、新手だ!!」
「狼面鬼十二!それに……き、貴族種が一!!トータルスコアは……」
壁の向こうで、微かに悲鳴のような声が響く。
だが、その小さな声に意識を集中することもできなくなった。
セラフィナたちも、それどこではなくなったためだ。
「チッ……妖魔の分際でオレたちを罠に嵌めやがった」
ジェイクがセラフィナを抱き起して立ち上がる。
「……間抜けな話だ。敵を分断するつもりが、どうやら俺達の方が分断されたようだな」
セラフィナが振り返ると、ディートクリフの後ろ姿が見えた。
そしてその向こうには、先ほどと同じ六体の狼面鬼と六体の黒妖犬——そしていつの間に戻ったのか、妖魔たちの中央には、片刃剣を肩に担いで仁王立ちするあの貴族種の姿。
「オイオイ……〈星芒騎士〉五人とオレとフィナであの親玉一匹をボコる予定が、逆にオレら三人だけでアレ全部相手にするってことかよ。……これってさ」
ジェイクは尻についた土を払ってから、愛用の小短剣の柄を握り直す。
不敵に笑うその顔には汗が浮かんでいる。
「……ちょっとしたピンチ、ってやつじゃね?」
犬面鬼たちが口々に奇妙な唸り声を上げている。
まるで笑っているかのようだ。
いや、実際に笑っているのだろう。
まんまと罠に嵌った獲物たちを嘲るように。
「——いや、むしろちょうどいい。任務優先と我慢していたが、こうなっては仕方ない」
ディートクリフが背を向けたまま言う。
「アリスもシュカも貴族種を殺っているしな。……アレは俺がもらう。お前たちは残りをやれ」
「ディートくん、なんか嬉しそうだね……」
額に汗を浮かべながらも、セラフィナは呆れた顔をした。




