52.沼地の追跡劇
ぽつぽつと、暗い空から降り出した雨粒が、戦場を濡らす。
王都レグルス市壁の前に広がる平野では、ナディアが誇る精鋭たちが戦場を舞い、瞬く間に妖魔達を蹂躙して行った。
圧倒的な戦力差を前に、数では勝っていたはずの犬面鬼たちが何の戦果もなく、ただ消費されるかのように駆逐されていた。
東に出現した貴族種も、つい今しがた【鬼姫】と揶揄される美しい死神にその命を刈り取られたところだ。
一時間前には五百を超えていた犬面鬼の軍勢は、今やその数を十分の一以下に減らしていた。
一部の戦場を除き戦いの収束も間近に見えてきた今、敵将と思しき個体を追うセラフィナ達もまた、最終局面に差し掛かっていた。
「逃げたところで、ナディアの軍馬の脚力を黒妖犬なんかで振り切れる訳ないでしょ!その辺の乗用馬とはわけが違うんだから!」
つい先ほどまで戦乱から離れ、高台から悠然と見下ろしていたその個体は、今や取り巻きの狼面鬼を六体ほど引き連れて逃げの一手に転じていた。
けれど、コボルド達が駆る黒妖犬では、王国の軍馬たちにはかなわない。
セラフィナの言葉を証明するように、暗いオーラを放つ巨大なコボルドとの距離は刻一刻と縮まっていく。
それでも、敵将と思しき個体と六体の取り巻きは気にする素振りもなく、パラパラと小雨降る中、ただひたすら全力疾走を続けている。
と、唐突に〈烈火の組〉の隊長サリフが、前を行くセラフィナに向かって叫ぶ。
「……!セラフィナ、湿地だ!速度を落とせ。馬の足を取られるぞ」
「げっ!」
市壁の前に無限に広がっているかのように見えた平原も、いつの間にか境界が近づいており、馬を走らせる彼らのはるか前方には、草も生えない土色の湿地帯が迫っていた。
「ふーん、こんなとこまで来たこと無かったけど、この辺りは沼地になってたんだなー」
「喋るな。舌を噛むぞ、阿呆が」
珍しそうな声を上げるジェイクに、ディートクリフは淡々と注意しつつも、続けて答えた。
「……わざわざこんなところに来る意味もないからな」
街から一歩でも出れば『闇に魅入られし子ら』の領域だ。
王都から十数キロ程度とは言え、ここまでレグルスから離れれば王都防衛任務の活動領域外だし、近くに人の住む市街も街道もない以上、敢えて人が足を踏み入れる理由もない場所だった。
「……あいつら、このべちょべちょで私たちを撒く気?」
馬の速度を落としながら、セラフィナが誰にともなく呟く。
「とは言っても、沼に足を取られて思う様に進めないのは、あいつらの黒妖犬だって大して変わらねえんじゃね?」
ジェイクの言う通り、先を行くコボルド達も、目に見えて勢いを失っている。
「死に物狂いで逃げてるやつらだろ?藁にも縋るってやつじゃないの?」
ディートクリフの隣を走る魔導機動隊の黒髪の少年——セティーの言葉に、「まあ、それもそうかもなぁ」とジェイクも頷いた。
「いずれにしろ、そろそろ追いつく……!」
ディートクリフは注意深く馬を駆りながらも、可能な範囲の最高速度を維持する。
とは言え、ジェイクを乗せているディートクリフは思う様に速度が出せないし、セラフィナはそもそも馬術が得意な方ではない。
ディートクリフに続いて馬を走らせていた〈星芒騎士〉四騎と魔導機動隊四騎がディートクリフとセラフィナを追い抜いて前に出ると、妖魔たちとの距離を詰めていく。
「……おい!何かあるぞ!」
ふいに、先頭にいた〈烈火の組〉のセティーが振り返って叫んだ。
「?」
セラフィナたちは黒髪の少年が指す方向に目を凝らした。
「あれは……?」
前を行く妖魔たちのさらにその先。
一面の沼地の只中に、石造りの柱のようなものが複数。
それは明らかに人口的な建造物——の残骸だった。




