45.準備は整った
「ザガン、セーレ。悪いニュースです」
暗がりの中で男の声がした。
「”匿名者”の通報で、『魂贄の呪詛』の情報が王宮に伝わってしまったようです」
言葉とは裏腹に、穏やかなその声音にはで焦りの響きは伺えない。
「え、メー様、それマジ?記録も記憶も封印されてるって話だったんじゃないの?」
元気よく答えるのは、オレンジ色の髪をした幼い少年だ。年の頃は七、八歳と言ったところか。
「メフィ様、“匿名者”って言うのは……?」
少年の隣に腰かける長い黒髪の幼女が、男にその大きな瞳を向ける。
「本人は隠していたみたいですが、情報源はどうやら有名な小人の大魔導さんのようですよ。〈聖者〉さん達も中々やるようですね……フフ、『呪い』に随分と思い入れがあるようで」
そう言って男は肩を竦めた。
「ただ、何せ本人が名前を伏せていたせいで、王宮も最初は半信半疑だったようですが……今は中枢に話が入って、あちらも重い腰を上げてしまったようです——彼がカンカンに怒って、たった今連絡をくれましたよ」
「うひょ、それは怖いなぁ」
「アナタがタラタラ遊んでるからでしょ」
言葉と違って全く恐れた様子もなければ悪びれた様子もなくケラケラと笑う少年を、黒髪の少女は冷たい目で一瞥する。
「酷いこと言うねえ、セーレ。これでもオイラ、結構頑張ってるんだぜ」
少年が大袈裟にやれやれという仕草をして見せるが、少女は「そんなの知らないし、どうでもいいわ」と切り捨てた。
「王宮の【賢者】と【魔女】が今、真偽を確認するために〈元老院〉に向かっているそうです」
男が二人の幼い子どもたちに穏やかな声で言う。
「わお、大物が直々にカチコミだぁ!アハハ!」
「だからアナタのせいでしょ。笑ってないでさっさとしなさいよ」
変わらず無駄に明るい少年と表情がなく冷たい少女。
同じくらいの年頃なのにまるで対照的だ。
「……そろそろ頃合いでしょう。これ以上、主を怒らせるわけには行きませんからね。ザガン、どのくらいまでできていますか?」
「フッフ―ン、ご心配なく!」
少年は木製の椅子から勢いをつけて撥ねるように立ち上がり、暗い部屋の中で男に向かって満面の笑みで答えた。その右手には大きな布袋が下げられている。
「オイラを舐めちゃいけないよ、メー様?ちょうどさっき、全部完成したところだい!さすがでしょ?……いや~大変だったよ、この一か月……」
「終わってるんなら勿体ぶってないで、さっさと寄越しなさい」
身振り手振りで大袈裟に苦労をアピールする少年の手から、セーレと呼ばれた少女はその重そうな布袋をひったくった。
「うわ、セーレ、血も涙もない!鬼ぃ!悪魔ぁ!……なーんて、アハ、アハハ!」
「……アナタ、すっごくウザいわ」
幼女はもはや少年を見向きもせずに言葉だけで非難する。
「上出来です、ザガン。それでは、多少強引ですが始めるとしましょう。……『扉』自らが開けてもらいに行くと言うのも、いささか間が抜けていて美しくはないですけどね」
男がそう言うと、幼女は立ち上がって男に向き直った。
「王都に一番近い『門』があるのもあの祭壇です、メフィ様」
「つまりコイツらは元気よく飛び出して煽りまくってから、すぐに尻尾を巻いて来た道を逃げ帰るってわけだ?アハハ!なんかウケる、それ!」
少年が一人でゲラゲラと笑う。
幼女は完全に少年を無視して、男だけを見つめて先を続けた。
「ただ、”一番近い”と言っても王都からは少し距離がありますけど、大丈夫ですか?」
「構いません。寧ろギリギリの方がスリルがあって面白いですしね。……フフ、彼は怒るかもしれないですが」
男は椅子に掛けたまま幼女に向かって頷いた。
「大丈夫、絶対コイツらの方が早いって!だってオイラ、こういう時のためにわざわざ犬っころまでせっせと石にしてきたんだぜ?……あ!そういや、どっちも犬っころだった!アハハハハ!」
「……アナタ、いい加減、五月蠅いわ」
ぱん。
と幼女が手を叩いた。
途端に腹を抱えて大声で笑っていた少年の声が——音が消滅する。
彼の周りの空間だけ、笑い声も、バタバタと振り回す手足の衣擦れの音も全てがかき消えた。
「セーレ、呪物の無駄遣いは感心しませんね。確か東方の諺で、『一寸の虫にも五分の魂』と言うのがあったでしょう。それに、今回はザガンもよく頑張ったのですから。ふたりとも仲良くなさい」
男は穏やかな声で諭すように言った。
「……はい。メフィ様。ごめんなさい」
少女は俯いて小さく呟くと、もう一度、ぱん、と手を叩く。
「アハハハハ!!ひっで!仲間を呪いやがったぁ!」
再び少年の馬鹿笑いが木霊し始めた室内で、男はもう一度口を開いた。
「では、行きなさい、セーレ。頼みましたよ」
「はい、メフィ様。行ってきます」
その言葉を残し、重そうな布袋を抱えた黒装束に黒髪の幼女は、唐突にその部屋から姿を消した。
男は少女の消えた虚空に向かって、呟く。
「……さて、最後の『扉』を開けてくれるのは、どなたですかね」




