36.大丈夫。何もないですよ。
ローエンデールの警護団の中で、銃士メーリックとエーヴェル、それに軍兵ラークの幹部三名は馬車の守りに残っている。
幹部の他に、銃士三人も馬車の前にいた。
激昂したメーリックは全軍出撃を命じた筈だが、どうやらエーヴェルが三名だけ残らせたようだ。
「何をしている。お前たちもさっさと制圧に行け!殿下をお守りするのは我らだけで十分だ」
ローズとリリィが馬車の前に戻ると、銃士エーヴェルが二人をギロリと睨んだ。
リリィはビクッと怯えた顔をするが、ローズは全く動じない。
「お生憎様。隊長命令であたしたちは馬車の守りにつくから。よろしく」
「勝手なことをするな!」
「勝手じゃないよ。ナディア側の警護長はアリスでしょ」
「馬鹿なっ。……あんなお飾りの青二才に何ができると——」
「好きにしろ」
尚も言葉を続けようとするエーヴェルの隣で、メーリックが戦場を見据えたまま振り返りもせずに言った。
「もとよりナディアの騎士などに期待していない」
「それはどーも」
特に憤るでもなく肩を竦めると、ローズは馬車のすぐ横まで馬を進め、そして下馬した。
リリィもそれに続く。
「チッ……!まあいい。女二人ごとき、どこに居ようと関係ないわ」
ナディア側の警護団の長がアリスであるように、現在のローエンデール側の警護長はエーヴェルではなくメーリックだ。
エーヴェルは苛立たしげに吐き捨てた。
「ローズさま、リリィさま……?」
その時、馬車の中からか細い声がした。
「セシリアさま!」
はっとして馬車を見ると、セシリアが小さな小窓を少しだけ開き、その蒼玉の瞳をローズに向けていた。
「馬車が止まったようですが……お外で何かあったのでしょうか?」
セシリアを乗せた馬車はナディア王族ご用達の最高品質。
それは単に上質の聖石が無数にちりばめられている、というだけではない。
様々な魔導具を駆使して乗り心地を限界まで追求してある。
そしてその中には”防音性能”も含まれていた。
内部からの発動装置の操作一つで発動・解除を自由に切り替えられるその機能は、主に車内での会話の機密を守る目的で開発されたが、現在は専ら移動中の快眠を約束するものとして広く普及している。
馬車からは多少距離があるとは言え、先ほどの銃声や戦士たちの鬨の声にまるで気づいていないところをみると、外の異変にいち早く気づいた侍女のルイジアナが即座に防音装置を作動させたのだろう。
「な、なんでもありませんよ、セシリアさま」
リリィが慌てて車輪に足を掛け、小窓に目一杯顔を近づけて笑顔を作った。
その間にローズは小声で呪文を唱え、馬車を風の結界で包む。
馬車に搭載された魔導具ほどの高性能ではないが、防音効果がある。
少しだけ開けた小窓から入る音を遮断するくらいなら十分だ。
「ええとですね……ちょうど今、街道で大きな隊商が合流してまして……ほら、私たちも大所帯ですから順番を待っているんですよ」
ローズはつい数日前にこの近くで出会った『砂漠渡り』の一団を思い出し、咄嗟に作り話をする。
皇族の質問に嘘で答えるなど、時と場合によっては首を撥ねられても文句が言えない気もしたが、今は許される“時と場合”——の筈だ。
少なくとも、今まさに馬車の外では人間同士の殺し合いが繰り広げられようとしていて、しかも自分の命が狙われていることなど、今は知る必要はない。
知ったところで彼女には恐れ戦く以外にできることなどないのだから。
もしいずれ真実を伝えるのだとしても、幼い皇女への説明は、すべての危機が去った後で良い。
「まあ!それでは今お外にはたくさんの人がいるのですね。それは大変ですわ、お姫さま。決してお顔を見られてはなりませんよ。お姫さまは今、“お忍び”でサンダリアンを離れているのですから。万一気づかれてしまったら、ローズさまたち皆様にご迷惑をお掛けしてしまいます」
セシリアの後ろから、ルイジアナの声がした。
聡い侍女だ。きっと状況を察した上で、助け舟を出してくれているのだろう。
「そ、それは大変!わかりましたわ。では私は中で大人しくしておりますわね!」
幼い皇女は慌てて素直に従う。
「では、ローズさま、リリィさま。お外は皆さまにお任せしいたしますね。何かありましたら、お声がけいただけますでしょうか?」
中に引っ込んだセシリアと交代して、小窓からルイジアナが問いかける。
その言葉の真意は、ローズとリリィにストレートに伝わった。
「ええ、もちろんです」
「大丈夫。何もないですよ」
リリィが真剣な顔で頷き、その後ろでローズは不敵に笑ってウインクをした。
「……どうか、お気をつけて」
小声でそう言うと、ルイジアナは馬車の小窓を完全に閉じた。




