31.薄緑の怪人
「いもしねえ人間の名前なんて知るかよぉぉぉぉオオオオオッ!!」
獣のような絶叫とともに、太った男の服が裂け、薄緑に変色した肉が見る間に膨れ上がる。
(なっ——魔物!?)
次の瞬間、銀色の閃光が一閃する。
オルフェの細剣が、一瞬前まで男の首があった位置を真横に切り裂いた。
「ガアアアッ!!」
「ちっ」
だが凄まじい勢いで膨張したその体は、この一瞬でオルフェと大差ない身長の小男から二メートルを超える怪人へと変貌していた。
《光の剣》を纏わせていなかったオルフェの斬撃は、怪物の右腕を大きく切り裂いたものの、致命傷には程遠い。
「ウルァァアアッ!!」
喉から獣のような唸り声を上げて、怪人が薄緑の太い左腕を振るう。
「!」
オルフェは素早く後ろに跳んでそれを躱し、森の木々を背にした緑色の怪人を見据えた。
二メートルを超える、やや痩せ型だが筋肉質な巨体。
頭髪のない頭に長くとがった耳。
そして黒色の中に怪しく輝く、黄色く濁った瞳。
その瞳孔は太陽の下の猫のように縦長だ。
「……まさか、人間じゃないとは思わなかったよ。どうりで手口が雑だった訳だね。にしても人に化ける魔物なんて、オジサンいよいよ——」
——何者だよ?
とオルフェが問うより先に、ローエンデールの警護団の誰かが叫んだ。
「よ、妖魔だぁ!」
「妖魔だと!?」
途端に混乱が警護団の中に伝播する。
——は?妖魔?これが?
オルフェは怪物を見据えたまま怪訝な表情を浮かべる。
これがゴブリンやトロールみたいな妖魔だって?
オルフェが今まで、それこそ星の数ほども対峙してきた妖魔のどれとも似ても似つかない。
そもそも、人間に化ける妖魔なんて聞いたこともない。
しかも当たり前のようにしゃべってたし……
いや、そうだっけ。
——まあ、いいや。今はそんなこと考えている場合じゃない。
魔物であり、排除すべき人類の敵であることに変わりはない。
(街道にいるとき具合が悪そうだったのは、聖石灯の影響か……ていうか、この距離でボクが気づかないなんてね。ただの雑魚じゃなさそうだけど……とは言えたった一匹で何ができる?)
オルフェは素早く周囲に視線を走らせた。
警護団の中にはただ混乱して騒いでいるだけの者もいるが、約半数は速やかに陣形を組み直し、馬車の守りを固めつつ怪物の包囲網を築き始めている。
「ちっくしょう。めんどくせえ!!言っとくが設定が甘えのは、俺のせいじゃねえからな!あのクソ妖精に言えよ!……まあ、もう目の前だ、十分だろ!」
当たり前のように人語を流暢に操り、緑色の怪物は叫んだ。
(誰に言ってる……?)
オルフェの疑問を他所に、怪物はベルトがちぎれて尚、辛うじて腰からぶらさがったままの皮袋を乱暴に掴んだ。
「こんなところで死ぬのはごめんだぜ!俺はここまでだ」
「……キミ、まさか逃げられるとでも思ってるの?」
オルフェが細剣を一振りすると、瞬く間に強い光がその刀身を覆う。
「ハッ、クソが!テメェの相手は俺じゃねえ」
怪物は鼻で嗤うと、掴んだ袋を振りかぶった。
(ちっ、中身は貨幣じゃなくて魔法石か!?)
オルフェが身構える。
「……上等、全部叩き落としてやるよ」
——だが。
「おらよっ!!!あとはテメェらで上手くやれやぁあ!!」
緑色の怪物は左手に掴んだ皮袋をオルフェ達とは真逆——森の奥へと渾身の力を込めて投擲した。
「は?何を……」
理解できずに顔を見合わせる警護団たちを尻目に、怪物は傷ついた右腕を庇いながら森の中へと走り出す。
「だから逃がさないって。往生際のわる——」
オルフェが細剣とは別の、彼のもう一つの得物を抜こうとした、その時だった。
——キィィィン————————……………
森の奥が激しく輝いた。
丁度、怪物が投げた皮袋が飛んで行った辺りだ。
そして——
ズドドドドドドドドドドドォォォォオオオンッ——!!!!
爆音が鳴り響く。
「なっ!?」
同時に、オルフェは全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。
ザザザザザザザァァァァァアア——————ッ
木々が激しく騒めく。
「——選手交代だ。あばよ、クソチビ。せいぜい惨たらしく死んでくれや」
大樹の幹に左手を掛けて振り返り、いやらしい笑みを浮かべてそう吐き捨てると、緑色の怪物は森の闇の中へと消えて行った。
そしてその遥か向こう。
森の木々の中から、無数の黒い影が上空に向かって一斉に舞い上がる。
——キーン、キーン、キーン、キーン!!!
どこからかけたたましい高音が鳴り響く。
「け、警護長……!!」
大きなガラス球を抱えた軍兵が、今にも泣きだしそうな声で叫んだ。
「探知機が魔物を検知!!方角は北西の……上空!も、森から、魔物の群れが来ます!!その数……五十以上!!」




