30.友達の名は
商人の男は、ひぃひぃ言いながらも全速力で森に向かって走り続けた。
それをローエンデールの警護団が、〈幸せの青い鳥〉の冒険者たちが、そしてオルフェ率いる〈星芒騎士団〉三番隊が追い、皇子を乗せた馬車が後に続く。
森の前まで来ると、男は両手を膝についてハアハアと肩で息をした。
口の端からは泡を吹いている。
無理もない。
とても運動が向いているとは言えない体形で、おおよそ四百メートルも全力疾走したのだ。
彼の前にたどり着いた戦士たちが、武器を手に次々と下馬していく。
「場所はどこだ、キートンとやら!」
ローエンデールの騎士の一人が、鼻息荒く、太った男に詰問口調で問う。
「あ、あと、ちょっとでさぁ……。森の中を、ハア、あと少し、行ったところで」
「具体的にどのあたりだ!」
「もう、すぐそこ、です。ハア……あと数十メートル……森のほんの入り口で、ちょっとだけ、ホントにちょっとだけ……薬草を採取しようと、ハア、思っただけなんでさぁ……」
後ろめたそうな男の言葉を尻目に、騎士の一人が水晶球を大事そうに抱えた軍兵を振り返って怒鳴った。
「おい、そこの軍兵!魔導具に反応はないのか?」
「い、依然、探知機には何も……」
「ちっ、雑魚は何匹いても映らんということか……却って面倒だな」
騎士たち、軍兵たちが森の中を覗き込む。
「くそ……藪だらけで、ここからじゃ何も見えんな」
「鳥や虫どもの鳴き声が五月蠅くて音もわからん」
鬱蒼と生い茂る木々の葉のせいで、昼間だと言うのに森の中は暗闇に包まれており、中をうかがい知ることはできない。
さらに背の低い樹木も多くて視界も極端に狭い。
「……な、なあ。もうとっくに死んでるんじゃないか?」
軍兵の誰かが、不穏なことを口にする。
「そ、そんな!そんなはずはないです!」
それを聞いた太った男は、必至の形相でまくし立てた。
「きっと生きてまさぁ!は、早く行きましょう、もうすぐですから!」
「いや、しかし……本当にこの中なのか?」
「そうですって!この先、ちょっと行ったところでさぁ!」
「この森の中、探知機にも映らない犬のバケモノから逃げ回ってる奴らを探すのか……?」
「お願いしますよっ!みなさんだけが頼りなんでさぁ……!旦那方はみんなお強そうだ。黒妖犬くらい、簡単に退治できるでしょう?とにかく中へ——」
「……もういいよ、オジサン」
静かで冷たい声。
今まさに警護隊を先導して森に入ろうとした男の背後に、抜き身の細剣を手に立っているのは、オルフェだ。
「へ?」
男は間の抜けた声を上げて、首だけ振り返った。
「……三文芝居はもういいよって言ってるんだよ。ここまでくれば、だいたいわかるからね。……ただの茶番だってことがさ」
「……旦那?一体何を意味の分からないことを仰ってるんで?……それより早く行かねえと仲間たちが!」
「もう、それいいって。さすがにこの状況で森の中に入るわけには行かないしね」
「は?いや旦那。冗談言ってる場合じゃないですよ!私の仲間は森の中で魔物に襲われてるんです」
「強情だね……ま、別にいいけど。それより、教えてくれる?」
オルフェは細剣をゆっくりと持ち上げ、
「アンタは何者なわけ?」
その切っ先をピタリと男の背に向けた。男が「ひぃっ!?」と悲鳴を上げる。
「オルフェさん?何を!?」
カノンが慌てた声を上げるが、オルフェは意に介さない。
「な、何者って……私はキートンでさぁ!さっき名乗ったでしょう?か、勘弁してくださいよ!こうしている今だって私の仲間たちがいつ黒妖犬に殺されちまうか……!」
「ふーん、そう。仲間、ね。じゃあさ、魔物に襲われてるアンタの仲間ってのは何人なの?」
「……四人です」
「その四人って、具体的にはアンタとどういう関係?」
「……ふ、古い友人です。商売仲間でさぁ」
「その四人の名前と特徴は?年齢とか髪の色とか服装とかさ」
「……」
「ほら、そう言うの分かんないと、探すの大変でしょ?」
「……」
「昔からの友人で、商売仲間で、一緒に危険を冒すほどの仲なんだよね?」
「……」
「言えないってことはないよね?」
「……」
「え?まさか覚えてないとか言わないよね」
「……」
「ところでオジサンさぁ。いつの間にか呼吸の乱れがなくなってるね。どうみても運動不足のその図体であれだけ走ったわりにさ」
「……」
「じゃあもう、特別サービス。特徴とか良いからさ。名前だけでいいよ。友達の名前を……」
「うるせえええええええええああああっ!!クソガキゃあああああ!!」
唐突に、キートンと名乗った男が絶叫した。
「——!?」
——同時だった。
魔導具を抱えた軍兵が悲鳴を上げたのは。
「く、クラウディス卿!探知機に突然反応が……!!——ま、魔物です!!魔物が出現しました!!」




