29.ローエンデールの魔導具
騎士クラウディスが仰々しく取り出した物——それは直径二十センチほどの球体だった。
透明なガラスのようで、球の中心部に、一ミリ程度の小さな青い点が明滅している。
クラウディスが小さく呪文を唱えると、中心の青い点がにわかに光を放ち始めた。
その点からかすかな光の波が、規則正しく広がっては消え、広がっては消えを繰り返し、その都度小さくウィィン、ウィィン——という音をしている。
——だが、今はそれだけだ。
それを確認してから、クラウディスはまた声を張り上げた。
「諸君、安心したまえ。少なくとも半径一キロ以内に危険な魔物はいないようだ。今のところはな」
(……ふーん、見たことない魔導具だけど……ローエンデールの“対魔物用索敵装置”って訳ね)
オルフェは視界の端でその水晶球を観察する。
隣国は魔法を習得する国民こそ少ないが、その分魔導具の研究・開発は盛んだ。
その技術はむしろナディアより先を行っている。
ナディアにも瘴気や魔素を探知する類の魔導具はいろいろあるが、どうやらあのガラスの球体もその一種のようだ。
恐らく、あの中心にある青い点が魔導具の所在地を指し示し、球体の半径がそのまま索敵可能範囲なのだろう。
「一キロ以内」ということは、あの球体の半径が十センチだとすれば、実際の空間を一万分の一のミニチュアにしたようなものだと推測される。
確かに、半径一キロもの索敵となれば、ナディアの常識からすればかなりの広範囲だ。
「……魔素探知機か。相変わらずお主は用意がいいな」
「使う機会があるとは思っておりませんでしたが……念のため持参して正解でしたな」
警護長のハルドールが驚いたように言うと、クラウディスは頷いてから、
「しかし魔導具も絶対ではないことをお忘れなきよう。そもそも魔素の小さい魔物も網には掛かりませぬ。現に五、六匹いると言う犬もどきのような矮小な小物も、どうやら探知から外れているようですしな」
「うむ、分かっておる。しかし殿下の御身をお守りすると言う意味では十分な情報源と言えよう。何せ協力な魔物の探知精度は極めて高いからな」
「ええ……まあもっとも、我々の脅威と成り得るような魔物など、滅多におりませんがな」
クラウディスは不敵に笑ってもう一度頷いてから、「これは君が持っていたまえ。君は魔物の討伐に参加しなくてよろしい」とその球体をすぐそばにいた一人の軍兵に手渡した。
「え?あ、は、はいっ!」
突然重役を賜った軍兵は、それを大事そうに両手で抱えた。
「殿下は森の前でお待ちいただく。くれぐれも馬車からはお出になりませぬよう。……それから、万一探知機が危険を捉えたら救助は即中止、直ちにここを離脱します。それでよろしいですな?」
銃士ロードリックが、馬車の中の皇子へ忠告する。
「分かっています」
第三皇子は、今度は馬車の中から顔を出さずに答えた。
皇子に恭しく頭を下げから、ロードリックはハルドールに向き直る。
「——では、参りましょうか。警護長殿?」
そして警護長に声を掛けた。
「うむ。そうだな」
「さっさと終わらせてサンダリアンに戻りましょう」
隣でクラウディスが頷いた。
「あ、ありがとうございます、ありがとうございますぅ……!」
相変わらず苦し気にぜえぜえと喘ぎながら事の成り行きを見守っていた商人の男は、泣きそうな顔をしながら何度も頭を下げた。
そして腰の皮袋に手を掛ける。
「あ、こ、この御礼は……」
「礼など後で良い。それより貴殿は魔物の襲撃地点まで速やかに案内せよ。助けに行く以上、手遅れとなってはかなわんからな」
ハルドールがそう言うと、「は、はいぃぃ!こちらです!」と男はふらりと立ち上がり、そして走り出した。
「——皆の者、参るぞ!」
警護長の掛け声とともに、商人の背を追ってローエンデールの警護団が行軍を開始した。
「……おいおい、あのオッサン走らせて大丈夫かよ?誰か乗せてやらねえの?」
〈幸せの青い鳥〉のレンジャーの青年、ジャンが慌てたように呟いた。
「でも、おじさん、結構速いわよ?」
魔導士のアンリの言う通り、ふらふらした足取りの割に、太った男は意外にも速い。
振り返りもせず一心不乱に駆けていく。
「よほど必死なんだろうな」
「当たり前です、お仲間の命の危機ですもの!」
重戦士ローダンの言葉に治癒士のレティシアが頷き、そして一同がリーダーのカノンを見る。
剣士は力強く頷いた。
「ああ、そうだね。俺達も行こう!」
リーダーの掛け声とともに〈幸せの青い鳥〉が馬を駆る。
「……」
少し離れたところからローエンデールの幹部と商人の男を無言で見ていたオルフェも、しばしの沈黙の後、馬の背に跨ると三番隊を伴って後を追った。




