25.紅の槍
夜の森は、当然だが暗い。
特に今宵のように星も月も雲に隠れた夜はなおさらだ。
そんな暗い森の中を、一人の男が歩いていた。
普通ならありえないことだ。
ここは『闇の大地』。
人類の唯一の拠り所たる聖石の庇護がない、魔物たちの領域。
しかも今は夜。
闇の者たちが最も活動的になる時間帯だ。
だが、そんなことをまるで意に介した様子もなく、背に長大な棒状の何かを担いだその男は、ひとり森の中へと歩を進める。
男が森に入って、およそ三十分。
鬱蒼とした立木が少しだけ途切れ、ちょっとした広場のような開けた場所に到着した。
「よう、みぃつけた」
男は陽気な声で言う。
そこには彼の他に先客がいた。
五つの人影だ。一様に黒いローブをその身に纏っている。
その内の一つが広場の中央の岩に腰かけ、周囲の人影はそれを取り囲むように立っていた。
中央の一つと周囲の三つはその手に血のように赤い剣を、残る二つは炭化した動物の骨のような短い棒を持っている。
唐突に現れた男の声に、五つの頭が一斉に振り返る。
「なぁんだ、ハズレかよ。……さっきの報告じゃあアンタらのお仲間にはえらいナイスバディがいるって聞いて楽しみにしてたんだけどなぁ……見た感じ、ここにいるのは全員男じゃねえか。ツイてねえ」
歩みを止めることなく、男は人影の方に向かう。
四つの人影が警戒するように、各々が手にした獲物を構え、腰を落とす。
中央の影が無言でゆっくりと立ち上がった。
よく見ると、この人影だけ、赤い剣を両手に持っている。
「街中に出たやつらの親玉はアンタだろ?クリスティーナの報告のヤツよりヤバそうなオーラをビンビンと感じるぜ」
中心にいる赤い剣を持った黒衣の人影に、男は変わらずに軽い調子で話しかけた。
「なあ、一つ教えてくんねえかな」
男は言葉を続ける。
「さっき王都に出た『ナイスバディと愉快な仲間たち』は、どうやって市壁を潜り抜けたんだ?てか、あんたらは一体どこから湧いて出たんだい?……もしかすっと、最近の妖魔どもの大量発生と、なんか関係あったりすんのかな?」
男の問いに、やはり黒衣の人影は誰も答えない。
「答えられないってか?じゃあ、もっと簡単な話にしよう。まずはお互い、自己紹介といこうや。俺はベルトランって言うんだ。これでも一応、軍人でね。サボり過ぎていつクビになってもおかしくねーんだけど、今んとこ、〈星芒騎士団〉の二番隊の隊長やってるんだわ」
ベルトランと名乗った男は、人影との距離がおよそ五メートルと言うところでようやく立ち止まり、背に担いだ棒状のものを外してくるんでいた布を取り払った。
現れたのは、真紅の——長大な槍。
「で、アンタらは何者なんだい?さっきの報告だと、ナイスバディの姉ちゃんは『アフカル』って名乗ったんだっけか……なーんか薄っすら知ってるような気もするんだけど、どうにも思い出せなくてね。そもそも俺って物覚えが悪くてさ。だからそろそろそっちも自己紹介してくれるとありがてぇんだが、どうよ?」
だがやはり人影はやはり答えない。
代わりに、
「ジャアアアアッ!!」
四つの人影が一斉に大地を蹴ってベルトランに襲い掛かった。
二振りの紅い刃が、闇色の二つの弾丸が、一人の男に迫る。
ガガキィィィンッ!!
激しい衝突音が夜の森に鳴り響いた。
ベルトランが無造作に輝く長槍を一振りしただけで、刃ごと黒衣の男たちが吹き飛び、闇魔法は消滅する。
「……野郎のほうは血の気が多いってのも、さっきの報告通りだな」
やれやれ、という感じで大袈裟に溜め息をつくと、面倒くさそうにしながらベルトランは身を屈め、そして「よっと」という覇気のない掛け声とともに、跳躍した。
「!」
次の瞬間、四体の黒衣の怪物の胴が同時に分断される。
一瞬の後、四つの上半身が地面に転がり、広間の背の低い草をどす黒い体液で汚していく。
転がった上半身の内、一体のフードが外れ、髪のない爛れた顔が露になる。
同時に口元を覆っていた布も外れ、雑に縫われた唇と、横に裂けた口、そこから覗く黄色く汚れた歯と異様に長い舌がベルトランの目に映った。
「ああ、なんだ、喋れない訳ね?だったら初めからそう言ってよー……って無理か」
ベルトランはおどけたように肩を竦めてから、
「それは何かの『呪い』かい?その口開けるようにしてやったら、いろいろ教えてくれたりすんのかな?」
一人残った怪物に槍の切っ先を向けて尋ねた。
一瞬で部下を失った黒衣の怪物は、ゆっくりとフードを外し、そして口元を覆っていた布を外す。
「お?」
そして縫われた唇の両端、大きく裂かれたそれを吊り上げ、ニタァと嗤った。
その黄色く濁った眼が狂喜で爛々と輝いている。
「……ったく、やれやれだぜ」
ベルトランが再び溜め息をつくのとほぼ同時。
二振りの紅刃を振りかざし、目にも止まらぬ疾さで怪物が躍りかかった。
他の『剣持ち』を遥かに凌駕する速度だ。
赤い二筋の斬撃が閃く。
「?」
その時、二刀流の黒装束は、不思議な光景を目にした。
彼の神速の刃が届くより先に、突然、槍を持った目の前の男が、逆さまに宙を舞ったのだ。
「??」
否、そうではない。そうではなかった。
宙を舞ったのは、自分の四肢と、そして頭だ。
彼がそれに気づいたのは、仮初めの二度目の命が尽きる直前。
怪物は一拍遅れて迸る、紅い稲妻のような閃光を見た気がした。
そしてその意識は永遠の闇に沈んだ。
——ブシャァァァッ!!
怪物の四肢が、そして生首が、汚れた体液をまき散らしながら、ボトボトと背の低い草の上に落下する。
「……アンデッドだかなんだか知らねえが、人間辞めてまで、一体何がしたかったんだかねえ」
誰もいなくなった暗い森の中で、ベルトランはひとり、誰にともなく呟いた。




