19.王都襲来
その店は、今日もいつもと変わらず賑わっていた。
王都レグルス南東部。
大通りに面したその店は、中に入れば最奥に位置する厨房を除いて、仕切りもない。
所々に高い天井を支える太い柱があるのみで、広い店内には二十を超える木製のテーブルが並べられ、それぞれに六脚の椅子が配置されている。
百人以上を収容できるこの居酒屋は、質よりも量と価格で勝負するスタイルで、労働者階級の市民たちに親しまれていた。
平日だというのに今日も八割近いテーブルが埋まっていて、顔を赤くして大声で騒ぐ常連客達の間を、数名のウェイトレスが額に汗を浮かべながら忙しなく歩き回っている。
ギイィィ——
建付けの悪い入り口の扉が、蝶番の金具が擦れる音を立てて開き、次々と人影が店内に入ってきた。
その数は、合計で九。かなりの大所帯だ。
だが給仕をする店の娘たちは、賑わっている店内で注文を取ったり酒や食事を運んだり、はたまた酔っぱらって絡んでくる面倒な客を慣れた愛想笑いであしらったりと大忙しで、新たに来店した人影にすぐには気づかない。
「うぃー、ひっく。……ちぃと飲み過ぎたぜ」
「おめえは、いつもそうだな」
勘定を済ませた二人の男が、出口に向かう。
男たちはそこで扉の手前の異様な集団に気づいた。
「ああ?なんだぁ?冬でもねえのに、揃いも揃って随分暑苦しい恰好してんなぁ、アンタら」
「よせよ、馬鹿。よく見ろ、頭のおかしな連中かもしれねえだろ」
彼らが怪訝な顔をするのも無理はない。
九つの人影すべてが一様に黒いローブを纏い、雨でもないのにフードを目深に被っている。
一人だけ若干フォルムが異なるが、あとは全く同じ出で立ちだ。
「んん??おおお、アンタ!いいモンもってんじゃねえか。隠したって、俺の目はぁ、イイ女には敏感なんだぜぇ」
連れの呆れた静止も聞かず、酔っぱらった男は鼻の下を伸ばして、無駄に大声で人影のひとつに話しかける。
「……あら、私のことかしら?」
九つの人影はほとんどが同じような姿だったが、一つだけ他とは明らかに異なる女のシルエット。
黒いローブに黒いフードは変わらないが、他の者より背も低く華奢だ。
前をはだけたローブの下に覗く薄手のサマードレス——これもまたローブと同じ漆黒だ——は素肌にピッタリと張り付くようにタイトで、その豊満で女性らしい体のラインが却って強調されていた。
「ひっく。そうよぉ、アンタだよ!……しっかしよぉ、せっかくのナイスバディに、そんな野暮な外套は似合わねえぜ、お嬢さん。ぐへへ」
「おい、だからよせって!お前飲み過ぎだぞ」
連れがもう一度酔っぱらった仲間を窘めるが、
「嬉しいわ、サービスしてあげたくなっちゃう」
黒衣の女は落ち着いた声でフフ、と妖艶に笑い、そして勿体つけながらローブの端にその細い指を掛けた。
「おほっ、まじかよ!ノリがいいねえ!」
そこでようやく新規に入店した一団に気づいたウェイトレスの一人が、「あ!いらっしゃいませぇ」と言いながら、店の奥から駆けてくる。
バサッ——
と音を立てて、女はまずローブを脱ぎ、続いておもむろにフードを外した。
外套に隠れていた艶めかしい身体が露となる。
そして——
「おおおっ!やっぱりいいオン……なぁあ!!?」
——青黒く爛れた顔、そして瞳のない虚ろな眼窩。
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃい!……ば、バケモ——」
ブシュウゥゥゥゥッ———!!
男の頭が、何の前触れもなく破裂した。
首から赤い噴水のように血が迸る。
首から上を失った長年の悪友の姿に、連れの男は理解できぬまま呆然と女の形をした何かのほうに目を向ける。
それはローブを脱ぎ捨てた後の姿勢のまま。
代わりに、隣にいた黒ローブの人影が右手を伸ばし、その手に握られた棒のようなものをこちらに——正確には数瞬前まで連れの男の頭部があった場所に向けていた。
三、四〇センチほどの真っ黒の棒状のそれは、まるで炭化しかけた動物の骨のように見える。
そしてその先端からは、銃弾を発射した直後の銃口のように、細く不気味な黒い煙が立ち上っていた。
突き付けられた現実を少しずつ飲み込み始めると同時に、身の毛がよだつ恐怖が男の脳内を一気に支配する。
「ぎ、ぎやあああああ!!助けてくれ、か、かいぶ——」
バシャアアッ———
恐怖に歪む表情を貼り付けたまま、頭部が胴を置き去りにして宙を舞う。
そして再び赤い噴水が吹き上がった。
血しぶきを上げるその体の背後には、いつの間に移動したのか、黒衣の人影の一つがあった。
ローブの隙間から伸びる血管の浮き出た青白い手に持つのは、まるで血を固めたように赤い、赤い、剣。
「……何だか、とっても失礼なことを言われそうになったような気がしたのだけど……もちろん、気のせいよね?」
黒衣の女が悩まし気な声で、もはや物言わぬ二つの肉塊に話しかける。
「あら、死んじゃったの?もう少しおしゃべりしたかったのに」
ゆっくりと床に崩れる二つの、かつて人だったモノ。
だがその体が床に付くより先に、八つの黒ローブが恐ろしい勢いで一斉に群がる。
「もう。男の人っていやね、我慢ができないんだから。あーあ、二人とも可哀想に」
八つの影が、飢えた獣のようにお互いを押し退けながら、首から上を失った二つの死体の衣服を引きはがし、腹部を切り裂いていく。
血しぶきが幾度となく吹き上がった。
「まあ、でも。どうせ口説かれるなら、もう少しいい男じゃないと——ねえ、あなたもそう思うでしょ?」
その眼球のない空洞の目を、立ちすくんでただただ震えるウェイトレスに向けた。
「……き、きゃあああああああああああああああっ!!!」
堰を切ったように、給仕の娘の口から悲鳴が溢れ出た。
「酷い声ね」
眼球のない女が、眉を顰める。
「ひ、ひいい!アンデッド?いや、吸血鬼だあああ!?」
たちまち連鎖する悲鳴と飛び交う怒号。
店内はあっという間に混乱の渦に包まれた。
「吸血鬼?……まあ、それもなかなか悪くない響きね」
誰かが作動させた防犯用の魔導具がカアン、カアン、カアン——と甲高い音を奏で続けている。
「きゃあああああああああああああ、だ、誰か、助けてぇ!!!」
その場にうずくまり叫び続けるウェイトレス。
「……うるさいわねえ。年頃の娘が、はしたないわよ?食事の時くらい、静かにできないのかしら」
目のない黒衣の女が、ウンザリしたような声とともに、悲鳴を上げ続けるしかできないウェイトレスの娘にゆっくりと歩み寄る。
いつの間にか、左手に分厚い本のようなものを持ち、それをさも大事そうにその豊かな胸に押し抱くように抱えていた。
「い、いやあ!来ないでぇ……!」
ガタガタと体を震わせ涙と恐怖で顔を歪めながら、ウェイトレスはもはや叫び過ぎて潰れた喉から、掠れた声を絞り出す。
「アハハッ。ああ!貴方、その顔素敵よ。決めたわ。行儀の悪い男どもにあげるのもちょっと癪だし、貴方は私がもらってあげる。……さて、あなたの血はどんな味がするかしらね?」
黒衣の女は震える娘の前にしゃがみ込むと、その顎に青白く細い指を当て、クイッと強引にウェイトレスの顔を自分に向けさせる。
「や!やめて……お願い……!誰か、助けて……誰かぁ……!」
「アハハ、残念ねぇ。誰も来ないわよ」
「誰かぁ……お願いぃぃ……!」
「往生際が悪いわねえ。だから、誰も来ないって——」
「——来るに決まってんでしょ、この変態ババァ!」
「——!!?」
ゴォオオンッ——!!!
凛と響く少女の声とともに、空気をも焦がす灼熱と熱風、そしてわずかに遅れて生じる激しい轟音。
黒衣の女は衝撃をその身に受けつつ、大きく跳び退った。
巻きあがる煙が少しずつ晴れると、そこには泣き崩れるウェイトレスを左手でささえ、右手の短杖を剣のように真っすぐに掲げたひとりの少女。
金糸の刺繍でルーンが施された朱色の軍服に、丈の短い紅のマント。
意志の強そうな整った眉に、蒼穹を思わせる藍玉の大きな瞳、僅かに先端の尖った耳。
肩までで切りそろえられた明るい艶やかな亜麻色の髪は緩やかにカールしていて、まるで揺らめく炎のようだ。
「ま、魔導機動隊……!」
震える声でマントの裾にしがみついている、恐らく自分より二つか三つは年上のウェイトレスの頭を「もう大丈夫」と優しく撫でてから、赤い軍服の少女は立ち上がって黒衣の鬼女に正対した。
華奢で小柄な体躯にもかかわらず、仁王立ちするその姿は、まさに威風堂々。
「魔導機動隊第三小隊〈烈火の組〉セラフィナ=レーゼよ。今日の当番が私だったってことが、アンタたちの運のつきね」
「小娘が……!」
大きく距離を取った先、まだ完全に晴れない煙の余韻の中で、瞳のない鬼女が忌々し気な声を上げた。
「——セラフィナ!ひとりで先走るな!」
紅衣の少女に遅れること数十秒。
少女と同じく赤を基調とした軍服を纏った男が四人、開け放たれた入り口の扉から駆けこんできた。
続いて十人ほどの衛兵が店内になだれ込んでくる。
「ごめーん、だってみんな遅いんだもん」
少女は振り返ると、悪びれた様子もなく、てへっ、と小さく舌を出した。
それから、黒衣の鬼女に向き直る。
そして言い放った。
「さて、オバサン。あんたは一体どこの誰?……こんなことして、もちろん覚悟はできてるんでしょうね」




