第44話 吉報と凶報
果報は寝て待て。または晴天の霹靂。
吉報も凶報も忘れた頃にやってくる。僕がそんなことを思ったのは、雨期が終わり暑くなりかけて来た季節の、ごく普通の勤務日の昼下がりの陸軍省軍政部人事部長室だった。
「カズキ・オータニ少尉です。お呼びと聞いて伺いました。
「そこのソファに座って……」
僕を待っていたのはセリーヌ人事部長。軍政一筋15年。抜群の明晰な頭脳と事務処理能力、それから政治力と家柄のおかげで、これまで戦地に一度も出た経験がないまま、中将まで昇格している。
眼鏡越しのセリーヌ中将の視線は鋭い。僕は緊張してごくりと唾を飲み込む。
「おめでとう。今日付けで大尉に二階級特進だ」
昇進?それは確かに嬉しい話だけど、急な話で実感が湧かない。セリーヌ中将の顔も、とても『おめでとう』という感じではなく、淡々と事務連絡を伝えてきているという感じ。
「あ、ありがとうございます……」
そう答え、遅れて実感が湧いてきた。これまで軍に3年も勤めて来て、オクタゴン要塞の奇跡の奪還やノワール共和国にいた未帰還者の返還交渉を成功させるなどの実績もあげてきた。それなのにエリーゼだけ出世していくことに複雑な思いがあったけど、ようやく報われる時が来たか……。
そんな僕の内心を知ってか知らずか、セリーヌ中将は表情を変えないまま、淡々とした調子で説明を重ねた。
「それから、今月末日付けで予備役編入となるから。これまでお疲れさまでした」
「はっ?えっ?はっ?」
今度こそ耳を疑った。予備役?つまり現役を退いて軍を辞めることになるってこと?
なんで?どうして急に?
「あの……理由を聞いてもよろしいでしょうか?」
「ああ、そうだな。さすがに事務的過ぎたか。あまり公私混同は好きじゃないのだが、ちゃんと伝えるべきだったな。おめでとう。これからは家庭の方で頑張って欲しい」
「ふ、ふぇっ?家庭?」
「平民出身の君が貴族と結婚するとなると苦労が多いだろうが、君なら大丈夫だろう。せめてもの餞別として2階級特進させることにした。階級の上では、ウォルフガング家のフリッツ殿と並ぶわけだから、多少の箔付けにはなるだろう」
それまでずっと無表情だったセリーヌ中将が、口元を少しだけ緩めた。その瞬間、何があったかすべて悟った。
あの野郎!!
◇
「どういうことですか!!」
僕は人事部長室から出ると、エリーゼのデスクの前まで全速力で疾走し、全力で彼女のデスクをバンッと叩いた。
「何をそんなに怒ってるの?怖いよ……」
エリーゼは、完全に怯えて顔を青くしている。
「さっき、人事部長から予備役に編入するという内示を受けました。エリーゼ大佐もご存じですよね。説明してください!」
「あ、ああ…そのことか…」
「将官になるのも目の前ですし、現場で力を見せつける必要もなくなったから、もう僕のことは必要なくなったってことですか?」
「違う、そうじゃない……。カズキのことは必要だ」
「じゃあどうして?」
ずっと目を伏せていたエリーゼが顔を上げた。その顔は、なぜか少し赤く、そしてはにかんでいる。
「ずっと待たせて悪かったよ。反対する両親を説得するのに時間がかかったんだ。だけど、わたしにとって、君が誰よりも何よりも必要だと説明したら、ようやくわかってくれた……」
この人、突然何を言い出した?
僕が聞きたいのはそんなことじゃない。なぜ予備役になったのか理由を説明して欲しいだけだ、僕がそう口に出すよりも、エリーゼの言葉の方が一瞬早かった。
「あの要塞でのカズキとの約束をやっと果たせる。ようやく結婚できることになったんだ」
はあ~?誰が?誰と?結婚する?
いつ僕がそんな約束をした?
エリーゼの話が突飛過ぎて全然頭が付いて来ない。
「あの時、ずっと君を守るって約束して、君もそれを受け入れてくれただろ?だから退役して、これからはウォルフガング家に入って欲しい。庶民のような、なんとなく一緒に暮らす形じゃない。貴族としてちゃんと正式に結婚する。これからずっと君を守るから」
いつの間にかエリーゼが僕の前で片膝をついていた。えっ?これってプロポーズを受けてるってこと?いったいどうした?
下から上目遣いでじっと見上げて来るエリーゼの瞳は真剣だ。しかも、庶民みたいになんとなく一緒にいるだけじゃない。正式に結婚すると言ってくれてる。
本心から言えば、エリーゼのことは別に嫌いじゃない。出会った当初は、頼りなくて自分のことしか考えてなくて、それでいて虚勢ばかり張るしょうがない人ぐらいにしか思ってなかった。
だけど、付き合いが長くなった今ではそういうところもかわいいと思える。それに彼女は、実は責任感が強くて真面目で、こういう人と一緒になれば、ソフィアの時みたいな変な苦労はしなくて済むだろう。
だけど……。
「一つだけ聞かせてください。僕を守るって何ですか?どうして僕の仕事を辞めさせて家庭に入れようとするんですか?これからも仕事を続けちゃだめなんですか?」
「それは……男なんだから辛い思いをして働くよりも、家庭で子育てとかをしてる方が幸せだろう?」
「この3年間、一緒に苦労してきたのは何だったんですか?僕は仕事で必要されていたわけじゃなかったってことですか?」
「いや、仕事では助けられたよ。だけど、これ以上この関係を続けるわけにもいかないし……ほら、要塞にアレクサンドル少尉っていただろう?司令長官の秘書の。これ以上、君があんな感じで見られるのも耐えられなくて……」
この言葉で、すべてが分かった気がした。
なんでオクタゴン要塞の奇跡の奪還で、ほとんど何もしていないのに勲章までもらったのか?
その後、前線を離れて軍政部人事課という安全な場所に栄転したのか、そこでちゃんと仕事もしていたのに、ずっと階級が一つも上がらなかったのか……。
結局、僕は貴族でエリートのエリーゼのかわいいペットとして気を遣われていただけだったのか……。
「カズキ……?」
目の前のエリーゼがキョトンとした顔をしている。
彼女は何もわかってないだろう。
おそらく、ここから先、エリーゼはずっと軍政を担当するだろうからバフが使えなくても問題にはならない。いや、元から僕が必要だったか?
別に、バフが使えなくたって何の問題もなかったじゃないか。元から僕を側に置いておく方便のために少尉にして、それで今度は家庭に入れようとしているのか。
色んな考えが頭を駆け巡った。
この2年あまり、頑張ってきたつもりだったけど、すべては幻だったのか。
最後に、なぜかオクタゴン要塞のアレクサンドルの顔が思い浮かんだ時、僕の決意が固まった。
「わかりました。軍も辞めます。結婚もしません!!以上です」
「カ、カズキ…?どうして?」
僕は踵を返し、部屋を後にした。後ろからエリーゼの焦った声が聞こえたけど、振り返る気もしなかった。
もう二度と、エリーゼの顔を見ることはないだろう。




